第2話 重力砂漠の浮き島で 2


 ファントマトン。それは人の形をした人ならざる者の名。

 重力が壊れた砂の海には瓦礫の島々がさまよい浮かぶ。その漂う姿はまるで人類の衰退と滅亡を象徴する幽霊船のようで、三つの月がすべて隠れる深夜には失われた命を求めてファントムがさまよい歩く、と噂されている。

 それは先の人形大戦で人間の手によって生み出され、そして破壊されたオートマトンの亡霊だと謂われる。それは狂える科学者によって造られたリミッターの外れたロボットだと謂われる。それははるか東の果てより流れ着いた意識が混沌としたゴーレムだと謂われる。それは人を滅ぼすために創られた人の形をした人ならざる機械だと謂われる。

 いずれにしろ、おばあちゃんがベッドサイドで語ってくれたおとぎ話だ。夜の暗闇によく似合う怖い子守唄だ。浮き島は危険だから近付くんじゃないよ、と言って聴かせる教訓めいた昔話だ。


「いやいや、オートマトンのファントムだなんて、そんなわけないよね」


 ぽつりとつぶやいて、防塵ゴーグルを額に上げて防砂マスクを顎に下げた。ウルリクの赤銅色した素顔が夜の空気に晒される。ひんやりと冷たい。外の砂漠はもっと冷えてるだろう。

 もう一度だけゆっくり二度見してから、横たわる乳白色の少女に接近してみる。注意深く、恐る恐る飛ぶ。重力嵐が凪ぐ深夜域であっても、浮き島内部は偏位重力が未だ不安定なおかげでゆったりと浮かぶようなジャンプができる。

 ハンディライトの光の輪っかの中、ほんのりと淡く光る少女に近付くにつれて、彼女の正体がさらに謎めいてきた。

 肌と髪の色合いからしてラバナント人種ではなさそうだ。砂漠に生きるラバナントの民は赤銅色の肌にオレンジ色と灰褐色のメッシュの髪色が特徴だ。その少女の髪は夜よりも黒かった。そして肌は陽の光みたいに白い。

 透き通った乳白色の頬がライトを眩しく反射させるくらい近付いても、廃車のボンネットに横たわる少女はぴくりとも反応を示さない。

 ふと、少女の上半身に目が行く。サイズの大きな上衣に膨らむ胸は動いていない。思わず自分の平たい胸元を見つめるウルリク。重力が薄いせいで空気濃度が不安定で、ごわついた防砂ジャケットの上からでも小さな胸が上下しているのが見て取れる。


「死んじゃってる、かな?」


 可哀相だが、行き倒れのようだ。まだ蕾のような少女だというのに、重力砂漠に飲まれて遭難したのだろうか。

 何も重力溜まりの浮き島に行き倒れた死体が流れ着くのは珍しいことじゃない。近年のますます悪化する重力嵐のせいで、柱状砂漠で遭難する者の数は増える一方だ。浮き島を構築する廃墟群に漂流し、朽ち果てた搭乗者を乗せたままの廃船も少なくない。

 だがしかし、生きている遭難者となると話は別だ。廃船、廃墟群には生活物資が残されたままのケースが多少なりともあり、数週間滞在するのに何の問題もない豊富な水資源がそこかしこに眠っている。よほど過保護な箱入り娘でもない限り浮き島の中で行き倒れることはない。砂漠に遭難しても浮き島にさえたどり着けば何とかなる、とさえ言われている。

 あえて資源発掘の仕事場にしているウルリクのような人間もいるくらいだ。この少女はいかにも上品な空間で育てられた顔立ちをしている。身につけている衣服からして冷感砂漠には向いていない軽装だ。


「そういえば、プンブンカンのおっさんが何かを砲撃してたけど、ターゲットはこの子だったかな」


 深夜が訪れる前の夕刻の月夜。浮き島の外がやたら騒がしかったのを思い出す。プンブンカン砂賊団の貧乏船のエンジン音は独特だ。親分の拡声器越しのダミ声はやたら大きくって、おまけに偏移重力下での砲撃も下手くそとくる。うるさくてかなわない。

 ウルリクは改めて謎の少女の身体を確認した。砂賊団に追われる少女はいったい何者なのだろう。

 しなやかなボディラインがわかるぴったりとしたインナースーツを身につけて、それをゆるりとサイズの大きな砂塵防護服で覆っている少女。ウルリクが見る限り自分と同年代の、少なく見積もっても十代後半の年頃だ。

 古びたグローブとくたびれたブーツ以外に所持品は何もなさそうだ。防塵ゴーグルも防砂マスクも、それにバックパック一つも持ってない。食糧も水もなく、身体一つでこの浮き島に流れ着いて、安全な場所を探しさまよい、ついに廃車の上で力尽きたのか。


「それにしても、きれいな子」


 着崩した防護上衣からちらりと覗く身体は細く、手足がすらりと長い。ウルリクよりも背は高そうだが小顔でスレンダーな体型だと寝姿からでもよくわかる。小さな胸とくびれた腰の高さはラバナント人種には見られない特徴で、真っ直ぐな黒髪によく映える陶磁器のような肌の白さ。同性のウルリクから見ても羨ましくなるほどだ。こんな美少女が砂漠を彷徨っていたら、砂賊団でなくとも保護したくなるというものだ。


「こんなにきれいなのに、可哀相に」


 ウルリクは動かない少女を観察し続けた。

 透き通るような白い顔に傷はない。長い黒髪も艶やかだ。一見して健康そうに眠っているだけの少女。華奢な身体には特に傷もなく、砂で汚れてはいるが、防護服にもインナースーツにも破損は見られない。所持品一つなく、どうやってこの瓦礫の浮き島までたどり着けたものやら。

 少女の瞳の色は天空を映した砂漠の水溜りのよう。ラバナントの民が持つ灰色の目と違ってとても澄んだ空色をしている。ウルリクは少女の澄んだ瞳に心奪われて、深く潜るように覗き込んだ。って、そこではじめて少女と視線がかち合っているのに気が付いた。


「いやいや、生きてたの!」


 がばっと思わず飛び退く。

 謎の少女は慌てるウルリクをじいっと見つめて、むくり、静かに上体を起こした。ウルリクのハンディライトを眩しそうに見つめて、はにかむように甲高い声を弾ませる。


「あはは、迷子になっちゃった」


 重力砂漠をさまよう瓦礫の浮き島に隠れ住むウルリクは、異常重力の廃墟で迷子になった謎の少女を拾った。

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