第四章 私にできること
彼らを救う手立てがあるなら
曰く、煙突掃除屋は国が営んでいて、仲介として煙突掃除派遣事務局なるものがあるとのこと。
曰く、そこである程度の教養をなされた後、実践を積んでからようやく煙突掃除屋として活動出来るということ。
曰く、その段階で、自分自身に人権はなくまた命の補償もされていないと自覚させられるということ。
曰く、黒煙をある一定の量まで溜め込むと、身体と心が耐え切れず黒煙に侵されるということ。
曰く、その奇病は治ることなく。煙突掃除屋になった人間は死を受け入れなければならないということ。
それらを聞かされたフィルトは、思ってもみなかった事実に苦い顔をした。
救えると、そう意気込み。これ以上誰かが消えるのを、見なくて済むと。勝手にそう思い込んでしまっていた。
煙突掃除屋は助からない。
スートにそう言われ、途方に暮れる。
黒煙を取り込み過ぎれば人は煙となり、消える。それらが溜まった状態でも、体調を崩したり、気分が優れなかったりするようで、その辺りはフィルトにも心当たりはあった。
ただ、それが分かったところで、医者でも煙突掃除屋でもない彼女はどうすることも出来ない。特効薬があるわけでも、言葉で元気付けたとしても、黒い煙が煙突掃除屋の中から出て行くことはないそうだ。それらが出て行くのは、自分たちが消える時だけ。スートはそう言っていた。
明確な治療法が存在しない。
助けるつもりでいたフィルトにとって、出鼻を挫かれたどころの話では無かった。そもそもゴールが何処にも無いのだ。
圧倒的に、理不尽な事実。フィルトは思わず嘆息を吐いた。
息が、黒い。
改めてその奇病の存在を、思い知らされる。
「……どうにもならないけど、どうにかしないと」
対処法が無いからといって、何もしないでこのままでいるのは嫌だった。
また何も出来ずに関係が断たれるのなら。
無駄でも何でもいい、何か出来ることを。
家の中、扉の隙間から彼を窺う。スートは視線を窓の外へと向け、吹雪く景色を眺めている。
父と似ている。
それは言動などが似ているという話だったが、それ以外にも雰囲気が特に似通っていた。そこが父の部屋で、父が使っていたベッドということを差し引いても、スートはそっくりだった。
だから、必死になれるのか。
スートに尋ねられた時、フィルトは確かにそう言った。
父と似ているから、と。
本当にそれだけで。ここまで助けたいと、思えるのか。それは自分自身にも、整理がついていない事だった。
一先ずとして、彼に対する思いは置いておくとして。
とにかく療法を調べなければならない。
そう決めたが早いか、フィルトは外套を羽織り、家を出る。スートを家に残したままなのは、後ろ髪引かれる思いだったが、何もしないで彼を眺め続けているわけにもいかない。
幸い、雪は降っていなかった。冷たい風を肩で切り、目的の場所を目指す。
そうしてやってきた場所。知りたいことを、知れるモノが置いてある場所。
「え? あら。もしかして、フィルト? 随分久しぶりじゃない」
「お久しぶりです、先生」
学舎。およそ五年ぶりになる知の集積場へと、フィルトは訪れていた。
町の中心部。フィルトがかつて通っていた学舎は、そこにあった。
生まれて五年が経ち、入学金さえ支払えばどのような階級の人間であっても、等しく教養を身に付けることが出来る教育機関。町に一つの学舎は、初等部から中等部、果ては研究院まで併設されており、町の中でも多大な面積を誇るそれは、知の象徴でもあった。
そしてそれは、なにもこの町に限ったことでは無い。ルガリア皇国、どの町を見ても、学舎の存在は大きく、そして人々の叡智を集めた場所だった。
門前で掃除をしていた教諭に、彼女は恭しく一礼し、挨拶もそこそこに質問する。
内容は、煙突掃除屋について。
「煙突掃除屋が掛かる特有の奇病なんです。それを、どうにか治せないかなって、そう思っていて……」
「残念だけど、分からないわ。そんな病気があること自体、私は知らなかったもの」
「……そう、ですか」
張っていた力を、幾分落とす。それは、声にも乗り、溜め息を伴わせた。
期待はしていなかった。スートが言った言葉を全て信じるのなら、やはり治療法は存在しない。黒煙を無力化するには、誰かがその心の穴を埋めるしかないのだ。
しかしそれでは堂々巡り。治したとは言っても結局は当人がその病に伏せるだけ。現状の解決には至らない。
それでは駄目なのだ。
円満な解決とは、やはりならない。
それを探すために、こうして学舎にまで足を運んだわけだ。見つからないのは、承知の上だったが、しかしやはり、初めからこれでは先も見えない。
「……ありがとうございました。他をあたってみます」
教諭が知らないのなら、他の人に聞いても無駄だろう。そう判断したフィルトは踵を返す。次は何処に行くべきか。
やはり煙突層派遣事務局なるものに、直談判するべきか。などと思考を巡らせている彼女の耳に、呼び止める声が掛かった。
「私では分からなかったけど、図書館なら、なにか分かるかもしれないわ」
「図書館、ですか?」
歩みを止めて振り返る。
「ええ。私も全てを熟知しているわけではないけどね。この国の長い歴史から、それこそ医療の側面まで、多様な範囲をカバーしているわ。治療法が確立されていなくて、誰も知らないだけなのかもしれないし、昔に治療した記述があるかもしれない。可能性でしかないけど、あるだけマシでしょ?」
フィルトは首肯して返す。確かに、学舎にある図書館、そこの蔵書量は軽く数万を超える。その中になら、もしかすると黒煙に関する内容が書かれた本があるかもしれない。
途端、希望が湧いてくる。一度落ちた活力が、再び上がるのを実感出来た。
そこならあるいは、と、ふと視線を目の前に戻す。
「どうしたんですか?」
「いえね。久しぶりにあなたを見て、どこか思い詰めたような顔をしているから、心配だったんだけど」
教諭が笑っていた。気遣ったのような、苦々しい笑いでは無く。
それは五年前と同じ、人を安心させるための笑み。母のような、暖かいモノだった。
「元気そうで、良かった」
「……っ」
五年間。
学舎には顔を出さなかった。それは時間的猶予も無かったし、加えて顔を出し辛かったというのもあった。然るべき処置だけを済ませた後は、日常から学舎のことを切り離して生活していたのだ。
それなのに。長い時間が空いていたにも関わらず。
「あの。色々終わったら……」
「――分かってる。いつでも、私は待っているから」
戻れない、と。そう思っていたから。
例え体裁でも、形式だけの言葉でも。
教諭のその返答が、何よりも嬉しかった。
「ありがとうございますっ」
戻れる場所がある。それが分かっただけで、どうしてかこんなにも。
力強くその一歩を踏み出せる。
軽い足取りで、校舎を後にしたフィルトは、隣接している図書館へとそのまま足を延ばした。
建物に設えられた時計が差す現時刻は午後の四時。既に生徒の大半が学舎から下校しており、通り過ぎる生徒たちは疎らにしかいなかった。学舎から図書館までは一階部分で長い廊下で繋がっており、この時間から向かう人は少ないのか、その廊下もまた人通りが少ない。
フィルトは急ぐ足を止めることなく、目的の場所へとたどり着いた。
扉を開ければ、独特の籠った匂いが鼻にくすぐった。それは古い、年季の入った埃っぽい臭さ。数々の書が眠る、知識の匂いだった。
入り口に備え付けられた暖炉が、外気で冷えた身体を出迎えてくれる。見渡せば、既にそこは知の海。書物が大量に棚へ並べられ、色とりどりの背表紙が色合いを豊かにしていた。
「……ここなら」
見つかるかもしれない。声が自然と漏れていたことにも気が付かず、フィルトは書物を探し始める。図書館内部は当然のことだが、静まり返っており、まるで別空間に来たかのような、そんな感覚に包まれる。人はいない。入り口に設けられたカウンターに一人、若い女性がいるだけで、他にはフィルト以外、利用者は見当たらなかった。
フィルトは、区画分けされている棚を一つ一つ目で追いかけながら、奥へと進んでいき、目的のモノ、それに近しい題目などを片っ端から取り上げていく。
図書館は区画分けされており、大きなジャンルを一つスペースに設け、さらにその中で小さいジャンルを展開している。分かりやすいようで、フィルトのように医療だけではなく、歴史書を確認しなければならない場合は少し不便だったりする。奥に行けば、古い書物もあり、さらに奥へ入ると色褪せた本が目に飛び込んでくるも、こちらを手当たり次第に見ていけば、それこそ半年以上は掛かるだろう。
何が必要なもので。どこに情報があるのかを、見極めなければならなかった。
「……もう、こんな時間」
壁掛け時計が、六の時を差していた。
方々、散々探し回るも、見て回るだけで精一杯で、内容に触れる時間は最早無かった。
図書館の奥でそれでも足掻き回っていると、入り口にいた女性が顔を覗かせた。
「すみません。そろそろ閉館で……」
「……はい、分かりました」
申し訳なさそうに終わりを告げた女性が戻るのを見届けてから、フィルトは机上に目を向ける。そこには本が山積みとなって鎮座していた。多種多様、それこそ民間伝承から、国の歴史のようなものまで、この二時間足らずで集めた手掛かりになり得そうな本が、そこにはあった。
今日は一先ずこれらを借りて、家で調べてみよう。
フィルトは山になった書物をなんとか抱え、手続きを済ませた後帰路に就いた。
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