重力砂漠のファントマトン

鳥辺野九

第0話


 ──人と、人の形をした人ならざる者とを分かつ百年に及ぶ人形大戦が終わり、はや五十年。




「オヤブン! 後方! 帯電砂丘隆起! 追ってくる、すごい追ってくる!」


「おうっ! 避けろ、避けやがれよ!」


 砂塵。

 砂色が生き物のようにうねり、大きく波打った。

 乾いた砂粒が重力潮流に巻き上げられて互いに擦れ合う。電気オルガンの壊れた音色のノイズとともに砂丘まるごと震え出す。振動が重低音を唸らせる。摩擦で激しい静電気が爆ぜる。無限に湧く砂粒が稲光を纏う。

 帯電した砂丘が獲物を求めて鎌首をもたげた。あの電気砂のうねりに飲まれたら、貧乏船の貧弱な電気回路などひとたまりもない。一瞬で焼かれてしまう。


「オヤブン! 右舷! 偏位重力観測! 揺れまくるぜ!」


「おうっ! 取舵! とーりかじ! 曲がりやがれ!」


 突風。

 重力潮流のベクトルがぐるりと急変した。

 砂の粒子を含んだ重たい空気は異常重力に翻弄されてしまう。重力の激流に引き付けられ、それは横向き一直線の砂嵐。砂丘を越えて飛ぶ船は右舷側に傾いて砂嵐へと落っこちる。

 いくら貧乏船とは言え直方体の船体は金属製だ。多少の砂礫がぶつかったぐらいではびくともしない。だが身体を守る耐塵ジャケットはそうもいかない。まるで極小サイズの雹に撃たれたようで、肌を1ミリも露出していないのにやたらと痛い。


「オヤブン! 船体平衡喪失! ブッ転覆するぞ!」


「おうっ! 傾くままに任せろ! ローリングでやり過ごしやがれ!」


 衝撃。

 重力に押されるまま空中を真横に落っこちる直方体の貧乏船が急激に傾く。

 ねじれ立つ柱状砂丘の宙空で、異様な角度に傾いた船体が軋み音をがなり立てた。重力潮流と落下砂嵐のせいで帆も舵も効かない。船室が直角にひっくり返る。甲板の船員も手摺りの命綱にしがみつくのが精一杯だ。

 落下砂嵐を突破する四角い金属の直方船は斜めにドリフトしながら宙空を舞い落ち、きれいに一回転して体制を整えようとするも、しかし今にも重力潮流に攫われそうで、いや、ほぼ持ってかれた。


「オマエら! 全方位観測しやがれ! 姿勢制御踏ん張りやがれ! 狙わなくていいからとにかく撃ちやがれ!」


 砲撃。

 空気を震わせる射撃音は重力潮流の脈動と帯電砂塵のノイズに揉まれてすぐに聞こえなくなる。二発目、三発目、初弾を追うが、すぐさまかき消える。

 榴弾の白煙が幾重にも連なって歪なカーブを描く。しかし目標には程遠く、見当違いの柱状砂丘へ吸い込まれていく。安物の榴弾はやはり推進力に劣る。砂の柱の引力に負けて獲物の影にも届きやしない。


「精密射撃不能! 砂の柱に引かれる! オヤブン、もったいない。もったいないよ!」


 爆炎。

 榴弾を飲み込んだ砂の柱の中腹が真っ黒く膨れ上がった。

 重力の渦にそそり立つ柱状砂丘。その砂の柱に飲まれた榴弾が炎と黒煙を爆ぜ散らかした。砲撃にえぐられてもなおねじれ続ける砂丘は周囲の空間に砂の渦を巻き起こす。砂まじりの爆風に晒されて直方船の傾斜がさらにきつくなった。


「撃ち方やめっ! 船が軽過ぎる! 砂を食え!」


 もはや曲芸飛行の域で傾いた直方船が転覆ギリギリのバランスで砂の柱をすり抜ける。


「オヤブン、ダメだ! 修理費ケチりまくったから船底の穴はそのまんまだ!」


 いかに重力帆は満帆と言えどもそれを支える船体が軽ければ意味がない。わがままな風と乱暴な重力に振り回されっぱなしだ。

 悲しいかな、日頃から船のメンテナンスを怠っていた直方船のバラストタンクは空っぽだ。大きな穴が重しの砂をすべて吐き出してしまっている。こんな軽い船体では重力潮流に乗るどころか飲み込まれかねない。あっという間にバラバラと爆散だ。


「前方1キロ、重力溜まり! たっぷり吹き溜まりまくり! あの女は浮き島に隠れるぜ! オヤブン、どうするよ!」


 鉄塊。

 重力潮流と暴風に流される爆炎と濃い砂色の塵の向こう側に、重力をものともしない巨大で黒々とした塊が姿を現した。

 偏位した重力の潮力均衡点に吹き溜まるのは砂だけではない。転覆、座礁、あるいは人為的に損壊された船体や廃棄された居住コンテナなど、人類が作った文明の痕跡が無残にも流れ着き、それらが押し合い圧し合いくっつき合い巨大な塊を形作る。重力溜まりには文字通り宙に浮く瓦礫の島、浮き島が生まれる。

 今まさに一台のエアバイクが異常重力を振り切って浮き島に取りつこうとしていた。


「上玉だ。逃す手はねえ。だがな、時間切れだ。月が沈む」


 夜更け。

 重力溜まりの巨大浮き島のさらに向こう、落花生型の大きな月が砂の海に沈む。あの全天を覆う巨大月が砂漠に潜れば漆黒の深夜がやって来る。夜はさらに気温が下がり、重力も凪いで船は飛べなくなる。どうしようもない。ここが活動限界時間だ。


「どうせ深夜の間はどこにも行けねえんだ。座標マーキング忘れんな! 明朝、太陽と月が登ったら狩りを再開すんぞ! さあ、帰るぜ!」


 重力帆を大きく膨らませて斜めに傾いた直方船は静かに進路を変えた。柱状砂丘を掠めるように重力場で加速して、音もなくその影が小さくなっていく。

 それを確認したエアバイクに跨る少女は小さく頷いて浮き島へ向けてアクセルを開いた。壊れた船と捨てられた住居、文明の利器の成れの果てが吹き溜まる異常重力の坩堝へと。

 重力溜まりに寄せ集められた瓦礫の浮き島は、砂漠に浮遊する人類の墓標だ。




   『重力砂漠のファントマトン』




 惑星クオ・リビュネには三つの月が浮かぶ。そのうち最大の月、マジャーリジャー・ムーンは二つの岩石が繋がったような落花生型をしており、大量の水を内包しているせいで不規則に自転している。

 最接近時には全天の三割を覆い隠すほどに近い軌道を公転しているため惑星に及ぼす潮力は凄まじく、異常な重力変化は偏移重力潮流と化して惑星表層を流れ荒らしている。クオ・リビュネに生きる人々はそれを重力嵐と呼んでいた。

 かつては平穏だった海の惑星クオ・リビュネ。マジャーリジャー・ムーンが軌道を乱して異常接近し始めてから、海は惑星の一部へ偏り、もう片方の陸地は乾き切った砂漠に変わり、重力は金属の塊が宙に浮くほどに乱れて、文明世界は崩壊へと突き進んだ。

 たとえ太陽が真上にあったとしても、三つの月が折り重なって日蝕を起こせば地表には暗く影に沈み、気温も急激に下がり、大重力嵐が発生する。

 太陽が姿を隠した夜でも月に反射した太陽光が地表を照らす夕刻の時間が永遠に流れる。

 三つの月が惑星の裏側に潜れば深夜と呼ばれる漆黒の闇が訪れる。月の引力は最大にまで膨れ上がり、人々を重く地表に縛り付けた。

 今日もまた、砂漠に重力嵐が吹き荒れる。地表の軽い砂は月に引かれて一つの巨大生物のように移動し、海は月の引力のまま斜めに盛り上がり地表から離脱して水の雲となる。

 後の世に、絶滅前夜と呼ばれる時代。

 廃棄された人工構造物は砂に流され、海に押し出され、重力の吹き溜まりへと流れ着く。それでも人が造った船は柱状砂漠の合間を抜け、重力帆に重力潮流を受けて空を渡った。人々は文明の復興を目指して、あまりに過酷な異常重力環境での生活を謳歌していた。

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