第3話 重力砂漠の浮き島で 3


「喉乾いてない?」


 瓦礫の浮き島の中にはかつて人の居住空間だったコンテナも眠っている。破損もなく扉付きでしっかり密封できるのに、何故だかそこかしこに砂が潜り込むけど。


「お茶でも飲む?」


 ウルリクはガラクタだらけの戸棚からマグカップを発掘した。ふうっと息を吹きかけて細かい砂を飛ばす。


「お水あっためてるから待ってて」


 砂埃まみれのバッテリーユニットに直で繋がれた電気ポットが湯気を立ち上らせていた。さすがに直接続だ。あっという間にお湯が沸く。


「それとも冷たいお水がよかった? きれいなお水もあるよ」


 とにかくウルリクは楽しそうだった。人とお喋りするのなんて何週間ぶりのことか。それも砂漠の外の国からやって来た同年代の女の子だ。はしゃぎたくもなる。


「お湯でいいよ」


 乳白色の少女は照れ臭そうに答えた。


「お湯でいいの? 遠慮しないの。発酵茶も粉コーヒーもあるんだよ」


 うきうきしながら二人分のマグカップを用意する。なんて素敵な光景なんだろう。自分の作業部屋にマグカップが二つも並んでいる。お揃いじゃないのが惜しいとこだが、それだけでこの味気ない砂まみれの空間がぱっと賑やかになる。

 このテーブルも廃工場に放置されていた製図デスクをきれいに直したものだが、おしゃれなカフェテーブルに見えてくる。バッテリーユニットや電気ポットもそこらの廃船から使えそうなのを拾ってきたジャンク品だが、優雅なカフェタイムを演出するアイテムになる。何だったらこの部屋そのものだっておしゃれ空間に感じられる。人間二人が寝泊まりできるくらいのスペースをウルリク一人で運び出した小部屋だ。重力均衡が崩れる時間帯なら、彼女の細い腕でもこんな大きい荷物だって動かせる。


「ありがと。白湯で十分よ」


 迷子の少女は嬉しそうに頷いた。少しクッションがへたったソファにちょこんと座り、手狭な小部屋をきょろきょろと見回す。


「それより、あなたの部屋にお邪魔しちゃってごめん」


 細い身体をさらに折りたたむように小さくなって頭を下げた。


「全然全然。気にしないでよ」


 ウリルクはさらに楽しそうに動き回る。お茶っ葉はどこに格納したかな。


「ガラクタばっかで狭いかもしんないけど、どーんとくつろいじゃって」


 とは言うものの、ゆったりくつろぐにはこのへたったソファに座るか、衣服が脱ぎ散らかされたベッドに座るかしかなさそうだ。どっちにしようかな、えへへ、と愛想のいい笑顔を作って見せる謎の少女。


「うん。ありがと」


 たしかに一見するとガラクタばかりの閉鎖空間だが、それは小型バッテリーユニットであったり、電気調理器具であったり、作業テーブルであったり。手を伸ばせばすぐに使えるよう配置された絶妙な狭さがかえって居心地の良さを醸し出している。これはこれでウルリクなりの快適空間なのだろう。

 ようやく発酵茶葉が入ったへこんだ缶を発掘して、シャカシャカ振りながらウルリクは言う。


「実はね、ここはあたしのおばあちゃんの作業部屋だったの。何十年も前のこと」


「あなたの、おばあちゃん?」


「そう。おばあちゃんが浮き島に隠した秘密のオートマトン工房。でも秘密過ぎちゃって、この浮き島のどこに何があるか、あたしもまだ把握しきれてないの」


「まるで秘密基地みたいね」


「そうね。工房って言うより秘密基地って呼んだ方がかっこいいね」


 発酵茶の甘味のある香りが狭い秘密基地にふわり広がる。そんな香りをかき回すように、ウルリクは大袈裟に片手を差し出した。


「あたしはウルリク・サイデンチカ。普段は近くの街に住んでんだけど、たまたま今週は仕事でこの浮き島にいたの」


 迷子の少女はウルリクの手を遠慮がちにちょんと握った。その手を逃すものかとウルリクはぐいと握り、ふるふると振り回す握手で返す。


「偶然だけどよかったね。もしも誰もいないタイミングだったら、このまま野垂れ死にしてたよ。あなたはこんな果ての砂漠まで何処から来たの? プンブンカン砂賊団に追われてたのってあなたかな?」


 ウルリクはお茶を淹れながらはしゃぐ子どもみたいに捲し立てた。一気に言葉を流し込まれて乳白色の少女は目を白黒させる。


「ええっと、まずは私の名前は、ティー・オーと呼ばれてた。何処から来たかは、ずうっと東の海の向こうの国から。大事な友達を探しにここまで来た」


 ティー・オーと名乗った少女のマグカップにお湯を、自分のマグカップに発酵茶を注ぎ、その勢いのままさらにまくし立てるウルリク。


「ティオ? かわいい響きの名前だね。東の海の向こうの国ってずいぶん遠くから来たのね。その割には荷物も何もなさそうだけど、プンブンカンのおっさんに盗られちゃった? その友達ってのは誰なの?」


 ウルリクのあまりの早口に、ティオも何から答えようかと迷ってしまう。


「はい。寒かったでしょ。お湯飲んであったまって」


 言葉を探すティオへ湯気をまとったマグカップを手渡す。ふわり、湯気はゆっくりと立ち上り、小部屋の真ん中辺りで小さな雲となった。それを不思議そうに空色の目で追うティオ。


「ああ、それね。この浮き島には小規模だけど重力均衡点があるの。だから秘密基地のあるこの座標はいつも重力が安定してるの。さすがはあたしのおばあちゃん。いい場所に秘密基地を作ったね」


「さっきオートマトン工房って言ったよね。オートマトンってゴーレム技術のこと?」


 あたたかいマグカップを両手で包んでティオが細い首を傾げて見せた。待ってました、とばかりに身を乗り出して答えるウルリク。


「そうそう。東の海の向こうの国では自動人形をゴーレムって呼ぶよね。オートマトン職人だったおばあちゃんが言ってた。砂漠のラバナントではオートマトンって呼んでるよ」


 お茶を一口、唇を湿らせて回転を良くしてさらに喋り出す。


「この砂漠の浮き島には戦争で壊れた素体とか遭難したオートマトンも漂着するから、部品取りには最高の工房なの。あたしもオートマトン職人やってるよ。おばあちゃんから引き継いだ自己流職人見習いだけどね」


「そう、なんだ。私が探してる友達もゴーレム技術者なんだけど、もう、会えないかもしれない」


 不意にティオが寂しそうに呟いた。視線を手元のマグカップに落とす。ロングストレートの黒髪がさらりと重力に引かれて垂れ下がり、ティオの空色の目を覆い隠す。


「そっか。まあ、そこらへんのことはよくわかんないけど、後のことは明日考えない? 今夜はもう寝ちゃおうよ。友達探し、あたしも手伝ってあげるし、プンブンカン砂賊団からも逃げなくちゃなんないし」


「うん、そうする」


 そう頷いてティオは温かなお湯をゆっくり啜った。


「そういえば、ファントマトンって何?」


 言ったら言ったで速攻でベッドに潜り込もうとするウルリクに訊ねるティオ。


「あ、聞いてたの?」


 ウルリクは畳んだ毛布を広げてそれに包まってゴロンとベッドに横になった。それでも口は閉じずに喋り続ける。


「単なる昔話レベルのお話だよ」


 毛布から頭だけ出して子守唄を歌うように話し始める。


「月が隠れる深夜のこと。砂漠をさまよう浮き島にはオートマトンの亡霊が出る。その壊れた自動人形は、操縦者がいなくても暴走して無差別に人を襲い、浮き島の奥底へと引きずり込んでしまう」


 身体をよじって寝心地のいいポジションを探りつつ子守唄を続ける。


「深夜の浮き島には誰も足を踏み入れてはいけない。月が潜って重力も凪いで船が飛べないしね。でもあたしは浮き島で寝泊まりしてずいぶん長いけど、幽霊オートマトンなんて見たことないよ」


 そこまできっちり言い終えてから毛布にすっぽりと頭まで潜り込み、ひょいと腕だけを伸ばす。


「お湯飲んだら眠りなよ。カップは置きっぱなしでいいから。灯りのバッテリーはそこにあるから寝る時に外しといて。おやすみー」


 まるで重力嵐のようなお喋りがようやく過ぎ去って、ウルリクはすぐに寝息を立て始めた。ティオはお湯を啜りながら思った。ほんとによく喋る女の子だ。重力嵐が過ぎ去ったら速攻で眠りに落ちるし。

 やっと静かになった秘密のオートマトン工房で、ぽつり残されたティオは改めて小部屋の中を見回した。

 なるほど、さすがにオートマトン職人と自称するだけあって、よくよく見ればそこかしこにオートマトンのパーツが転がっている。どう使うのか見当もつかない工具も無造作に置きっぱなしになっている。すべてこの廃棄物で構成された瓦礫の浮き島で発掘収集したものだろう。

 その自動人形や道具類の群れの中に一際目立つパーツがあった。

 ティオの身体よりもはるかに大きな腕が、まるで眠り姫のように作業台の上で静かに横たわっていた。

 その右腕はオートマトンのものとしては少し小型だが、大の男一人よりもずいぶんと大きく、頑丈そうなシルエットを見せつけている。リベット留めの金属光沢が美しい表層をライトに照らされて、今にも動き出しそうな輝きを放っていた。

 巨大な右腕はウルリクの小さな手で丹念に磨かれてきたのだろう。輝く表面にティオの白い顔が浮かんで見えた。

 ティオはその右腕にそっと触れる。


「……やっと会えたと思ったのに」


 小さなつぶやきは、すでに眠りに落ちたウルリクには届かなかった。

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