彼女の心のその模様
翌日。
スートは昨日フィルトと出会った同時刻、黄昏時に同じ場所へやって来ていた。昼時に来ても彼女はいない。それは先日のことから分かっていた。勉学を見るという約束は既に霞と消え、朝夕問わず働くフィルトは、出会う前に戻っている。
ただその心に、それまでとは比べものにならないほどの闇を、抱えていることは除いて。
スートはと言えば、日中煙突掃除としての本業を果たし、黒煙もまた取り込んでいた。簡単なことでは無いが、時間を掛ければ応えてくれる。人に認められないといけないわけではない。つまり人の心に巣食う寂しさを、取り除いてやればいいだけの話だ。コツはいるが、人が関係を築く上で、当たり前のことをしていけばいい。
そうしてスートは闇を回収する。
それが仕事で、それが自然。
そこに恐怖や違和感は、全くなかった。
「……どうしてまた来てるのよ」
地面に座って待つのも如何なものかと思い、立ち尽くしたまま呆然としていると横合いから声が掛かった。ソプラノが印象的で、意識を惹く音色。調律された美声というわけではなく、甘すぎるあどけなさもない。耳に入る、その音は大人では無い無垢な少女の口調だった。
スートはその声に、振り向き言葉を返す。
「言っただろう。今日も来るって。俺はきちんと宣言してここに来たわけだ。返事はどうあれ、それをとやかく言われる筋も無いと思うが」
当惑したように、フィルトが見上げていた。
やはり今日もまた仕事をしていたのだろう。郵便局員の正装をした彼女は、相も変わらず深紅の髪を跳ね上げさせ、気の強い瞳を瞬かせている。
彼女の面持ちはコロコロと変化する。気分屋というわけではない。彼女の行動は一貫して、自分以外のため。ただ、それに伴う表情が、いちいち面白い。怒っていたと思えば赤面し、喜んだと思えば否定する。赤くなったり青くなったりと、見ていて飽きることはない。
それは今の彼女も同じ。
迷っていた表情が、柳眉を挙げたそれに変わる。
「いや、私の家だからとやかくも言うわよ……、ってそうじゃないでしょ!! 私が聞いてるのはどうして性懲りも無く来てるってところ!! スートは怖くないの!?」
顔を真っ赤、とまではいかないが、彼女の語気は強まっていた。その言葉に真意を乗せて、フィルトの顔は真剣な色に染められる。
彼女がスートを拒絶する理由。距離が詰められたと思った矢先に、フィルトが距離を広げた意味。
スートに分からないはずが無かった。
「フレスの一件を言っているのなら、お前さんは勘違いをしているな。煙突掃除屋が消えることなんて、決まっていて知っている。結末は変わらないからな。あれを毎回気にしていたら、仕事なんて――」
「そうじゃないわっ。私が言いたいのは、あんたが消えるのが……。自分自身があんな風になるのが、怖くないのかってこと」
「それは……」
言葉を詰まらせる。彼女は逃げている。もうこれ以上に、あのような惨劇を目の前で見ないために。スートとの接触を避けているのだ。それは彼女が優しいから、そして無意識的に自分を守るため。フィルトが取った選択は、理想の正答だと言えた。何も無理に傷付く必要は無い。守りたければ守ればいいし、逃げたければ好きなだけ距離を取ればいい。スートはそう考えている。
しかし。
それは飽く迄も彼と彼女が無関係ならの話だ。
黒い煙に巻かれておらず、煙突掃除屋ではない二人ならば。それでも問題は無かっただろう。
ただ違う。
彼女の心には、負荷が掛かっている。孤独で、寂しくて、黒くて暗い、そんな混沌が渦巻いている。
それを取り除かなければ、煙突掃除屋としても、一人の人間としても。このままでは終われない。
「怖くないな。俺はこの職業に就いた時から死への恐怖は克服させられていてな。それ以来、誰かが死ぬことに、自分が消えることなんかには特に、そういった感情を抱いて来なかった。煙突掃除屋は全員、死ぬことを覚悟した上で仕事してるわけだ」
嘘を吐く。
惑わす、騙くらかす、信じ込ませる、引っ掛ける、まやかす、誤魔化す。
そうして人に接してきた。どこに織り交ぜ、どこに織り込むのか。相手が何を信じ何を見抜くのか。人と話す際には、言葉を選んできたつもりだった。それが後の人助けに繋がるのだから。
前提としての嘘を吐く。それが彼の癖と言うにも及ばない、些細な趣味のようなものだった。
「またあんたはそうやって嘘を吐くのね」
だから、彼女がそれを見抜いたところで。
スートには痛手は無い。
「人の死に何も感じない人間が、人を救いたいなんて言うはずないでしょ。黒い煙だって、吸うわけないし。そうやって私のことを気遣ったつもりでも、分かるんだから……」
そう言うと彼女は、俯き歩いてその場を去った。自分の家へ。誰にも関わることのない空間へと、帰るのだろう。
その擦れ違い様。彼女が視界から消えたタイミングで、それは聞こえた。
「……もう、来ない方がいいわよ」
その言葉だけを残して、フィルトの姿はついに視認出来なくなった。
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