路地裏の店

「よし、ようやく着いたぞ。リンゴか何かでいいだろうか」

「そうね。栄養もあるし、食べやすいと思うわ」


 少年と別れて。そうして辿り着いた果実店もまた人で賑わっており、リンゴを買うのにも一苦労だった。それでもようやく、当初の目的物を購入し、二人はその店を後にする。

 さて、当初の目標は果たした。あとは買ったものを母に届けるだけ。と、そこでフィルトはある建物を見つけた。人の往来が終わらない大通り、ではなく通行人が数えれるほどにしかいない路地。その奥にある薄暗い空間が、フィルトの瞳を捉えて離さなかった。


「どうした? 何処を見てるんだ」

「え? いや、何でも無いわ」

「……ああ、なるほど。あれが気になったのか」


 視線がその路地奥に向けられた。時折その路地に入る人間はいるが、そこに向かう人はいない。暗がりでそう見えてしまうだけかもしれなかったが、フィルトの眼にはとてつもなく怪しく見えた。

 だから特別行きたいと、そう思ったわけでは無かったが、気に掛かったのもまた事実で。

 フィルトが何かを言うよりも先に、スートが路地に入っていた。


「え? 行くの?」

「気になったんだろう。なら見てみようじゃないか。遠慮なんかいらないぞ」

「いや、別に遠慮してるわけじゃなくってね……」

「とにかく行ってみよう。フィルトもそうかもしれないが、俺も気になってきた」


 幾ら否定の言葉を並べても、スートが立ち止る気配はない。どんどん先行していく彼を、追いかける形でフィルトも路地に入る。

 路地に入ると先程の喧騒が嘘のように、遠く聞こえた。ただそれ以外には、大通りに比べて人通りが少ない、というだけの違いしかない。石畳や煉瓦で造られた家々等の景観は変わらず、清掃も行き届いていた。


 そして、そんな路地裏にある怪しい建物。辿り着いたそこは看板も無く、ただ、ようこそ、と書かれた張り紙がはってあるだけ。窓からは商品が並んでいるのが見えたが、外と中の明度差で詳しく認識出来もしない。かろうじて店であることは理解出来たが。

 いよいよその怪しさに拍車が掛かっていた。


「ね、ねえ。やっぱり止めにしない? 気になったって言っても、怪しいなって思ってただけで、そもそも立ち寄る必要なんて無いと思うんだけど……」

「確かに立ち寄り難い雰囲気を放っているが、店は店だろう。そんなに怖がる必要は無いんじゃないのか」

「べ、別に怖がってるわけじゃ……っ」

「よしじゃあ入ろう」


 間髪入れず、気付けば扉を開けたスートが店内に一歩踏み込んでいた。

 顔が引きつる。確かに興味はあるが、今ではその興味を恐怖心が上回っている。ただやはり、路地裏で一人残される気にもなれず。


「ど、どうなっても知らないわよ……」


 仕方なく、脅えながらもフィルトはそれに続く。

 外から見た時は、閉店しているんじゃないかと思えるほどに暗かったが、扉を開けてみれば、蝋燭によって作り出された明かりが中央に灯されており、外から見た時よりも遥かに緊張感が和らいでいた。

 店内には商品が並べられている。それはよく分からない棒から、変な形をした置物、色が濁っている液体が入った小瓶。果ては何が書かれているのか分からない書物まで。胡散臭いもの全てが、壁一面に並べられていた。


「骨董屋か。面白そうだ」

「ちょ、ちょっと……」


 戸惑っているフィルトを他所に、スートはさらに店内へと足を踏み入れていく。慌ててその後ろに追い付くが、結果的に店に入ってしまった形になった。背後で閉まった扉が、唯一の退路を断たされたような気分にさえなる。

 雰囲気は十二分に、これ以上なく怪しさに満ちており、異世界にでも迷い込んでしまったかのような錯覚に陥る。今この瞬間にでも、目の前にいるスートと自分とが離れてしまうのではないかと、そんな独特な空気が、この店にはあった。

 怖くは無かったが、離れるわけにもいかないので、フィルトはスートの外套を軽く摘む。心細いとかそういうわけでもない、断じて。


 キョロキョロと、彼に付いていくフィルト。骨董屋など入ったことも見たことさえも無かったが、置いてあるものは日常的に使うであろう壺や生活用品、それに食器類などが並んでいる。得体の知れないものが並ぶ一方でそれらも整列している光景を見て、フィルトの心は落ち着きを取り戻しつつあった。

 明記されている値段を除けば、店そのものに不満も無い。

 色々見て回っているスートに習って、自分も見てみようと、手近にあった書物を手に取ってみる。


「これって……」


 書かれていた言葉はこの国の言葉ではない。異国語で、半分ほどが読めない。けれどもう半分。先日スートから教わった言語を使えば、読めないことはなかった。

 表紙に書かれている言語、それは分かる。しかし紙をめくり、内容にまで及ぶと、専門的なことが書かれているのか、読めない言葉が多く出て来て解読さえ出来ない。それでも必死に読み解いていると、声が掛かった。


「ん? 気になるものでもあったか?」


 書物から目を上げると、スートの顔が近くにあった。いつもの無感情な瞳が、その眼に映る。


「なんだその本。ふむ、俺がいた国の言語だがこんな本見たこと無いな」

「……え? スートってこの国出身じゃないの?」

「ああ、言ってなかったか。俺の出身はここより東の土地でな。この国には子供の頃に連れてこられたんだよ」


 言いながらフィルトが開いているページを覗き込み、理解に努めているようだ。考え込むように手を口元に当て、唸っている。

 声も掛け辛いが、何時までもこのままというわけにもいかない。フィルトはスートに気を遣って囁くように声を掛ける。


「ね、ねえ。なにか分かっ――」

「いやー、お客様はお目が高いっ」

「――っっっ!?」


 背後で突如張り上げられた声に、心臓が潰れるかと思った。咄嗟に、持っていた本を放し、スートの背に隠れてしまった。それぐらいに、驚いた。その際に宙へ浮いた本は、スートがしっかりキャッチしてくれていた。


「ななな、なに!?」


 怯えながら、外套を掴み、背後から顔を出す。

 スートの目の前。白い髭を蓄え、無数の皺を刻んだ老翁が、杖を突いて立っていた。

 老翁はにこやかに、目尻に皺を作りながら、本とフィルトを交互に見る。


「いやあ、すみません。興奮してしまいまして。私、ここの店主でございます」

「……あんたは」


 スートの声が僅かに下がる。いきなり現れた溌剌とした老翁に、戸惑っているようにも見えた。初対面でこの挨拶は確かに、警戒してもおかしくないと、フィルトも思う。ただ黙って、成り行きを見守ると心に決めて、スートの黒い外套を握った。


「あれ? お客様。もしかして一度この店に来られたことがありますかね? それでしたらとんだ失礼を」

「……いや。全く知らないな、こんな店は」


 そうですか、と。店主が申し訳なさそうに言った。

 スートの感情は、見て取れることがままある。ほとんどやる気の無い様相の彼だが、呆れたり面倒臭がったりと、決して無感情では無いのだ。

 そして今はそのどれでもない。これまでにフィルトが見たことのない、声音だった。


「しかし本当に良いセンスをお持ちですね、お宅の娘さんは。見たところ十歳を超えたばかりほどの年齢なのに、その本を手に取るなんて」

「いえ、こいつは娘じゃなくてですね……」

「そうです。どうでしょう、お嬢さん。気に入ったのならそちらの本、差し上げますよ」

「……え?」


 スートという壁を通して、老翁から声を向けられる。まさか自分に話し掛けられるとも思っていなかった、というより話し掛けないで欲しかった。その驚きともう一つ。彼の言葉の真意に、フィルトの疑問が膨れ上がった。


「差し上げますって……」

「言葉通りです。中々買い取り手に恵まれませんで、そもそもお客様がここを訪れる事がなくてですね。その上その本に目を付ける方なぞ、ただの一人もおられませんでした。そういった意味で、私は差し上げると言ったのですよ」


 買い取り手に恵まれないのは立地と雰囲気が悪いのではないのか、と。思わなかったりもしないでもないのだが、口には出さない。


「本当に、良いんですか?」


 今度はスートだ。さすがに怪しいと踏んだのか、彼が放った言葉には、疑って掛かるニュアンスが含まれていた。

 しかしそれにも老翁は、笑みを崩さない。怪しささえ抱かせない表情が、逆に不気味だった。


「本は読まれないとその意味を成しません。ここにあるだけでは、無駄なんですよ。それなら誰かに、差し上げてしまった方が余程有意義であり、その本のためになります。なに、そっちの方が本も喜びます」

「……しかし」


 スートが振り返り、フィルトがその視線を受ける。

 どうしたものか。貰えるというのなら、貰ってしまってもいいのだが。何よりも怪し過ぎるのだ。話そのものに都合が良すぎるというか、上手すぎる。

 お互いに答えを出し渋っていると、老翁から声が掛かった。


「まあいらないというのであれば、話は別です。この本はまたここに埋もれたまま、その役割を果たさず朽ちていくだけでしょうから。誰にも読まれることなど無く、ただこの世から消え去るのです」

「…………」

「どうする?」


 どうする、と。そう言われても困ってしまう。興味はあるが、それ以上に何があるのか未知数だ。

 答えをそう簡単には、出せない。


「ここを営んで、初めこそ売れればそれでいいと思っておりましたがね。今や誰かの手に渡っていく、それだけで嬉しいんですよ。買い手がいないこいつらは、最早私の家族です。そいつらが興味を見出してくれたお客様に娶られる。それが生き甲斐となっているのです」


 その声は、優しく。その本を見る瞳も孫を見るような温かいものだった。


「もし不具合等がありませば、再度私の店に持って来てくだされば、大丈夫ですので。貰ってやってくれませんか」


 それがこちらに向けられた時、何とも言えないむず痒さに包まれた。

 この老翁は、もしかして本当に善人なのではないか。ただ引き取って貰いたいだけなのではないだろうか。

 しばらく考えてみるが、結論は出ない。けれどフィルトの答えは決まっていた。


「……わ、分かりました。それで本が喜ぶっていうのなら」

「――ありがとうございます。これで報われるでしょう」


 老翁は丁寧に、頭を下げた。

 何故だろう。買ったのならまだしも、貰っただけなのに。やはり何処か腑に落ちない。それは、その店を出てからも、もやもやと心中に蔓延っている。


「体良く、売れ残りを押し付けられたのかもしれないな」

「……どうかしら」


 貰ったその本をまじまじと眺める。

 それは緑の装丁で、背表紙は金具で留められている。いかにも年代物のそれを見ながら、しかし今更返すわけにもいかず。そっと紙袋に戻した。

 貰ったのだから早速帰って読んでみよう。

 フィルトがそう考えていると、音が鳴った。

 軽快な、小動物が鳴くような音。


「……」

「……」


 くきゅるるるるるるるるるるるるるるるるるる。

 もう一度、控えめにそれは鳴った。

 発生源は――


「フィルト、お前さん腹が減っていたのか」

「う、うるさいわねっ。確かに朝から何も食べてないけどっ」


 見る見る顔が紅潮していくのが、自分でも分かる。どうしてこのタイミングで鳴ったのだろうか。恥ずかし過ぎて、このまま何処か遠くへと逃げ出したくなってしまった。


「なら、ちょっと遅いが飯にしよう」


 時刻は既に三の時を回っている。二人は妙な雰囲気を放つその通りから離れ、大通りへと再び帰っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る