喧騒の中で

 ルガリア皇国にある三大都市。その一つ、山間にある都市からさらに郊外へ離れた場所に、フィルトが住む町は位置していた。年の瀬まであと数日を数えるばかり。人々の忙しさは、通りの往来から判別することが出来て、誰もが立ち止ることなく行き交っていた。民家が密集している地域だが、都市部からの帰宅者も多く、昼を越えて夕刻に差し掛かってもその流れは止まない。荷物を抱える人。忙しなく働いている人。親の苦労も知らず、遊び回っている子供たち。多種多様な住民がすれ違い、そして通り去って行く。


 その道の端。往来の邪魔にならないように煉瓦の壁に、フィルトは寄り掛かっていた。目的はもちろん、同意者の収集。親が編んでくれた外套と、首掛けを巻いて、寒さに身を縮こまらせながら、光景を瞳に映していた。


 手に持つ紙には、初めに記したフィルトの文字以外に何も書かれていない。歩き回りながら、すれ違う人全員に用件を話すものの、忙しさを理由に誰も足を止めようとしない。この町で最も人通りが多いこの道を選んで、忙しくない人を待って見ても、全員が路傍に立つ彼女に視線も向けず、通り過ぎていくだけ。話し掛けてもやはり相手にされず、ただ時間だけが過ぎていた。


「ちょっとぐらい話を聞いてくれてもいいじゃない……」


 小声で呟くも、誰の耳にも届かない。年の瀬が近いから仕方ないにしても、話一つまともに取り合ってくれないのか。身なりが怪しいことは認めるが、素っ気無くしてくれてもいいではないか、と。不満を心中で漏らすが、それで誰かが引っ掛かってくれるわけでもない。


 改めて、暇そうで話を聞いてくれる人が通るのを待ち続ける。

 そうして、行動と失敗を繰り返している内に日が暮れた。結局、誰にも調印を貰うことも出来ず、話しさえ聞いてもらえず、一日が終わる。通りの往来も途絶え始め、これ以上粘っても恐らく話を聞いてくれるような人は現れないだろう。


 溜め息を吐いて、紙面に目を落とす。書かれているのは自分の名前だけ。煙突掃除屋を助けたいという思いが、たった一つだけ形として存在していた。

 黒い煙を吐き続けるスートを思い出して、その手に知らず力を籠めながら、フィルトは一人ごちる。


「……時間もないけど」


 しかしそれ以上に、どうしようもない。人は通るがやはり忙しそうにその場から離れる。声を掛ける暇もない。

 これ以上時間を掛けると、母やスートも心配するだろう。黄昏色に染まる空を見上げ、息を吐く。

 今日も吐息は、黒いまま――


 その翌日。フィルトは再びその通りに来ていた。出掛ける際スートの姿を見止めたが、彼はいつも通りに平坦な表情のまま、咳をする。重く籠った咳は、昔、父が患っていたそれに似ていて。

 もう長くも無いのかもしれないことが、なんとなく分かってしまう。


 だからフィルトは無駄だと分かっていても、果敢に話し掛ける。どれだけ無碍に返されても足掻く。自分のことなんて、全く以て辛く感じない。そこに死はないから。死よりも遥かに楽で簡単なことをしているだけだから。

 急いでいる人の足を止め、そしてすぐにも断られる。

 それを繰り返しても、一向に進む余地が見られなくても。フィルトの心が折れることは無かった。


「そもそも忙しそうな人しかいないわね……。もっと暇そうな人――」


 朝早く出掛けて、通りに備え付けられた時計がもう昼過ぎを差していた。

 キョロキョロと辺りを見回すも、やはり昨日と同じように他人のことに構っていられない人ばかり。視線を向けても逸らされる。

 その中で、ふと視線を向けた先。忙しなく歩く人に紛れている、二人の女性が目立った。談笑しながらこちらへ向かってくる二人に、フィルトは声を振り絞り呼び止めた。


「す、すみませんっ」

「ん?」


 年はどれくらいか。顔に皺を所々に作っている二人は、会話を止めてフィルトに向いた。どちらも現在行き交っている通行人に見られる荷物は持っておらず、言ってはなんだが暇そうに見えた。

 この人たちなら、話は聞いてもらえるだろう。フィルトは紙を手渡し、その内容を話す。


 煙突掃除屋のこと。彼らが罹っている病気のこと。最終的に彼らはこの世から消滅するということ。それに対しての治療は存在せず、今も苦しんでいる人間がいるということ。全てを話した。誰も信じてくれないような、事実全部。

 人の息が黒くなっていることや煙突掃除屋が消える時、黒い煙となって消えることまで。名前や具体的な状況は伏せたが、包み隠さず本当にあったこととして、話し終える。

 その結果として得られた反応は、賛同では無く苦笑。反応に窮したような、そんな曖昧な表情を、目の前にいる女性二人はしていた。


「面白い話ね、あなたが考えたのかしら」

「え、いや。作り話じゃありません!!」

「将来は小説家か劇作家かしらね」

「だ、だから空想の話なんかじゃ……」


 取りつく島も無いという言葉がしっくりくる程に。二人はあっさりそれを流して、歩み去った。呆然と、ただ彼女らを見送ったフィルトは、口元を結び奥歯を噛み締めた。

 思い出すのは、彼の姿。


「……頑張らないと」


 そう呟いて、気を取り直す。

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