嘆願書

 嘆願書作りを始めた、と言ってもフィルトにそのノウハウがあるわけではない。参考にするのは怪しげな店で貰った、怪しげな本。そこに書かれている内容が唯一の手掛かりであり、最適な情報だった。

 一先ず、必要とされるのは望む事実を書いた紙。そこへ同意者の調印を貰い、集まった紙束を然るべき場所へと提出する。本当にそれが正しいやり方なのかどうかは分からないが、今出来ることを最善手として取り掛かる。自分自身の自己満足でしかないことは分かっているつもりだ。だからこそ小さな望みに縋ろうとしていた。


「って、言ってもね……」


 自室で作り上げた嘆願書は、フィルト自身から見ても酷い出来だった。紙面には訴えたいこととサインを書けるスペースがあるだけ。他は真っ白のキャンバスが広がっていて、虚しさと寂しさに満ちていた。

 さすがにこれを配って得られる結果は火を見るよりも明らかなので、東の国で起こったその詳細に詳しい人間に話を聞く。


「嘆願書作りを教えて欲しい?」


 ベッドの上。未だ体調が優れないスートが、オウム返しでそう言った。彼が倒れてからずっとこの部屋で療養を行っている。体調が優れないのならば病院に行けば良いという話だが、フィルトとしては彼を目の届かない場所には、あまり行かせたくなかった。

 そのまま、もう会えなくなってしまう気がするのだ。

 それに母も慣れているようで、何も聞かないでいてくれる。結果として今の状況が生まれてしまっていた。


「そう。前に骨董屋さんみたいなところで本を貰ったわよね。そこに嘆願書を作ってその国の規則を変えたっていう話が載っていて。だから作りたいの。東の国のことだし、知ってるわよね」

「そりゃあ知ってるが。何をするつもりだ? 嘆願書なんぞ作っても、突っぱねられれば終わりだぞ」

「うん。一応分かってるつもりよ。でも、やっぱり諦めたくは、無かったから」


 スートの瞳が、フィルトを射抜く。何を言わなくても、分かったのだろう。彼の視線は値踏みをするそれではなく、物事を見守るような温かいものに感じられた。

 やがてスートが溜め息を吐いて、頷いた。


「……良いぞ。俺も詳しくは知らないし、教えれることなんざ無いと思うがな。それでもいいなら、教えてやる」

「本当っ!? ありがとうっ」


 溜め息を吐いた時、彼の息は黒かった。今こうして話している間にも、刻一刻と浸食が進んでいるのかもしれない。黒煙がどういった仕組みなのか、詳しく知るわけでも無いが、病気が進行していても何ら不思議では無い。

 焦燥感に駆られながらも、確実に歩みだせた一歩を、フィルトは素直に喜んだ。


 そうして数時間。スートの尽力もあって出来上がった書面は、嘆願書と呼べるレベルにまで出来上がっていた。何を願うのか、何を嘆いているのか。分かりやすく伝わりやすく、紙面に描かれている。体裁も整っており、文字一つ一つがまともな文書に見せていた。


「どうかしら。これなら嘆願書としても、通用する?」

「ああ、問題無いだろう。お前さんは読み書きも丁寧で上手だからな。そこらにある形だけの嘆願書よりも余程完成しているはずだ」

「そ、そう……」


 スートが横たわる寝具の隣に置かれている机と椅子。そこに置かれる努力の結晶に視線を落とし、フィルトは顔を赤らめた。自分でも分かるぐらいには、顔が熱い。

 それは恋愛感情でも無く、尊敬感情でもない。

 正当な評価に対する、恥ずかしさによる照れだった。


 褒められることには、慣れていた。母の性格も特別厳格なものではなく、父もまた似たような性格で、風当りの良いことをすれば、相応の対価として褒められた。学舎に通っていた時も、郵便局で働いていても、怒られもするが評価もされていた。


 しかしなのに。スートに褒められて体温が熱くなってしまうのは、フィルト自身説明出来ない。だから、恥ずかしいのだと、自分でそれを誤魔化して。

 居た堪れなくなってついには立ち上がった。


「そ、それじゃあ同意してくれる人、探してくるわね」


 立ち上がった反動で椅子が音を立てて下がり、フィルトは出来上がった意見書を素早く回収する。顔は未だ熱を帯びている。それを悟られたくなくて、この空間からすぐにでも出て行きたかった。

 扉に手を掛け開こうというタイミングで、けれどその時耳にしたくない声が、部屋に響く。


「フィルト、お前さんが何をしたいのかこれから何をするのか、大体分かる。こんな俺のために、してくれていることなんだろうよ。それは、素直に嬉しい。ありがとうな」

「べ、別に……」


 また、否定。褒められて素直に喜べない。いつまでこんなことを続けているのか。口癖のように出てくる言葉に、嫌気が差す。いつもそうだった。誰かに褒められても、それを受け止めるのが何処か気恥ずかしくて。適当に、そんなことはない、と。正当な評価も自分自身の頑張りも否定してしまう。

 今まで気にも留めてなかったのに、今はそれがとにかく嫌だった。


「ただ無茶はするな。お前さんは自分を蔑ろにする傾向がある。自分のことをどうでもいいと思っているだろう。それは俺も、望むところじゃない」


 スートの表情に変化は無い。他人から見れば何を考えているのか分からない、そんな人間に違いなかった。

 けれど、似ている。感情を出す出さない、本音を言う言わない。それらの違いこそあれど。

 フィルトとスートは、同族だ。

 だからこそ、彼の言いたいことが分かってしまう。

 それに対して、彼のそんな想いに気が付かないフリをして。

 フィルトは真っ赤な顔色で、笑って見せる。


「大丈夫よ。あんたを、救ってみせるから」


 似合わない笑顔だと、自分でも思う。けれど誰かのために頑張るのは、慣れている。不釣り合いな感情を抱きながら、フィルトはその部屋を後にした。

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