過去に視る

 案の定、町は人で溢れかえっていた。スートと見て回った時よりも、もっと多くの通行人が流れている。活気は以前よりも良く、今の時期が書き入れ時なのだろう。店の前を通る度に威勢の良い声が飛んでくる。


 別にフィルトはモノを買うつもりもないのだ。ただフレスがいるかどうか、店内を外から見ているだけで話し掛けられ、その度にしつこい勧誘を断る。それが十何件も続けば、さすがに堪えてきて、小休止としてフィルトは広場のベンチに腰を掛けた。そこにも買い物客らしき人々が集まっていたが、先程までのような喧噪は無く、久しぶりに落ち着いた心持ちになれた。


 暗幕を下ろしたように、空全体が暗く淀んでいる。町もその影響を受けていないわけでは無いが、無数の店の明かりがぼやけた暗闇を照らしていた。

 ベンチから見える光景は、買い物客が往来するものばかり。それは当然その通りなのだが、しかし家族連れで、父と娘が仲睦まじく歩いている様子は、少し羨ましく映った。


 一度だけ、父と町に来たことがあった。

 その時は母に頼まれたモノを買って、それから父の用事を終わらせた。

 フィルトとしてはただ付き合わされているだけで、面白くも何ともなかった。歩かされて、待たされて、町を楽しむ余裕も無かった。


『すまないな、フィルト。最後になったけど、何か欲しいもの、あるか?』


 今と同じように、ベンチに腰掛けていたフィルトに、大荷物を抱えた父が覗き込む。その表情はやはり、謝罪の色が濃く映り、申し訳なさそうにしていた。

 何かをしてほしいわけではない。何かを買ってほしいわけでもない。それはただの我が儘で、ただの傲慢だ。それでも、どうしたって不機嫌になってしまう。自分の心なのに、抑制が効かない。父が困っている顔なんて見たくないのに、もっと構ってほしいと思ってしまう。

 だから、素っ気無い返事をしてしまう。


 それが心残りだと言えば、その通りで。正直、父と過ごしていられただけで良かったのに。折角の休日を嫌な思いで過ごしてしまった。

 もっと、愛想良く接することも出来ただろう。目の前を歩いているあの親子のように、笑顔を絶やさず買い物だって、出来たはずだ。

 それが出来なかったのは、フィルト自身の感情が入ったから。本心が、浮かび上がってきてしまったから。


 親子を見送ると、胸に寂しさが去来した。雪が宙を泳ぐ中、寂しさと相まってさらに身体が冷え込む。

 手に息を吐き掛けて、温めようとするも黒いそれを見るとより寒々しさが増して、すぐに止めてしまう。

 視線はまた群衆に戻る。眺めていても、見知った顔を確認出来ない。ただあるのは、忙しそうに通り過ぎる人と、雑踏から上がる黒い靄。


「……ん?」


 フィルトはもう一度、焦点を黒いそれに合わせる。初めは、自分の吐いた息がこの場に残っているのかと思った。けれど明らかに距離も違うし、何よりそれは人の流れの中から上がり続けている。

 そして。


「――あ」


 行き交う人の流れ、その隙間から。

 見覚えのある黒装束の男が飛び込んできた。その姿は一瞬でしか映らなかったが、確かに煙突掃除屋の出で立ちをしていた。

 別人かもしれない。けれど、手掛かりも無いまま探すよりもよっぽど有意義なのではないか。

 人違いなら人違いで、今日はもう諦めよう。

 フィルトは一縷の望みに賭けて、遠くに見えたその男を追った。


 幸い、見失わずに追いかける事が出来た。人の流れが邪魔をするが、それでも動けない程ではない。

 ただ追いかけることに精一杯で、足を動かす。

 どれだけ歩いただろうか。やがてその男が、路地に入っていくのが見えた。すかさず、人に押し戻されながらもその路地に辿り着く。


 先日入った路地よりも、そこは狭く。比べて人の出入りが皆無だった。ただでさえ雲が光を遮っているのに、路地の暗さはその比では無い。

 路地は道が続いており、立ち入れる場所は他に無い。追いかけていた男の姿が無いので、さらに先に進んだのだろう。フィルトはさらに奥へと、足を踏み入れる。

 この前もそうだった。路地裏に入った瞬間、外界と切り離されたように、音が遠くなる。聞こえるのは、自分の息遣いと、歩く音だけ。他の音は一切近くから聞こえない。

 だからだろう。

 曲がり角を曲がる直前に、響く声を聞きとれたのは。


「あら、どうしたのかしら。こんなところに来るなんて」

「……っ」


 女性の声。記憶に新しい音色。病院で、興味深い話をしてくれて、どうでもいい話を優しく聞いてくれた、姉のような存在。

 そして今、探していたその人。

 フレスの声に、思わず足が止まっていた。

 さらに、聞こえるのは男の声音。これもまた、脳に刻まれた音。スートのモノだった。


「……いや、せめて見届けようと思ってな」


 その声はいつもと同じ。無感情で、起伏も無い。どこまでも空虚なのも、変わりない。ただ、何故か。

 フィルトにはそれが恐ろしく重く、冷たく聞こえた。


「よくここが分かったわね。これでも、誰にも知られないような場所を選んだのだけど」

「勘、でもないな。黒い煙が上がっていたからそれを追った。煙突から上がるモノと大差はないが、難しいことじゃない」


 会話は続く。二人の音程に変化は無い。いつか聞いた時のように、フレスは半ば呆れたように、そしてスートはいつも通り感情が読み取りにくいリズムで、お互いに交わす。

 折角見つけたのだ。

 ここで出て行かないと、今までの行動が無駄になる。

 非常に入り辛い空気だが、咎められもしないだろうと、一歩足を踏み出そうとした時。フレスの声が響いた。


「今日は、来てないのよね?」

「……誰のことを言ってるんだ?」

「惚けないで、フィルトちゃんのことよ」

「え……」


 足が、止まる。

 何故自分の名前がここで上がるのか。そんな疑問が一つ、亀裂のように心中に入り込んだ。


「……大丈夫だ。あいつは家だろう。クレアさんも退院したわけだからな」

「そう、それなら良かった」


 良い。何が良いのか。ここに自分がいない方が、都合が良いのだろうか。聞かれたくない話。秘密にしておきたい話題。これから繰り広げられるのは、そういう類のものなのか。

 誰にも問うことが出来ず、フィルトはその場で立ち尽くす。

 どうしていいのか分からない。聞かない方がいいに決まっているけど、それは何故か出来なかった。

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