プロメテ

 かみさまのヒモにならないかと誘われている。

 たしかに、そろそろまずいかなとは思うのだ。このまま貯金を食いつぶしていくのは。

 同居人のスマートフォンからチープな電子音が流れてくる。

 この、寝っ転がって古いソシャゲのガチャを回し続けてる女が『かみさま』。なるほど在宅ワーク的な何かで食べているのか、と訊いてみると「いや、ソシャゲのガチャ回すのが仕事なんだよね」と返ってきた。

「風が吹けば桶屋が儲かる、っってあんまり若い人は言わないのかな。バタフライ効果って、ああそう、映画でやったやつ。でさ、わたしはそれの調整役っていうかさ」

 少し考えるような仕草をして続ける。

「たとえばほら、そこのベランダにいる蝶が羽ばたくくらいの揺らぎが、ギアナで竜巻を起こすような」

 ギアナってどこ。

「要はさ、一見無関係で小さな力が大きな問題になったりするのよ。で、わたしはその間に入って、このソシャゲでガチャを回す」

 なんとなくわかってきたような、わからないような。

「乱数調整っていう言い方わかる、こう、ざっくり言っちゃうとさっきの話で言う蝶の羽ばたきみたいな揺らぎを起こしてるんだよね」

「どうやって」

「うーん、そこから先は企業秘密っていうか。正直わたしもあんまわかってないし」

 たとえばそれが真実だったとして、そんな、天候を調整するだなんて神のやることではないか。

 なので『かみさま』。

 かみさまはわたしと同じくらいの年齢に見える。いまは彼女とシェアハウスしている状態なので、もちろんかかる支出はほぼ折半。

 しかし問題は一ヶ月前に起きた。

 起きたというか、起こした。

 わたしが、勤め先の上司をぶん殴ってクビになったのである。

 暴力というのは本当によくない。ブラック会社にいじめられています、と訴えることができるのは暴力に頼らなかった者だけなのだ。最後の武器ですらない、使ってはいけないものなのだ。

 そんなわけで職を追われたというか、出て行ったわたしは半ば放心状態と化し、スマートスピーカーからサブスクでなつかしのJ-POPを流すだけの置物と化していたのだ。

「きみ一人分くらいなら養ってあげてもいいけど」

 というわけで、このままだとかみさまのヒモになってしまう。

「自立したいの」

「親から仕送りもらってるくせに」

「現金じゃないからセーフ」

 我ながらちょっと苦しいけれど。

「お、UR」

「レアだといいことあんの」

「とにかく珍しいことが起こる。排出率は」

 そのままスマートフォンで調べ始める。別にそこまで興味ないんだけど。

「0.38パーセントだって」

「えぐいね」

「とはいえこっちもずっと回してっから。1000回に3回は出るわけだし」

「そんなもん」

「そんなもんよ」

 テレビをつけるとニュースでちょうど何十年に一度だかの流星群の挙動がいつもと違うという話をしていた。

「これ」

「たぶんそれ」

 まだ信じたわけじゃない、はずなんだけどこういうのは星占いみたいにうまく丸め込まれてしまうような気もする。

「地球に落ちてきたりしないでしょうね」

「そうならないためにガチャ回してるんだよ」

 まあどうにもならない時もあるけど、と小さく呟いたのをわたしの耳は聞き逃さなかった。おい。

 どうにもならなかったら、と言いかけたところでチャイムが鳴る。宅配便だ。例によってというか噂をすればの仕送りというやつで、重たい段ボールの中には米と野菜、いくつかの缶詰が詰まっていた。

「自立ねえ」

「なんか言いたいことでも」

「別に」

 あんただってうちの仕送りの世話になってるでしょうが。

「じゃあ今日はオムライスはなし、ということで」

「いやちょっと待って、ごめんて」

 かみさまはオムライスが好きだ。特にこの、仕送りが来たタイミングで作る野菜をぜいたくに使ったやつが。

 段ボールの中を確認する。頭の中でこれはこうして、あれはああして、と分類してから行動に移す。

 玉ねぎやピーマン、にんじんを粗く切ってからフードチョッパーでみじん切り。フリーザーバッグに入れてそのまま冷凍してしまう。

 残った分はこのまま料理してしまおう。

「残り運んどいて」

「はいはい」

 はい、は一回でしょ、なんて言いそうになってからやめる。自分は親どころか仕送りで生活しているのだから。

 かみさまが段ボールを比較的すずしいところへ運んでいる気配を背中で感じつつ、調理器具と材料を揃える。

 フライパンにバターを落とし、コンロに火を入れる。さっき細かくした野菜をざっとまとめて入れて炒める。

 一瞬、そういや冷蔵庫に残ってたキムチも刻んで入れるかな、と思いかけたけどそうするとチャーハンになってしまいそうなのでやめる。わたしは別にチキンライスにキムチが入ってようと気にしないけど、かみさまは嫌がりそう。

 お肉は鶏むねを食べやすいサイズにしたもの。野菜と同じようにフライパンで炒めていく。

 ケチャップはご飯を入れる前に。ご飯は冷や飯だと少しだけレンジで温めるけど保温してあったのでそのまま投入。

「いい匂いしてきた」

「もうちょっと待ってて」

 はあい、と気の抜けた返事をこれも背中で受け止めてチキンライスの味見。塩こしょうをちょっとだけ振る。うん、完成でいいかな。

 卵を溶いて卵液にしたあと、もう一つ、小さめのフライパンを用意してオリーブオイルをひく。バターでもいいんだけど、なんとなくそうしてる。

 やるぞ。

 理想はオムレツがチキンライスの上に乗っていて、真ん中をすっと割るととろっとオムライスが完成するあれ。

 ちょうどいい柔らかさのオムレツが作れないわたしはどうしてもきっちり中まで火を通してしまって、それはそれで美味しいけど、オムライスというよりはチキンライス・ウィズ・オムレツにしてしまうのだ。

 もちろん、オムレツを真ん中から割ってもただ半分になるだけ。

 中にチーズを入れてみようとか試したこともあったけど、余計に火加減が難しくなっただけだった。

 とかなんとか考えていたらぼーっとしてしまって、今回も固くなってしまった。

 いや、固いというか、オムレツとしてはいい感じなんだけど、ちょっととろふわオムライスからは遠のいた感じ。

「出来たよ」

「やった」

 皿に盛ってテーブルに持って行くと、さすがにスマホを置いてかみさまが待機していた。「あのさ」

「何も言わないで」

「じゃあさ、このオムレツに何か描いてよ」

「嫌だよ」

「ほら、見本見せてあげるから」

 そう言うとかみさまは台所でさっき使ったまま置いてあったケチャップを取りに行き、わたしの皿のオムレツにハートマークを描いた。

「あっちょっと、塗りつぶさないでよ」

「いいじゃん、その方がかわいいでしょ」

「多すぎ」

 かみさまが満足したところでケチャップを受け取り、わたしもかみさまのオムレツに絵を描く。

 塗りつぶした丸と放射状の線、太陽。のつもり。

「幼稚園児じゃないんだからさあ」

「うるさい、食べるよ」

「はあい」

 いただきます、と言葉が重なって部屋の中が一瞬だけ静かになる。食器の音、お互いの気配。

「おいしい」

「ありがと」

 かみさまはこの、いつも通りのチキンライス・ウィズ・オムレツをいつも通りおいしいと言ってくれるし、わたしもそれにいつも通りのお礼を返す。

「お茶持ってこようか」

「あったかいの」

「わかった」

 ティーバッグで出したほうじ茶をちょっとずつ飲みながら、なり損ないのオムライスを食べ進めていく。

 味は悪くないんだけどなあ。

 ごちそうさまでした。

 食べ終えるとかみさまはまたスマホを手にしてぽちぽちとやり出した。まあ世界を救ってるんだから仕方ないか。

 いや、納得できないんじゃないと思われるかもしれないんだけど、わたしは皿洗いの作業が嫌いじゃない。

 言葉にしづらい、落ち着く感じがあるっていうか。

 だからたとえ、居間で満腹になったかみさまが寝っ転がってソシャゲのガチャを回しながら世界を調整だかなんだかしていても許せてしまうのだ。

「アレクサ、平成ヒットを流して」

 テーブルのスピーカーに話しかけてプレイリストを呼び出す。リビングで音楽を流されるとちょっと、という人も多いだろうけど、かみさまは文句を言わずにいてくれる。

 ほんとは甘えてちゃいけないのかな、どうだろ。

 ソファにもたれてぼんやりする。平成ヒッツはなんだか、五年ちょっと前までそうだったことを忘れてしまうくらい懐かしいっていうか、まあそりゃ生まれる前の曲とかあるもんなって変に納得してみたりする。

「アレクサ、次の曲」

 珍しくかみさまが流れている曲に反応していた。

「嫌いなの」

「っていうか、親がね、好きで」

「そう」

 かみさまとはこっちに来てから知り合ったから、家族がどうなっているのかとかは全然知らない。興味もあんまりない。

 ただ、こうやってちょこちょこと小出しになる情報から仲良くはなかったんだろうなってことだけはわかってきた。

 いや、別に知らなくてもいいことなんだけどね。

「うるさかったら止めるけど」

「いや、大丈夫」

「そう」

 わたし達は別に付き合ってるわけでもなんでもないので、普段そんなに会話があるわけじゃない。わたしはぼんやりするのが好きだし、かみさまはずっとソシャゲにかかりきりだ。

 会話がなくてもいい家っていうのは、助かる。

 仕送りも来るぐらいだし、わたしの家はきっとかみさまのとことかと比べると家族仲がいいうちに入るんだろうけど、それでもなんか、家にいると疲れる。

 両親は話好きな人たちで、ずっとなんか他愛ない話で盛り上がってて、まるで泳ぎ続けないと死ぬ魚みたいだなって思ってる。

 きっと今も、わたしに届いた仕送りの話とか全然関係ないテレビの話とか近所の話なんかをザッピングしながらずっと喋ってるんだろう。

「ねえ」

「どした」

「好きな音楽ってあるの」

 言ってから、ちょっとバカみたいなこと訊いちゃったかなと思う。

「うん、あるよ」

「どんなの」

「えっとね、あ、じゃあかけていい」

「いいよ」

 かみさまがスマートスピーカーに話しかけると知らない音楽が流れ出した。

「なにこれ」

「テクノ。デトロイト・テクノってやつ」

「へえ、歌はないの」

「基本的にはないね」

 百パーセントの電子音。わたしが普段聴いている音楽とはあんまり近くない。

「人間の歌から遠い音楽が好きかな」

「え、ごめん」

「いや、別に普段流れてるやつも嫌いじゃないよ」

 どうでもいいだけ、とばっさり。

「そのまま流してていいから」

 そう言って流れてるデトロイト・テクノとやらを止めてしまう。

 って言われても。

「踏み込んでいいやつなら、訊くけど」

「いいよ」

「親と仲悪いの」

「うん」

 詳しく聞きたいなら、と返されて黙ってしまう。

 別にそこまで興味ないんだけど。

「特に面白い話もないけどね」

 と前置きしてかみさまが話してくれたのはそれなりにヘヴィで、言ってしまえばありがちな話だった。

「よくある話よ」

「まあなんか、しんどいよね」

「ね」

 ふたり揃って苦笑いのもう少しポジティブなやつをする。

 わたしだって親とは仲悪くないにせよ、別に何の苦しみもなく生きてきたわけじゃないし。

「そうだ、Perfumeかけて」

「嫌いなんじゃないの」

「好き」

 そう言ってスマートスピーカーを呼び出す。

 でも確かに、スピーカーから流れてくるビコビコした音はさっきちょっとだけ聴いたデトロイト・テクノとやらにどこか似てるような気がした。

 エスエフみたいであんまり人間ぽくないっていうか。

「それならさ」

「なに、今日はやけに絡むじゃん」

「たまにはね」

 Perfumeの音量をちょっと下げて、訊く。

「人間は好き、それとも嫌い」

「どっちでもいいじゃん」

「いいじゃない。たまにはどっちでもいいこと話そう」

 ムダだなあ、とかなんとかぼやきつつも乗ってくれるかみさま。

「なに、告白されたいの」

「違うって。だってさ、たとえばそのスマホで乱数調整だっけ、なんかそういうのをやらないと人類は大変なことになるわけでしょ」

「まあ、人類に限らないけど」

「でもそこには人類が含まれるわけじゃん」

 自分でも、なんでこんな絡んでるんだろって思うけど。

「どうでもよければ滅んでも別にどうともならないじゃん」

「それは極端じゃない。わたしも別に死にたくはないし」

「なんか自分だけ助かるみたいなのないの」

「ないよ」

 ほんとに、このかみさまは世界を救い続けているのだろうか。

「あ、ちょっと待ってね、スタミナ使い切っちゃうから」

 そう言うとスマートフォンの画面に目を落とす。

 これだけだと単なるソシャゲ、スマホ中毒なんだけど。

「そりゃわたしだってさ、ソシャゲのガチャいくら回したってなにも起きないんじゃないかって、思うこともあるし」

 スマートフォンから目線を外さないまま言う。

「でもなんか嫌じゃん。わたしラスボスとかじゃないし」

 逆にさ、と返ってくる。

「きみはどうなの」

「人が好きかって」

 かみさまが『怪獣のバラード』の歌詞をつぶやく。

「自分で言っといてなんだけど、わかんないねこれ」

「でしょ。やっぱ貯金減って冷静さを欠いてるんだよ」

 ほれ、養ってあげるからおいでと手を広げるが、無視。

 話は最初に戻る。

「なに、そんなに仕事したいの」

「いや、どうだろう」

 確かに仕事しないで生きてけるならその方がいいのかな、って思わなくもないけど、でもやっぱ、自立したいし。

 とはいえ仕事が楽しかったわけでもないし、パワハラ上司は今思い出してもむかつくし、自分をあれと似た環境にまた放り込めって言われたらちょっと待ってと言いたくもなる。

「いっそ職種を変えるとか、かなあ」

「紹介してあげようか」

「いい」

 かみさまの紹介で来る仕事なんて、なに任されるかわかったもんじゃないし。

「なんかほら、子供の頃なかったの」

「なにが」

「ほら、夢とか。『あさがおようちえん、ねんちょうすみれぐみ、しがらきみ。わたしのゆめは、おはなやさんになることです』みたいなやつ」

「勝手に人の過去をそれらしくねつ造しないでくれる」

 子供の頃は、ケーキ屋さんになるんだ、って言っていたような気がする。

 今でもお菓子はまったく作れない。

「そっちはどうなの」

「わたしか、わたしの夢はちょっと難しいな」

 いきなり変に真面目そうな顔をするから、何かあったのかと思ってしまう。

「なんなの」

「新幹線」

「車掌とか」

「新幹線。変形してロボットになるやつ」

 そういえば、何かあったな。

「アニメの」

「そうそう。あれになりたかったんだ」

「そっか」

 それはちょっと手強いな。

「可能性は無限、とかよく言うけどさ」

 うん。

「一秒あとに自分がネズミになるかっていうとそんなことないし」

「なりたいの」

「もののたとえだよ」

 しょうもなくてつい茶々を入れてしまう。

「でもさ」

 後ろではずっとかわいい声のPerfumeが流れている。

「やっぱり有限てわけでもないんじゃない。あるよ、多分。ネズミに変えられることも、カボチャが馬車になることだって」

「その心は」

 興味深そうにこっちを見つめてくる。

「未来がわかっちゃうなんて面白くないじゃん。そのスマホで回してるガチャだっていつこうやったら当たるってわかってちゃ面白くないわけでしょ」

「まあ、面白くて回してるわけでもあんまないけど」

 人類、滅ぶし。と小さく言っているが聞こえないことにする。

「生きてたら何がおきるかわからないし、そういうことにしといた方がいいんだよ」

「わたしも新幹線になれるかな」

「なれるって、がんば」

 適当だなあ、と言って笑う。

「晩ご飯何がいい」

「そうだなあ、あ、ちょっと待ってね」

 またスマートフォンに目を落とす。

「食べてるときはやめてね」

「そのくらいはね」

 結局、昼の野菜と冷蔵庫に残っていたベーコンでナポリタンを作って食べた。

「あのさ、さっきの聴かせてよ。デトロイト・テクノってやつ」

「気に入ったの」

「いや、でもなんか。そうかも」

 かみさまがスマートスピーカーに声をかけると、さっきとは違う電子音が聞こえてきた。

「なんか、不思議な感じだね」

「木星のジャズなんだって。ジャズ、わかる」

「あの、おしゃれなやつ」

 すごくバカっぽい答えになってしまった。

「そういえば、ジャズの映画やってるけど観に行く」

「いいね。久しぶりに映画館行きたい」

 スマートフォンで上映時間を調べる。

「昼か夜かな」

「平日の昼間から行こうぜ」

「無職の特権ちゃ、そうだけどさ」

「謳歌しときな」

 ちょっと申し訳ないっていうか、誰にって別に誰ってこともないけど、なんか働いてた頃の自分とかに。

「そういえば、人間、結論出たの」

「そっちは」

「一緒に映画観に行ける同居人くらいは信じてみてもいいかなって」

「嬉しいこと言ってくれるじゃん」

 ほら、世帯主の胸にいつでも飛び込んでおいで、と腕を開くので、調子に乗るな、と頭をはたくふり。

「きみは面白いよね」

「そうかな、普通だと思うけど」

「普通だからつまんない、ってこともないでしょさ」

 木星のジャズが鳴り続けている。

「この曲作った人、火星人なんだって」

 不意にかみさまが言った。

「火星人て」

「いやほんとなんだって。土星人が作ったジャズもあるんだよ」

「映画観に行くの怖くなってきたな」

「いや、それは関係ない方だから大丈夫」

 ジャズってもっとなんか、喫茶店とかで流れてるおしゃれなやつじゃなかったのか。

「ま、ジャズにも色々あるってことよ。J-POPだって一種類しかないわけじゃないじゃない」

「そりゃそうだけどさ」

 でも流石に、宇宙人は居なかった気がする。

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