その甘さの中で

 その次の日。

 煙突掃除としての仕事を終えたスートは、立ち並べられた椅子に腰掛け、カウンターに置かれたココア、そこから立ち上る湯気をぼんやりと眺めていた。


 ここは何時ぞや訪れた茶店。この地方に訪れたばかりだと言っていたフレスと、再会を果たした場所だ。あれ以来、ここへは来ていなかったが、店主は憶えてくれていた。話し好きな中年男性と、正直に言ってしまえばスートは会いたくは無かったが仕方がない。今回は客としてきたわけでは無く、煙突掃除屋として尋ねていたのだから。


 掃除を終えたスートは、店主の計らいで飲み物をサービスして貰っており、それが今、彼がここに居る現状だった。


「どうしたんだ? 煙突掃除屋の兄ちゃん。早く飲まないと冷めちまうぞ。ただでさえ今日は冷えるんだからよ」

「ああ、じゃあ遠慮なく」


 形を描きそうで、何の型にもなっていない湯気を壊し、スートは一口啜る。甘い。それだけでなく、粉っぽくない。大抵甘さの中にくどさも残るものだが、そのココアは飲みやすく、口内を覆うように適度な甘さを広げた。


「いや、しっかしあんたが来てくれて助かったよ。うちの暖炉も一応商売道具だからな。壊れちまったら話になんねえんだ。暖まりに来てくれてる人たちだって、そりゃあ多くいるわけだからよ」


 上機嫌に、グラスを拭きながら店主は笑う。

 確かに、と。スートが視界を回せは、そこここにはカップやらグラスやらを持った客の姿が映る。その中には粗野な男たちだけではなく、主婦や年配の女性たちと言った、女性客も多く見られた。寧ろそちらの方が割合としては多いほどだ。

 町民にとって快適な集会場。この茶店は、スートにそんな印象を与えた。


「殊の外、良い場所だな」


 誰かに必要とされたいが為に建てたのか。それともその逆か。あるいはもっと即物的な考えの下か。いずれにせよ、人々の安らぐ空間を提供し、そして実際に人を集めている店主は、自分たちとは違う方法で、町民を救っている。本人にはその自覚がなくとも、今のスートにはそう映ってしまっていた。


 茶店を経営する、というものだけではない。人を救う仕事は多くある。それは医師や看護師などを筆頭に、警備隊や食物を売っている店まで。古今東西、人が生きるための術を心得ているのだ。こんなにも人を救ってくれる施設や人々がいるのに、それでも自分たちのような身を削って助けるような職がある。


 人間という生きものは。

 どれほど我が儘で、弱いのだろう。独りでは解決出来ない問題を抱え、それを救う。そのためにどれだけの煙突掃除屋が犠牲になったと思っているのだろうか。救われた側は何が起きたのか分からない。救った側はそれ以上その当人に関わらない。


 煙突掃除屋という人間は、何時の間にか現れて何時の間にか消えている。そんな煙のような存在でなければならないのだ。誰にも、覚えられないし、全員が同じ格好をしているので、業務的にしか接していなければ判別もつかない。

 誰も詳しく、思い出せないのだ。


「そうそう、煙突掃除屋と言えばよ」


 無邪気な顔色で、店主は威勢のいい声を飛ばしてくる。また長話かそれか質問攻めか。無視をするのも気が引けるので、溜め息を一つ溢したスートは、適当に視線を向けた。


「あの姉ちゃんはどうしたんだ? あの時一緒にいた美人さん」

「……あいつなら」


 案外、憶えているものだなと、感心する手前。どう応えたものかと、少しばかり思案する。正直に死んだと伝えるべきか、それとも生きていると嘯くか。こういうことを聞かれたことは無かったので、最善手が思い至らなかった。


「あいつなら忙しいみたいでな。慣れない土地だからか、色々頑張ってるみたいだよ」

「そうなのか、大変なんだな」

「……ああ、同業者ながら、そう思うよ」


 残っていたココアを一気に含む。随分と口が甘くなってしまった。窓から窺える光景は、朱光に染められた外界。何時までもここには居られない。そろそろフィルトも帰ってくる時間だろう。彼女は恐らく不機嫌な表情を隠すことも無いだろうが、それでも会わなければそれ以上の友好を深められない。


 嘘を吐いたって。

 それが看破されても。

 彼女のことは、救わなければならない。

 ずっとそうしてきたように。それが当たり前で。彼女の運命を変えないためにも。

 フィルトの孤独は、あまりにも危険過ぎる。


「あれ、もういいのか? 二杯目は?」


 立ち上がったスートに、店主が声を掛けた。

 話し好きな彼に構っている時間も無い。かと言って邪険にするでもなく、スートは銀貨を置いて足早に出入り口へと向かう。


「ココア美味かった。また、来るかもな」


 店主の反応も待たない。

 それだけを最後の言葉に、スートはその店を立ち去った。

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