第3話 湊かなえと私
さて、いきなりタイトルからずれたところから始まるが、私は20代の頃、ひたすら脚本家を目指していた。学生時代、漫画でも小説でも絵本でもなんでもいい。とにかく物語を書く人になりたい、という漠然とした夢を持っていた私。小学校の時は漫画と小説を書いてみた。だけど、漫画なんて小学生からうまい人はとてもうまく、さっさと諦めた。小説は最後まで書ききることができずに、中学生の頃は少年ジャンプの原作賞へと応募していた。棒にも箸にも引っかからなかった。(今も持っているが、読み返すと羞恥心で死にたくなる)
高校の頃、やっぱり小説だよな、とまたいそいそ書いてみたけれど、完結させることがどうにもできず、「ちゃんと習いたい!」と法政大学の文学部に行きたいと親に持ち掛けた。(当時、小説養成の学科があったように記憶しているが今調べるとないな)けれど、「東京まで行くなら自分で学費等々払いなさい」と言われて、バイトと東京の生活費の費用を見て、泣きながら「無理ぃ~」と諦めた。そのくせ、地元の大学で受かった国文科が女子校で、6年間女子校で育った私は共学に行きたいと全然違う学部へ進学した。今思い返してみりゃそれくらい安易な決意だったのだと思う。
進学した大学には文学サークルがなかったが、ラジオドラマを作るサークルがあったのでそこに入り、以来脚本の魅力に惹かれ、初めて物語を制作する喜びに浸る。その後、社会人になっても地元には小説家養成の講座はなく、脚本の講座はあったので、20代は本当に脚本をひたすら書いていた。その時によく賞を取る人で名前を見ていたのが、小鳥遊まりさんと湊かなえさんだったのだ。
もちろん、他にも常連がいたのだが、年齢が近く、同性だったこの二人を私は敵視していた。賞を取った脚本は読めることもあったのでお二人の作品どちらも「なんだ、この暗い作品。けっ」とまあ毛嫌いしたもんだ。じゃあ、その頃私はどんな作品を書いたかって?世界の中心で愛を叫ぶ系だ。安易なお涙ちょうだい系を書いていた。大変申し訳ありません。でもこれが二次選考とか地方の賞の佳作に入ったりしたから止められなかった。脚本の先生に「こんなんじゃだめだ」と言われながらも涙ながらひたすら書いていた。そんなある日、書店で見たのだ。憎きその名を。あんだけ脚本で賞を取った湊かなえさんが小説「告白」で鮮烈デビューを果たしていた。
はあ?と当時は思ったものだ。お前、脚本家になるんやなかったんかい、と。こっちはなりたくて仕方ないのに、と。どういうことかと調べて「脚本家は東京いかないといけないから小説家にシフトした」みたいなことを読んでキレ散らかしたもんだ。自分も小説書いてたくせに。絶対読んでやらんと心に誓った。
でもさー、人気になっちゃったんだもん。「イヤミスの女王」とか言われてさー、無視できないくらい書店で目につくようになっちゃったんだもん。当時は仕事にも忙殺されていて小説は暖かいヒューマンドラマとか自己啓発系小説とかしか読む気がなかったが、1冊くらいはと思ってしまった。「読んだら嫌な気分になるのか…嫌だな」と思いながら読んだ。湊かなえさんの「告白」を。
いや、やっぱり彼女はすごかった。めちゃくちゃ嫌な気分になった。なんでこんな気分にならないといけないのかと喉元掻きむしった。すごくないか。告白に出てくる人々の救いようのなさ。全員、悪な部分はあるけれど、どの登場人物も別の作家が書いたら更生の物語になるはずよ?なのにどうしてこうもどうしようもなくなるのか。それがあまりにも違和感なく。やっぱりすごいな、この人。絶対真似できない。そう思った。けど、やっぱりもう二度と読んでやらん(笑)
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