結婚宣言

馬車で揺られること数時間。

私たちノインシュタイン家は地方から首都へと移動し、この世のあらゆる贅を尽くした豪邸、エメラルド邸に到着していた。

この貴族社会の全ての政や経済を牛耳る場所であり、セレナ嬢が生まれ育った場所でもある。

その一角の舞踏会場前に多数の貴族が集まっている。


今日はセレナ嬢の成人祝いの日。

空は快晴で気持ちのいい風が吹いているというのに、これから実権を握っていく彼女に媚びを売ろうとする者や、隙あらば婚姻を申し込もうとする身だしなみを整えた若い男も多く、反吐が出る。


「かぁ~、っぺ!!」


「イザベル!!大衆の面前で何をしているのですか!」


あまりの不快さに唾を吐くと、すぐそばの母が発狂する。


「何って、貴族らしい振る舞いの練習ですわ。下民に向かって唾を吐く、それこそ貴族の真骨頂でしょう?おほほほほほほほほ」


血管が破裂しそうなほど顔を赤くし言葉にならない怒りを見せる母と、私たちを見てヒソヒソといやらしい視線を怒る周囲の人々。


ああ、いけませんわ。

私も少しは真面目にしないと。

何故なら、今日はセレナに別れを告げる日。


そう、私はこの時を待っていた。

いつだって、この貴族社会から飛び出す準備ができていた私が二十四の歳まで留まっていた理由。

それは他ならぬ、セレナの存在があったからだ。

私との出会いを重ね少しずつ笑顔を増やしていった彼女のことを、大人になるまで見守っていたかった。

運命を憎んでいた彼女が、大人になってどう決着をつけるのか見届けたかった。

それが終われば、もうここに心残りはない。


……なんて、嘘である。

どう足掻いてもこの社会でセレナが納得した生き方なんてできるわけもなく、大人に成ればしがらみも増えてしまう。

大人になるということは選択肢、可能性を狭め、然るべき場所に収まり、自分の背中に翼が生えていることを忘れることに他ならない。

さすれば、彼女はこれから、いくつもの艱難辛苦に出会い心を殺していくだろう。

あの美しく柔らかな笑顔を二度と拝めなくなってしまうだろう。


だから、私が助けるのだ。

ここから抜け出し、自立し、私たちだけの世界を創る。

そして、その時、セレナを迎えに行き彼女の手を取りこの世界の外に連れ出すのだ。

その標は、漠然とこの世界を嫌うだけの私の想いに確かな輪郭を与え、今もなお熱く燃え輝き続け生きる力をもたらしている。


「イザベル!ぼさっとしてないで行きますよ!」


会場の扉が開き、人が流れ始める。


―――さぁ、行こう。



広々とした会場に足を踏み入れた瞬間、その光景のおかげで眩暈がしそうな錯覚に陥ってしまう。

紋様が刻まれたシックな金色の壁や柱には歴史を語る絵画が飾ってあり、大理石の床は鏡のように磨き上げられ皆の踵の音が優雅に響いている。

そして、天井には無数のシャンデリアがきらめき、柔らかな光彩を空気中に漂わせている。

それに、視覚だけではなく、呼吸をすれば自然と生花の鮮やかな香りが鼻をかすめる。

どこもかしこも目を凝らせば、これでもかと言わんばかりの装飾や彫刻に胃もたれがしそうだ。


「ほら、見なさい。あなたみたいなドレスを着ている人は誰もいないでしょう」


相変わらず、母の小言がうるさい。

確かに、周りを見渡せば皆、色とりどりの衣装で身を包んでおり、私のように漆黒のドレスを着ている者は誰一人いない。


しかし、私から言わせてもらえばセレナが成人になることなど全くめでたくない。

だから、私は別れを告げる意味も込め黒の衣装を選んだ。

心臓の位置には私の目標の色と同じ、赫々たる薔薇のコサージュをつけて。


……セレナは、どんな顔をするだろうか。

いや、彼女は芯が一本通っている、私よりよっぽど強い娘だ。

心配はいらない。


とにかく、今は彼女の登場を待とう。



しばらくして、会場に荘厳な音楽が流れ始める。

気づけば入り口の対面にある巨大な両開きの扉の脇に楽器隊が整列し、彼らは音を奏でている。

そして、どこからともなく仰々しく、とある男が現れる。


「皆様、お待たせいたしました。ただいまより、エメラルド家の公女様、セレナ様がご登場されます。是非とも、盛大な拍手でお迎えください!」


男が大袈裟に一礼すると、ガコンと重厚な音を立て背後の扉が開きだす。

私はセレナの姿を心に刻もうと、観衆の最前列まで急ぎ向かう。


―――そして。

背筋をピンと伸ばし優雅に歩く純白のドレスに身を包んだセレナが現れれ、空間を割る万雷の拍手が響き大きな歓声が上がる。

しかし、彼女がこちらへ近づくと、あちこちから戸惑いの声がちらほらと生まれる。


それもそのはず、セレナのドレスはどこからどう見てもウェディングドレスだったのだ。

彼女のそばでともに歩みを進める親族らも引き攣った笑顔を浮かべている気がする。


どういうことだろうか。

もしや、既にどこぞの誰かと婚約を済ませていて、この場でその発表でもするのだろうか。

彼女の決意が滲んだあの表情、運命を受け入れる決心をしていてもおかしくはない。


いや、それならそれで今のところは問題ないはずだ。

それでいいはずなのに。


私の心に雷を孕んだ暗雲が広がり始める。

セレナが、あの子が誰かのものになるなんて。

いざ彼女の姿を目前にすると、あれだけの決心が揺らいでしまう。


―――気づけば私はセレナの元へ歩みを進めていた。

そして、こちらに気付いた彼女は満面の笑みを浮かべる。


後ろから聞こえる母の叫びも誰彼の声も関係ない、逸る気持ちに歩みを速める。

しかし、それも二人の屈強な護衛に遮られる。


「邪魔をしないでくださいます?」


「それはこちらのセリフです。ここは貴方みたいな人間には相応しくない。引き返してください」


片方の男が私の腕を掴む。


「私に触れるな!」


そう叫ぶも、意思を持たない傀儡のように私を排除しようとする男たち。


「おやめなさい!」


突然、ざわつく会場に響く声。

どのようなノイズにもかき消せないその声は、セレナのものだった。


「お前たちは誰に触れているのか理解しているのですか!今すぐその穢らわしい手を離しなさい!」


彼らは何を言っているのか理解できないようで、私の腕を掴んだまま硬直している。

それに痺れを切らしたセレナが早足でこちらに向かってくる。


「その手を離せと言っているのです。聞こえないのなら耳を削ぎ落としてあげましょうか。理解できる頭がないのなら首を落としてしまいましょうか」


男らは慌てた様子で私を解放し距離を置いた。


気付けば目の前にはセレナが立っている。


───ああ、その姿のなんと美しいことか。

陶器のような滑らで白い肌はドレスの純白にも劣らず、ブロンドの髪もよく映えている。

そして、紅を差した唇に、スッと通った鼻筋、エメラルドグリーンの瞳。

完璧だ。

脳のリソースが全て視覚に使用され、何も考えられなくなってしまう。


「イザベルお姉様、来てくれたのですね」


その言葉にハッと思考を取り戻す。


「そ、それはもちろん。あなたの晴れ舞台ですもの。……本当に、綺麗になりましたね」


セレナの頬が朱に染まる。


「お姉様。私、お姉様にお伝えしたいことがあって───」


「待って。お話は後にしましょう。このままだと、あなたの父親に殺されそうだわ」


セレナの後方からこちらを睨みつける彼女の父親、アレクサンダー公。

この国の誰も逆らえない、とっても偉い男。

彼がその気になれば私の首はいとも簡単に飛ぶだろう。


「そうですね。お姉様、私が今から皆に話すこと、受け止めてくださいね」


「え?」


それだけ言い残し、元の位置に戻るセレナ。

もし本当に婚姻の話でもするのなら、私も覚悟を決めなければならない。


そう思いを巡らせていると、場の落ち着きを見計らってアレクサンダー公が皆に向けて口を開く。


「いやはや、大変失礼致しました。かの悪名高きノインシュタイン家の令嬢が粗相をしてしまったようで。まぁ、私の娘の慈悲により事なきを得ましたが」


観衆のどよめきが笑い声に変わる。

あのクソジジイ、余計なことを言って。


「さて、今日は私の娘、セレナ・アドリエンヌ・エメラルドの成人祝いの日。そのめでたい日を、このような多くの人と祝える事、大変嬉しく存じます」


つらつらと定型文を吐いていくアレクサンダー公。

その言葉を右から左へ流していると、どこからともなく銀のトレイを運ぶ侍女たちが現れる。

この後、皆で乾杯でもするのだろう、その上にはシャンパングラスが並んでいる。


皆がグラスを受け取る中、私は一人、侍女に断りを入れる。

とても彼女を祝えるような気分ではない。


「皆様、グラスは受け取りましたか。それでは、乾杯、といきたいところですが、我が娘より皆様に話したいことがあるようで、ご静聴願いますかな」


セレナは一歩前に進み、一呼吸し口を開く。


「皆様、本日は私なんぞを祝うために集まっていただき、ありがとうございます。ここまで錚々そうそうたる面々に集まっていただけるなんて、光栄でございます。まったく、そんなにギラギラといやらしい瞳を光らせ、私のような籠の中の鳥にどのような御用があるというのでしょうか」


「お、おい、セレナ……」


「ええ、わかっていますとも。ただ侯爵家に生まれたというだけで何不自由なく不自由に、お人形のように生きてきた私の地位と権力を利用したいのでしょう」


まるで、私の分身が吐くような言葉を堂々と話すセレナ。

知らず知らずの内に悪影響を与えてしまったようだ。


「しかし、そんな人生でも私自身の意思で一つだけ、たった一つだけですが決意したことがあります。それを今、表明させていただきます」


雲行きが怪しい。

心なしか、アレクサンダー公も冷や汗をかいているように見える。

そして、セレナの口からとんでもない言葉が発せられる。


「私、セレナ・アドリエンヌ・エメラルドは本日をもって、そちらに御座すイザベル・フォン・ノインシュタイン様と結婚いたしますわ!」


───は?


水を打ったように静まり返る会場。

次第に、ざわざわとした戸惑いの声があちこちから上がる。


「セ、セレナ、何を言っているんだ!」


「お父様、言いましたわよね。貴族たれ、確固たる意志を持って責務を果たせと。それさえ果たせば好きに生きて構わないと」


「し、しかしだな……」


辺りは焦りが伝播し収拾がつかなくなっていく。


呆けている場合じゃないぞ、私。

とにかく、セレナと話をしなければ。


すぐそばにいた侍女が持つトレイからグラスを手に取り、言い争いをしている親子の元へ。


「あっ、お姉様」


セレナに近づき少し躓いたふりをして、手にしている酒を彼女のドレスにぶちまける。


「きゃっ!」


「キサマ、何を!」


「あらあらあらあら、いけませんわ!お召し物が汚れてしまいました。これは着替えないといけませんわね」


アレクサンダー公にアイコンタクト。

その意図が通じたのか、怒りを抑え少し頷いた彼は皆へ向けて口を開く。


「皆さま、申し訳ない!娘のドレスが汚れてしまったので、少しお時間をいただけますかな!」


彼が皆の理解を得る前に私はセレナの手を取り会場を抜けようとすると、侍女が二人、こちらに接近し控室に案内しますと一言。

私はその言葉に従いセレナを会場から連れ出した。

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