厭世令嬢VS変態クソレズ公女

たけのこ

プロローグ

私はこの世界が嫌いだった。


この世に生を受けた時点で身分や生き方が決まり、誰もが疑いなくその道を進む。

右を向けば脂ぎった顔の高慢ちきな男、左を向けば相手の顔色を窺い薄ら笑いをこびりつけた者たち。


そんな場所で保身の為に生きて、そんなことのために僅かな人生を消費して、何の意味がある。

いや、そうだ、いつだって、自分の生に意味を与えるのは他ならぬ自分自身なのだ。


……だから、私は精一杯抗った。

何も考えず生きる馬鹿どもには火傷するほどの叱責を与え、権力者には胃もたれするほど甘い蜂蜜のような皮肉をたっぷり塗り付け、お前たちのようにはならないぞと証明してきたつもりだ。


そうして完成したのが、その名を聞けば誰もが眉を顰める、捻くれ行き遅れ嫌われ者の女、私こと、イザベル・フォン・ノインシュタイン、である。

どうしてこうなったのかしら。


「イザベル!真面目に話を聞きなさい!今回ばかりは、貴方の不誠実な態度は許されませんからね!」


「はぁ。よござんす」


「まったく……。明日はセレナ・アドリエンヌ・エメラルド嬢の成人を祝う社交パーティーの日ですわ。皆さま、しっかりと素敵な祝辞を頭に刻んでおくのですよ」


絵画や壺などの調度品が並べられた部屋の中心、赤いカーペットの上には重厚で美しい大理石の広い食卓。

そこには、我らノインシュタイン家の面々が着席している。

そして、今、大声を上げているのは私の母である。

夕食時だというのに、もう少し落ち着いてほしいものだ。


「イザベル!何を呑気にあくびなどしているのですか!」


「そんな目の敵にしなくてもいいじゃない。いつも通りで問題ございませんわ」


「少しはセレナ様の恩に応えようと思わないのですか!あの御方の恩寵が無ければ、ただの腫れ物である貴方みたいな人間が、何を思い上がっているのかしら!?」


「あらあらあら。そんなに気に入らないなら、私、この家を出て行くべきかしら?」


「このっ、調子に乗って……!」


何も言えやしないさ。

少しでも世の情勢が変われば吹き飛んでしまいそうな地方の小さな街で威張るだけの碌でもない私たちの家系は、他でもない私のおかげで地盤を固めているのだから。

これは傲慢ではなく、確かな事実である。

公爵家の娘であるセレナ嬢に大層気に入られている私がここにいるため、ノインシュタイン家は安定した生活を送ることができているのだから。


――そう、セレナ嬢との出会いは十年ほど前まで遡る。

なんてことはない、生まれてこの方、少しの笑顔も見せない人形のような公女様の退屈しのぎに年齢が近い私が選ばれただけの話が全ての始まり。

ただ淡々と、いや、既にひねくれた性格をしていた私が相手だ、無礼を働いて罰を受けることはあれど、特別な事など何も起こるはずはなかったのに。


エメラルド邸の庭園の中心に建てられた大理石の柱と屋根の下、テーブルで茶を嗜むセレナ嬢の姿はまるで絵画がそのまま現実になったようで、その光景を前に全身が硬直し一歩も動けなくなった私は、息をするのすら忘れ佇んでいた。

キラキラ輝く金髪に翡翠のくりくりした瞳を持つ彼女は雪のような白い肌にシミひとつない純白のドレスを身につけており、この世ならざるものだと思うほど美しい。

性格を体現したような黒髪に吊り目の私が惨めになってしまうくらいに。


「ごきげんよう」


こちらに気付いた彼女が発した一言の挨拶。

それは幼さを微塵も感じさせない凛と響く声で、それを耳にした途端、ようやく私の身体が氷解し動き出す。


当時の私は思春期ということもあり、今までの人生において最もツンケンしていた時期だ。

例えセレナ嬢がどれだけ美しかろうとも、いや、むしろ、それが癇に障った私は意地を張り、喧嘩を売らんばかりの態度で彼女に接近した。


「ごきげんよう、ごきげんよう。皆、口を揃えてごきげんよう。やっぱり中身が空っぽだと反響するだけで自分の血の通った言葉を語れないのかしら。それとも、そのお口の中にオウムでも飼っていらっしゃるのかしら?」


蝶よ花よと育てられた彼女にとって、不躾な私の態度は珍妙だったのだろう。

その大きな目はより大きく見開かれ、私を凝視していた。


「あらあらあら、随分と可愛らしい驚きようですこと。そんな呆けていないで何かおっしゃったらどうかしら?」


「……その、貴方が何をおっしゃっているのか理解できません」


彼女は本当に、悪口というものを知らないのだろう。


「私は貴方を馬鹿にしていますの。おわかりかしら、馬鹿ですわよ、馬鹿」


「馬鹿にしないでください。そのくらい、存じていますとも。ただ、初対面の私に、何故、そこまで不躾なことを言えるのですか」


少女らしからぬキッパリとした物言い。

なんだ、一応、意思はあるのか。


「これはこれは、失礼いたしましたわ。てっきり、貴方も鳥籠に囚われた偶像かと思いましたので。ほら、環境や慣習に従うだけの人間など尊敬に値しないでしょう?」


少しだけ興味が湧いた私は彼女の対面に腰を下ろす。


「……あなた、お名前は?」


「私、イザベル・フォン・ノインシュタインと申します。まぁ、私たちの関係はこれっきりですから、憶える必要もないでしょうけど」


「なぜです?私は今、あなたに興味が湧き始めたというのに」


これは驚愕。

彼女にとって私の態度は新鮮だと理解しているが、今すぐ打ち首になってもおかしくはないくらいの無礼を働いているというのに。


「イザベル様は他の人とは違いますよね。なぜです?なぜ、そのような態度をとっているのですか?」


これは怒りでもなんでもなく、彼女の純粋な疑問なのだろう。


「それはもちろん、この社会、いえ、この世界を憎んでいるから、でございますわ。杓子定規の社会の下、誰もが笑顔の仮面を付け腹の底で何かを企み、大事なものと言えば如何に強者に気に入られるか。何もかもが不純ですわ。そして、今、私の目の前には権力の象徴である公女様がいらっしゃる。ひねくれ者の私が悪態の一つや二つをついてもおかしくはないでしょう?」


「そのようなことをおっしゃらないでください。私だって、この生活に嫌気がさしているんです。自由なんて何もない、定められた役割を演じるだけ。……私だって人間です。そんな生き方、耐えられるはずもないでしょう」


美しいその顔に翳りが落ちる。

十歳にも満たず何の力もない彼女に強く当たりすぎたか。


「……イザベル様、私は、私はどうすればいいのでしょう。このまま、一生を過ごさなければならないのでしょうか」


「答えは決まっているじゃない。そう迷っている時点で、あなたの意志はそこから抜け出したいと叫んでいるのだから。人生なんて何を選んでも後悔するのだから、情熱に身を任せればよいのですわ」


なんて偉そうなことを言ってみたものの、私自身、何もできずにもがいているのだが。


「それなら、イザベル様はどのようにして生きているのですか?」


うっ。


「それは……」


壮大な嘘をついてやろうかとも思うが、彼女の懇願するような瞳を前に、神の御前で懺悔しなければならないような心持になってしまう。


「まぁ、私も、燻っている途中ですわ。でも、いずれは家を出て自由に生きるつもり。あなたと違って、そこまで強固にこの身体を縛るものもないので」


「そうですか。羨ましいですね」


そして、少しの沈黙の後、彼女は意を決したようにこちらを見つめる。


「あの、イザベル様。不躾なお願いかもしれませんが、もし、もしよろしければ、また、私とお友達になってくれませんか」


「え、えぇ……」


まさかこんな展開になるなんて。

こんな私と仲良くなりたいだなんて、彼女はどれだけクソみたいな人生を送って来たのだろう。

しかし、こちらとしても、彼女と良縁を築いておけば私の目標に対して何かと融通が利くだろう。


「やっぱり駄目ですよね」


「何を言っているの。公女様の言葉に逆らえるほど私は偉くないわ」


「そ、それじゃあ」


「ええ、よろしくね」


初めて見る彼女の笑顔。

それは只々美しく、不覚にも全身に稲妻が走ってしまった。


こうして私達は何度も共に出会い時間を重ねた。

いつの間にか、セレナ嬢にいたく気に入られた私は貴族社会において腫物だが除去できない厄介な女として名を馳せていき、今に至る。


―――回想終わり。


「それでは、明日の準備のためにお暇させていただきますわ」


「まだ話は終わっていませんわよ!」


その言葉を無視し、私は席を立ち上がり部屋を後にする。


社交パーティー。

順当にいけば成人したセレナ嬢がイイ男や権力者などと関係を築いて、これからの貴族社会の地位を固めていく時期。

いくら公女といえど、公女だからこそ、その流れに逆らうことはできないだろう。


それは、とってもつまらないことね。

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