繁華街

「こ、これが金貨二十枚……? 一体誰がこんなもの買うの。いやそもそも、それだけあれば何月生活出来るのよ……」


 ガラスを隔てた棚、そこに並べられた宝石類を見て、フィルトは落胆の声を漏らしていた。

 ルガリア皇国には三つの大都市がある。一つが中心地であり、ルガリアの中枢である町。もう一つが海運で栄えた港町。そして最後の一つが、今フィルトとスートが訪れている場所だ。他二つの町と比べれば、その規模は小さく大した特徴も無いが、山間で採れた作物などを売買したり、中心部から距離のある離れの町、その辺りに住む人々は生活必需品の大概をそこで済ませてしまう。

 よって町はいつ訪れても人通りが多く、賑わっていた。フィルトが前回来た時も、その人の多さに辟易したほどだ。今現在だって、店内から見る大通りには人が多く行き交っており、紙袋に多くの荷物を入れ、抱えている。


「おい、何時まで見てるんだ。幾ら見てもその値段は変わらないぞ」

「わ、分かってるわよっ。誰がこんなもの買うと思ってるのよ。こんなただ光ってて綺麗なだけなものっ」

「……それ、今度言う時は店の外で言ってくれ」


 小脇に紙袋を抱えたスートに続き、フィルトはその店を出た。

 店内で温められた空気を背中に浴びながら、吹き付ける寒気に首を竦める。特別寒いわけでは無い。寧ろ陽が照っている分、いつもよりも暖かいぐらいだ。ただ人の密度と籠った店内の熱気との温度差で、体感として余分に寒く感じる。隣に立つスートを見ても、その寒さに外套に顔をうずめていた。


「なに買ったのよ?」

「ああ、ブラシとワイヤーを繋ぎ止めるためのリングを買った」

「え、それってこんな高そうな店で買ってるの?」


 フィルトは彼が担いでいる掃除道具を見る。確かにそれらを繋ぎ止めている金具は錆びており、見るからにボロボロだ。早急に変えた方がいいというのは、素人のフィルトでも分かった。

 ただ、つい先程まで訪れていた店は宝石店が営んでいる金具屋だ。どれを見ても価格は高く、金具一つ取って見ても、一週間食費が浮く。

 煙突掃除屋が使っているのは、そんな高級な部品なのだろうか。


「いつもはそれ専門の店に出向いているんだがな。お金なんぞ余らせていても仕方ないし、使えるうちに使っておかないとと思ってな」

「へえ、そんなものかしら。私なら生活費に回すけど……」

「まあ、その内分かるようになるさ」


 とりあえず、いつまでも店の前にいるわけにもいかない。二人は人混みに紛れるように歩き始め、何処へともなく人の流れに乗る。


「ねえ、今度はどこに行くつもり? またお高いところかしら」

「ああ、いや。今度は親御さんのお見舞い品を見繕うと思う。果実店かそこらが良いだろうな。フィルトはどこか行ってみたい店はあるのか?」

「ううん、私は別に。どうせ何も買えないしね」


 スートから離れないように、出来るだけ距離を開けず歩を進める。しかし、そうは思っても、色々と目移りしてしまう。何度か訪れたことはあるものの、やはりその機会は多くない。それに、見る度に変わるその町の様子は、何処を見ても何時みても飽きることはない。先程の金具店でもそうだったが、普段行かないような店舗を覗くのも、新鮮で楽しかったりするものだ。


「そうか。しかし、見るだけでも良いものだろう。寄りたい場所が出来たら、遠慮なく言ってもいいからな」

「うん、分かったわ」


 欲しいものが、今は考え付かない。宝石の類はその良さを見出せないし、食糧の類は家に蓄えもある。嗜好品はそもそもよく知らない。とりあえず今は、母の容体と今後のこと。それと今を楽しむ事で、精一杯だった。


「それにしても、凄い人ね」

「いつも多いが、今日は増して多いな。年の瀬が近いからだろう」


 通る人すれ違う人、それぞれが忙しそうに去って行く。多くの紙袋を持っている男性や、何も持っていない子供たち。パンや野菜を袋からはみ出させている女性や、最低限の紙袋を抱えている老夫婦。町は騒がしく、そして慌ただしく見えた。買い物をしている人も、見ているだけの人も、店員も誰もが。

 一年のこの時期は、忙しい。

 それはどんな人だって、そう。フィルトの家だって、年の暮は仕事もそこそこに、行事ごとに忙殺されている。その光景を町で見ることになるとは思わなかったわけだが。

 ただ、全員が全員忙しそうに通り過ぎていくわけではない。三大都市らしく、喧噪が飛び交い、祭りのような賑わいを見せている。それを見ているだけで、フィルトもまた気分が上昇する。町に出かけているという非日常、スートが隣にいるという嬉しさがそうさせる。ただその中でも、自分がこんなに幸せでいいのかという疑念が。

 彼女の心中に渦巻いていた。


「……んん? あれって」

「どうかしたか?」


 幸福になること、それそのものに疑問を抱いていたフィルトの視界に、それは映った。

 雑踏入り乱れて、常に状況が変化しているその中で。見覚えのある影を見かける。大人の通行人に紛れ全貌は確認出来ないが、近付きつつあるその容貌を見れば確信を持てた。

 思えば見覚えがあるとか、会った気がするとかそんなレベルでの認識では無かったりする。今では会うこと自体珍しくなってきたが、時折帰宅時に絡まれるのだ。学舎に通っていた時は、やれ勉強に関して競争心を抱き、運動関係に関しては勝負を持ち掛けられることも多かった。

 つまり、フィルトの目の前に現れた人物は。


「え? お、おお。フィルトじゃん」


 フィルトが学舎を辞めてからも度々顔を合わす、その少年がこちらに気付き、若干気まずそうに手を挙げた。買い物に来ていたのだろう、紙袋を抱えて近づいて来る。

 たまに話すと言っても、出会ったのは久々。確かスートと出会って間もない頃。自慢げに別の国の言語で話し掛けてきて、それから逃走していった。そのことは良く覚えている。

 そしてそれは、横にいたスートも同じらしく。


「なんだ、あの時の赤面少年か」

「げ、おっさん……」


 互いに憶えていた。少年は苦虫でも潰したかのような渋い顔で、対してスートは涼しい顔。彼に対して何も思っていないのだろう。ただスートと相対して、少年だけが慌てふためいている姿はどこか面白く。いつものように絡んできていた彼とは、また違って見えた。

 悪く言えば子供っぽい。


「あ、あの時の約束は……」

「ん? ああ、あれか。もちろん、喋っちゃいない。安心しろ」


 交わす会話の中で、少年が胸を撫で下ろした。スートが彼と出会ったのはこれで二回目のはずだが、いつのまに約束を契るほどに仲良くなったのだろう。


「ね、ねえ。何の話よ? 二人共、仲良かったかしら」

「ええっとな、いや、うん。何でもねえよ!!」

「ああ、お前さんには言えないことだ」


 疎外感を覚え会話に混ざろうとするも、二人が妙に結束していて、結局何一つ知ることも出来ない。珍しくスートがニヤついているのも気になる。

 何度問い質すも、返答は関係ないの一点張り。フィルトは諦め、というよりも飽きて、溜め息を吐いた。


「むう、もう分かったわよ……。気にならないって言えば嘘だけど、そんなに隠すんだから知らない方がいいってことだと思うし」

「い、いや、別にそういうわけじゃねえよ? ただ、タイミングが悪いってだけで」

「じゃあいつか分かるのね。まあ多分、いつになるか分からないけど、その時には忘れてるかもしれないから」


 何だろうか。少年と話していても、それがいつも通りという感じがしない。いつもなら、少年は自信過剰というか不遜なのだが、こうして喋っていてもその様子を見かけない。

 スートに弱みでも握られているのだろうか、しおらしく顔色を窺っているような応対だ。先程からも、チラチラとスートとフィルトへ、視線を往復させている。


「あ、あのさ、フィルト……」

「ん? なに?」


 口を開き、何かを言おうとしているのは分かった。ここは街の中心地、加えて今は何処もかしこも繁忙期。小声で言っていたのだとすれば、聞き取れない。

 そんな心配も杞憂に終わる。結局彼は、何かを言いかけただけで留めて、そっと視線をフィルトから逸らしただけだった。


「……何でもねえよ」


 本当に何も無い人間は、わざわざ話そうとする意志さえも示さない。そんなことぐらい、フィルトにだって、それに彼にだって分かっていることのはず。それでも話さなかったということは、どうだろうか。

 理由があるのかもしれなかった。けれども、それをフィルトが推察することは、出来ない。


「じゃあな、フィルト……と、おっさん。これ以上遅くなると母ちゃんに怒鳴られるからな」


 おっさん、という言葉にだけ語気が強かったが、結局彼は足早に、逃げるようにその場から消えた。


「何だったのかしら……? スートは何か知ってるんじゃないの?」

「ん、いや。二人共若いな、とだけ言っておこうか」

「なにそれ?」

「その内分かるようになるさ」


 疑問符を頭上に浮かべフィルトは首を捻る。しばらく歩いて、その意味を考えてみても、結局答えは見当たらなかった。

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