孤独と信用

 それから翌日。自作の用紙をもう一枚用意し、町へと出かける。知らない人に煙突掃除屋の現状について話すことは、もう慣れた。説明する時間は短縮出来たし、分かりやすく口に出ていると自覚もしている。後は納得してもらって、書いてもらうだけなのだが。


 ただやはり、悩みの種はその部分。幾らフィルトが頑張ったところで、煙突掃除屋の話を真摯に受け止めてくれる人と出会わない。

 それでも彼女は、放り出すわけでもなく、通行人に調印を求める。朝早くから訪れたかいがあってか、昨日一昨日と比べて調印してくれる人が増えた。


 それでも三、四人だったが、ゼロだった時を思い返せば偉大な進歩だった。この調子で目指すは、白紙一杯の名前の羅列。それを目標に、賛同者を探す。

 そして、そろそろ昼時。この時間帯は人の往来も少なく、調印者を探すのには適さない。昼休憩にと、家から持参したパンを咀嚼していると、覚えのある人影が見えた。


「あれって……」


 こちらが気付いたように、その人影もこちらに気が付いたようだ。連れていた女性と一言二言言葉を交わしたかと思えば、その人物はフィルトの下へとやってきた。


「久しぶりだな」

「はい。あなたこそ、お元気そうですね」


 顔に皺を作り、髭を蓄えたその顔には威圧感と迫力が備わっている。さらにその仏頂面も相まって、小さい子供ならば泣いてしまうだろう。本人には全くそのつもりは無いのだろうが、もう少し愛嬌を振りまくことを知った方がいいと、他人のフィルトでさえ思えてしまう。

 そんな彼。スートの煙突掃除を見学するためにあの日訪れた、気難しい老翁が、そこにはいた。


「お前、遊びに行ってもいいか聞いていたのに、あれから一度も来てくれなかったな。嘘はいかんぞ」

「え? あ、そのすみません。色々と、忙しくて……」


 険しい表情を絵に描いたような様相で、そんなことを言われれば謝るしかない。ともすれば言い訳をするなとさらに怒られそうな雰囲気さえ覚えるが、しかし老翁はその顔に似合わず、大仰に笑った。


「はっはっは。別に構わん。来てもらっても特別もてなせんからな。それに、私も私で忙しかった」


 振り返り、向かう視線の先には夫婦とその間にいる子供。どこにでもある普通の光景で、そしてそれは、老翁にただ一つ残されたモノだった。


「お前のおかげで今では日々が充実しているよ。やはり私は、寂しかったんだと、改めてそう感じた。お前が気付かせてくれなかったら、私は一生を、あの家に執着して死んでいたかもしれない。ありがとう」

「そ、そんな大層なことを言ったつもりはありませんから。単に思ったことを言っただけで、生意気だったって反省してますし……」

「反省することなどない。私は感謝しているのだから、お前はそれを素直に受け取ったらどうだ」


 不機嫌とまではいかないが、わずかに不服そうにそう言う老翁に、あの日の面影はない。角が取れて丸くなったような印象を受ける。依然変わらず、仏頂面ではあるが。


「それでお前はこんなところでパンを齧って、何をしている?」

「ええと、そうですね……」


 今度は、躊躇わなかった。話を聞いてくれず笑って済ませる人間はいる。けれど、そうではない人もいることは、昨日と今日で分かっていた。フィルトは気負わず、自分が今していることについて、煙突掃除屋が陥っている状況について、丁寧に話した。

 果たして老翁の反応は、同意と了承だった。


「ふむ。まああの煙突掃除屋には何かと世話になったからな。調印すればいいのか?」

「は、はいっ。……あの、信じてくれるんですか?」


 話を聞いてもらえないことには焦燥感に駆られるが、実際にすんなり受け止められてしまうとそれはそれで引っ掛かってしまう。その質問が可笑しかったのか、老翁は不思議そうに見やり、そして笑った。


「信用ならないだろう。人は簡単に信じてくれないからな、その気持ちは分かる。中には人の弱みに付け込む輩も多い。容易に頷けば馬鹿を見るのは信用した人間だ。でもな……」


 視線はフィルトから、背後にいる家族へ。何を話しているのかここからでは聞こえないが、仲良く談笑している風景が、視界に描かれた。


「人を信用するのも、そう悪くは無いよ。裏切られた時はそれはもう酷いものだが、その信頼が返って来た時、すごく満たされるんだ」


 目の前にいる人は、ものすごく偏屈で。そしてものすごく孤独で。でもそれは大切な人を失ったものからくる、一種の病気のような物で。そんな感情が、恐らくあの黒い煙を生んでしまったのかもしれない。

 今ではその黒い煙は、フィルトの中だ。


 孤独で偏屈。ピッタリなのかもしれなかった。けれどそれももう、過去の話。

 今では孤独ではない。何をするにしても一人で突っ走ってきた。それを孤独と言うのならば、その通りなのだろう。でも、一人で何でも解決するのは、終わった。手に持っているこの紙に、様々な人の名前を連ねて、力を貸してもらって。何かを成し遂げようとしている。

 人は、変われる。


「調印は終わったぞ。ほれ」

「あ、ありがとうございますっ」


 これで五人目。先は長いが、確実に達成出来始めている。表情を取り繕いながら、鼓動を高まらせ、立ち去ろうとした老翁と視線が合った。


「そうだ。これからどうするつもりだ? まだここで続けるのか?」

「え? はい、そのつもりですけど」


 フィルトの住む町の中で、この大通りが最も通行量が多い。人を集めるのならばここが適しているはずだ。それ以外の選択肢が、残念ながら思いつかない。

 不思議そうに首を傾げたフィルトに、ただ老翁はこう告げた。


「もっと人が往来する場所に行けばいいだろう。例えば、そうだな。麓の都市とかどうだ」

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