ウソの始まり
例えば昔の話。
まだ煙突掃除屋として右も左も分からない時のこと。遮二無二仕事へと取り組んでいたが、その効率は目に見えて悪く、気合が空回っては体調を崩したりしていた。
その度に同僚や時折会う先輩に頑張り過ぎだと諭されたが、それでもがむしゃらに歩き回っては、調子の悪い煙突を見つけると、そこへ飛び入るように向かって行った。それこそが、自分自身の唯一出来ることだと言わんばかりに。喜んで煙突掃除をこなしていた。
始めたばかり、どうしても失敗の方が数えてみれば重なってしまう。それでもその努力は、煙突掃除の方面ではなく、人々に宿る負の感情、その対処として有益だった。綺麗事を語りはするが、そこに芯のようなものが必ず感じられて、人は悪意を吐き出す。その性格が功を奏したと、そう言える結果が確かにあった。
周りもその熱意やら意気込みやらに気圧されて、何も言わなくなっていった。少し変わってはいるが、人の心に触れる事が出来ている。そう評価されたのも、煙突掃除屋になって間もなくのことだった。
それからというもの、やる気をさらに増した彼は、黒煙を取り除くためにひたすら邁進していった。
成長ではなく、邁進。人々を救うという目標に向かって、走り抜ける。それが煙突掃除屋の為すべきことであると、そう信じて。
だから、そんな彼が。先輩の死に出遭ってしまったのは偶然であり。必然だった。それによる心的被害も、認識の改めも。当然の成り行きで、予測出来得る結果だったのだ。全身から黒煙を噴き上げて、この世から文字通り跡形もなく消失する。そんな惨劇を目の当たりにして。動じないほど、強くはいられなかった。
いや、それ故に、何を感じてもいずれ無駄になると。そういった思考回路が生まれてしまったとも言えた。泣くでもなく喚くでもなく憤るでもなく憐れむでもない。いつものこととして、それを受け入れ始めなければ、壊れてしまうと悟った。
彼が出くわした場面は、それからも度々あってしまった。しかしやはりそれに対して、何かを想うわけでもなく。確かに僅かには感傷の余地はあったのかもしれないが。それを決して表情に映すことはなく、煙突掃除屋の性質だと割り切って、受け入れる。そして、その頃からだった。嘘を活用し始めたのは。
誰かを傷つけるような嘘は、それこそ吐いたことは無かったが、方便として使わざるを得ない嘘は山のように吐いてきた。
初めこそ、罪悪感というものに苛まれた。自分の一言で一喜一憂する人間が、少なからずいて、影響を与えているのだ。そのような人たちに対して騙し、騙るのはやはり気が引けた。
しかし人を救う。気持ちを軽くする。人心に住まう悪を抜くためだと、そう言い聞かせながら。虚実真実入り混じった言葉を、吐き続けた。それで実際に人が救えたかどうか、そんなことは本人でも無いので分かりかねたが、そう信じ込むことで、若くして様々な人の心を助けた。
そんな彼に、劇的な出会いがあったわけではない。
感動的な物語が展開されたわけでも無い。そこにあったのは、誰とも関わり合いにならない孤独。
独りになって、その身だけで戦い続ける救世主気取り。深く関わらない。時に話し、時に助け合うこともあるが。必ず一つの線を引き、それ以上は踏み込まない。そういう風に、生きなければならなかった。
だから、彼女と出会った時。
まるで鏡を見ているような、そんな錯覚に襲われた。他人を守るために、自分自身の身など顧みず。そうしてどう考えても有利でしかない申し出も。彼女はまず誰かの為に、考えた。
それが彼女の印象で。
それが彼女との出会いだった。
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