第4話 ルエメリオ・サイデンチカが遺したもの 1
ラバナントの砂漠に夜明けは二度訪れる。
砂丘の空の際がうっすら白み、ようやく顔を出した太陽が砂をじりじりと照らす朝。それがまず第一の夜明け。人間が活動するには太陽光が暑い時間帯だ。ラバナントの民はもう一つの夜明けを待って二度寝する。
そして太陽に同期するようにしてマジャーリジャーの月が昇る。大きな影が強い陽の光を遮って砂漠を冷やす。強大な引力で重力偏移を引き起こす最大の月が、ひんやりとした穏やかな時間を連れてくる。これが第二の夜明けだ。
三つの月が巡るせいで、特に重力が偏る座標には砂漠の砂が巻き上げられて柱状砂丘が生まれる。異常重力は瓦礫の浮き島にも影響を及ぼして、重低音を轟かせる巨体が砂漠を離脱して虚空に漂い始める。ラバナント人がようやく目覚める時間だ。
「昨日のバイクの女に告ぐっ!」
重力偏移地帯の二度目の夜明けは、空気層と砂塵層とが折り重なって光が屈折して赤い朝陽が射す。
「無意味な抵抗はやめて速やかに投降しやがれっ!」
太陽がマジャーリジャーの月に遮られて冷えた風が心地いい時間帯。朝陽は赤く暑いが、砂風は白く冷たく、砂漠は色めくようにざわざわと賑やかだ。
「我々は君に危害を加えようってわけじゃねえっ! この過酷な重力砂漠から保護してやろうじゃねえかって話だっ!」
プンブンカン砂賊団の親分、デルピコ・プンブンカンのダミ声がスピーカーで増幅されて赤陽現象に染まる柱状砂丘にこだまする。
「何も君をとって喰おうとしてねえっ! 街の金持ちが店でこき使う従業員を募集していやがるっ! そこにぶち込んで紹介料を頂こうじゃねえかって話だっ! 言うなれば職業斡旋だっ! 悪かねえだろっ!」
スピーカーからのクセの強いダミ声は瓦礫の浮き島にもうるさいほど届いていた。浮き島の一角に身を隠しているウルリクはティオにしかめっ面を見せながら言う。
「悪いに決まってんじゃんか。そのか弱き女の子に砲撃ぶちかましたのはどこのどいつよ。こっちも大砲ぶっ放してやろうか!」
まあまあ、とティオが宥める。昨晩のおしゃべりでウルリクの性格はなんとなく掴めている。彼女ならそこらの瓦礫から大砲を再構築して本当にぶっ放しかねない。
興奮冷めやらぬウルリクは展望デッキの出窓からひょいと頭を出して周辺状況を観察した。
デルピコが操る直方船はずいぶんと下層を飛行中のようだ。二人が隠れている廃デッキはプンブンカン砂賊団からは死角になる高い位置に突き立っている。
「ティオのバイクはどこにあるの?」
「浮き島の端っこに平べったい船が突き刺さってたから、その甲板に括り付けておいた」
浮き島の高台に乗っかった廃棄住宅ユニット、ウルリクが展望デッキと名付けた居住コンテナに隠れて、出窓からこっそり単眼鏡を覗き込んで砂賊団の長方船を観察する。
浮き島に付かず離れず砂丘に乗り上げるくらい低空、バラストタンクに大穴が空いた直方体の船が重力潮流に逆らって頼りなく漂っている。直方船のはるか上空にティオが言う平べったい船とやらが見える。
あの位置は、昨晩ちょうどティオを発見した発掘エリアだ。瓦礫に押し込むように甲板に突っ込まれたエアバイクもある。プンブンカン砂賊団も当然それを見つけているのだろう。
「バイクは後で回収しよう。あたしのボートが左舷側にあるからそれで離脱するよ。あいつらのオンボロ船よりも足は速いから余裕で逃げ切れるよ」
そうと決まれば、単眼鏡をポケットにねじ込んでゴーグルをかけ直して、脱出プラン通りに即行動だ。そんなウルリクの落ち着き払った様子に、ティオは軽く微笑んで首を傾けて見せた。
「ウルリクってあの人たちのことよく知ってるの?」
ぴくっと動きを止めるウルリク。痛いところを突かれたような気まずい顔をして、そっとティオから視線を逸らす。
「あれ? お友達?」
と、ティオの追撃。目を合わせてくれないウルリク。
「なわけないでしょ。たしかにここら辺の砂漠を縄張りとする顔馴染みではあるけど、おっさんたちはケチで貧乏な小悪党。あたしは誇り高き遺構発掘屋。友達だなんてとんでもない!」
くるりと踵を返して展望デッキから出て行こうとするウルリクを、ティオは右腕を振り回して呼び止めた。
「待ってよ。こう見えても私って喧嘩強いんだよ」
「何言い出すの? 早く左舷側に行こうよ」
喧嘩前の準備運動か、次はしなやかに膝の屈伸を始める。
「なるべく面倒ごとは避けてきたんだけど、ウルリクさえよければあの人たちボコボコにやっつけてやるよ」
可愛げのある笑顔で無茶苦茶なことを言い出すティオ。きびきびとした動きはさらに回転速度を増していく。肩、膝、腰と、だんだんあったまって戦闘準備が整っていく。
「いくらおっさんたちが悪いからって、ボコるのも可哀想だよ。放っといて裏からこっそり逃げるよ」
「迷子になった私を助けてくれたお礼だよ。ウルリクは何処の誰かもわからない私に、あなたのおばあさんみたいに優しくしてくれた」
びたっと準備運動を終えて、肩幅に足を開き、両拳を腰に当てて戦闘態勢をとる。そんなティオを見て、ウルリクは久しぶりにオートマトンを整備する祖母の横顔を思い出した。
「あたしのおばあちゃんを知ってるの?」
優れたオートマトン職人だった祖母。砂漠の外の国まで自動人形整備の修行に出たり、東の海の果てまでゴーレム技術を学びに行ったり、とにかくロボット愛に溢れた破天荒な人間であった。しかし、ウルリクの祖母はもういない。つい昨晩出会ったばかりのティオが知っているはずがない。
それでもティオは懐かしげに語る。
「私の大事な人。大切な友達。とても優秀なゴーレム技師だった」
たしかに祖母が子守り唄代わりに話してくれたことがあった。オートマトン、ゴーレム、自動人形、ロボット。人の姿を模した人ならざる機械の蠱惑的な物語。
ただ、それはもう何十年も昔の話だ。ティオのような、まだ十数年しか生きていない少女と友達だなんてあり得ない話だ。
「もう、おばあちゃんはいないよ」
「うん。ウルリクの顔を見て、声を聞いてわかったよ。あなたっておばあさんにそっくり。おばあさんがこの浮き島をあなたに託したのも理解できるよ」
「何言ってるかわかんないよ。ティオって、何者なの?」
細く頼りない右腕をぐいっとウルリクへ突き出して、ティオは太陽みたいに明るい微笑みを見せた。初めて出会った時の不安げな曇った表情の少女はもういない。そこにいるのは、人間以上に人間らしい少女だ。
「起動コードを言って、ウルリク。あなたのおばあさん、ルエメリオの浮き島が、そして本当の私が目覚めるよ」
「起動コードなんて、何それ、わかんないよ」
ウルリクは動揺した。起動コードかどうかは知らないが、祖母は外国の言葉で謎の文言を言い遺している。ウルリクしか知らないはずの言葉。なぜ、ティオがそれを知っているのか。
「大丈夫。あなたのおばあさんを信じて」
ティオは、ティー・オーは未だにこの浮き島に踏み止まろうかと迷っているウルリクの背中を押した。もっと先へ、まだ見ぬ未来へ向けて。
「……t、o」
言い籠るウルリクに、笑顔で小首を傾げるティオ。
「Wake up maiden, Type・“O” , Reboot.」
ウルリクが起動コードを発した瞬間、廃棄物と瓦礫で構築された浮き島が吠え上がった。ビリビリと電気を放つような振動が足元から迫り上がり、重低音が目に見えるほど瓦礫を震わせる。
「ルエメリオ・サイデンチカの遺言、たしかに受け取ったよ」
タイプ・”O”は、ティオはニッコリ笑ってくれた。
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