第1話 重力砂漠の浮き島で 1


 砂漠の闇夜は深い。

 三つの月がすべて砂に沈む深夜と呼ばれる時間帯は、反射光がなくなるせいでひどく冷える。あれだけ暴れていた重力潮流もすっかり凪いで、浮ついた世界は落ち着きを取り戻す。瓦礫の群れに閉ざされた浮き島の内部ならばなおのこと真っ暗で静かだ。

 そんな穏やかな深夜。凪の重力の下で、砂丘に着底した浮き島に一筋の光がきらめいた。

 浮き島の探索者、ウルリク・サイデンチカはハンディライトの頼りない光の輪っかでどっぷりと深い闇夜を丸く切り取っていた。

 無造作に積み上げられた構造物の回廊が小さい輪の中に照らし出される。この嫌になるくらい静かな空間に、どこからか空気が流れ込むかすかな音が聞こえる。ウルリクは息を止めて、耳を澄まし、ゆっくりとライトの光を周囲に巡らせた。


「いやいや。みっけ」


 あった。あれだ。浮き島を構築する瓦礫の内壁に穴が空いていた。

 とんでもなく巨大な浮き島に、彼女の小柄な身体一つ潜れるかどうかの小さな穴。瓦礫の壁を貫通して、真っ暗闇の浮き島内部に外の暗闇を流し入れている。

 外が窺えるほどの穴ではあるが、浮き島の構造に影響を与えるほどの大きさではない。重力潮流に流された瓦礫の一つが勢いよくぶつかってできた衝突痕だろう。


「これくらいなら修理しなくてもいいか」


 ウルリクは穴から外の砂漠を覗き、穏やかな深夜の様子を窺った。想像以上に静かな夜だ。そして想像通り月明かりがなく、真っ暗闇で何も見えやしない。深夜ってのはそういうものだ。

 人が潜れる程度の小さな穴ならわざわざ補修して塞ぐ必要はない。むしろちょうどいい空気窓になるかもしれない。ウルリクはそう考えることにして、改めて自分の仕事場を見回した。衝突した瓦礫はどこへ飛んだのか。それと、他に何か壊れたりしたものはないか。

 重力砂海をさまよう瓦礫の浮き島。その内部は滅びゆく人類の遺構だ。次の世代へ引き継がれるべき構造物は異常重力によって歪められ、浮かび流され、重力溜まりに押し寄せる。

 重力崩壊以前の人工遺物や建築物が重力潮流に飲まれ、集積されて出来上がった瓦礫の浮き島はウルリクにとって仕事場であり、遺構稼ぎの発掘場であり、そして秘密の寝床でもある。ウルリクは人類遺構を発掘し、何でもいいから何か役に立ちそうな物を見つけてはそれを市場で売って生活の糧を得ていた。

 そんな大事な自分の家に何が突っ込んできたのか。穴は諦めるとして、どこかバランスを崩して壊れてはいないか。確かめておかなければ。ハンディライト片手に周囲を観察する。

 頭上に見える水資源運搬船は完全にへし折れて、上下逆さまに転覆していた。真っ平らな甲板がこの空間をちょうど天井のように支えている。ひしゃげたブリッジは浮き島の中心に向かって多層式住居コンテナの三角屋根に突き刺さり、水タンクから透明度の高い水がか弱い滝のように細々と溢れ出ている。

 ぐったりと歪んだかつて誰かが平凡に暮らしていた住居コンテナ。壊れてパーツが剥き出しになった加工機械類。転覆座礁して傾いたままいびつにへこんだ船舶群。それら人類の廃棄構造物がパズルのように折り重なって支え合い、自重でどっしりと固着されて、異常重力に閉ざされた空間。地面も空も見えない虚空は、まるでどこまでも続く廃墟で構築された無限の回廊。

 頭上、仰向けに倒れるくらい反り変えれば、ぽっかりと空いた空間が見て取れる。ここは瓦礫がひしめき合い、重力均衡が特に整っている。廃棄船の水タンクから垂れ流される水が細い滝となって無音の流れを作っていた。やがて深夜が明けて重力潮流が戻れば、浮き島は浮力を得て動き出し、異常重力がぐるり巡って滝は再び水タンクへと逆行して流れ落ちるだろう。

 ウルリクの手から放たれる一筋の光が真っ暗な空間を切り開く。細々と廃墟の奥底へと落ちる滝がキラキラとライトの光を乱反射させた。

 この空間は砂漠の浮き島でも貴重な水場だ。水が常に動いていて腐ることもなく、瓦礫に密閉されていて砂が混じらない。おまけに偏移重力の作用で細かい不純物がタンク内壁に固着されるのでそのまま飲み水にも利用できる。それがタンクいっぱいに満ち満ちているのだ。まさしく異常重力の砂漠に湧いたオアシスだ。この浮き島を縄張りに資源発掘とリサイクルを生業としているウルリクにとっては、彼女の生活に潤いと癒しを与えてくれる命の水だ。

 ウルリクは暗闇の水場にささやかな明かりを灯して目を凝らした。

 今夜の浮き島は妙にざわついている。

 偏移した異常重力のせいで瓦礫の軋む音が実際に響いているわけではない。重力が落ち着く深夜はいつも通りに静かだ。

 でも、今夜は特に静か過ぎて奇妙だ。この浮き島全体が、まるで夢見る少年がワクワクするような、まるで恋する少女がドキドキするような、そんな不確かで落ち着かない空気感に満ちている。

 こんなふわついた深夜には何かが起きる。


「そんな予感がするのよね」


 誰にいうとなくぽつりこぼした独り言も、廃墟船のひび割れた甲板に吸われて消えた。


「ねえ、誰か、いる?」


 ウルリクはハンディライトの照射範囲を拡大して水場の空間に大きな光の円を描き出した。

 ぼんやりと輪郭が浮かび上がる水資源運搬船の折れ曲がったシルエット。三角屋根の傾斜がほぼ垂直になってしまっている居住コンテナの影。乳白色の肌をした長い黒髪の少女が横たわる古びた廃車。絶妙な角度を保って斜めに寄りかかる何かの加工機械。音もなく流れ落ちてはライトの光を反射させる細い滝。よし、貴重な水場、異常なし。


「いやいや、待て待て」


 ハンディライトの光線をぎゅっと絞ると、壊れてひん曲がった車のボンネットに横たわる少女がぼわっとフォーカスされた。まるで少女自身が淡く光っているかのように。

 乳白色の少女はきめ細やかな肌にライトの光を反射させた。色を失いつつある瓦礫群と長い黒髪に包まれた白い顔がより一層浮かんで見えた。


「……ファントマトン?」


 思わず、ウルリクは忌まわしいその名を口にしてしまった。

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