フィルト=プレフィ
「別に良いんじゃないでしょうか。あの子のためにもなりますし」
「そんなにあっさりで、良いんですかね」
家の中は質素というよりも簡素と言えた。
必要最低限の物以外は置いておらず、大きくも無い家屋だが、それらのおかげか中は広々としていた。少なくとも居心地が悪い、というような環境の家ではない。
少女の母、クレアと出会ったスートが通されたのは、居間だった。机と椅子、あとは暖炉が備え付けてあるだけで、特別目立つ要素はない。その暖炉にも、火はくべられておらず、その空間は屋内だというのにやけに寒々しかった。
「お金が無い、と言っても蓄えはありますから。煙突掃除ぐらいは頼めます。それにこの子にも好きなことをさせてやりたいですし」
「そうですか。分かりました。家庭教師、というわけではないですけど、勉学については俺が面倒見ますよ」
スートが斜め向かいに座る少女へと視線を移す。
何となく気まずかったのか、顔を逸らされてしまったが、出会った当初のように口うるさく言われることはない。
母親の手前だからということもあるだろう。少女は煙突掃除の話を含め、会話が終わるまで終始しおらしかった。
「もうこんな時間ですか。そろそろ帰りますね」
壁掛け時計が差す時刻は、七の時を回っていた。スートが立ち上がり、向かいに座っていた親子も立ち上がる。適当な挨拶を済ませ、玄関を出たところで、少女に呼び止められた。
「……どうして、あんたここに執着してるのよ」
先程のようなしおらしさはない。あるのは彼女らしい、強気な口調だった。
「執着、してるか?」
「してるわよ。別に無理に私の家じゃなくてもいいのに。それなのにわざわざ家庭教師までやらされる羽目になって。何が目的なのよ」
「……怪しいか?」
冬の夜は早く訪れる。外はすっかり帳が降りていた。玄関口に吊るされたランプが、二人の姿を映している。
「その……、怪しくは無い、と思うんだけど。何て言うか、どうしてそこまでしてこの家にこだわるのかなって」
「なるほど、そう見えなくもないか」
実際初めて行く家に対して、スートは何度もその家を訪れる。それは信頼作り、そして顧客の定着を図るためだ。
それが、彼女からすれば特別この家に入れ込んでいると、そう見えるのかもしれない。スートとしては今回もそのつもりだったが、しかし何もそれだけでこの家の煙突掃除を申し出たわけではない。
本心は別にあった。しかし、それを少女に告げるようなマネはしない。
「まあ意地だな。何が何でもこの家の煙突を掃除してやるってな。そんな意地汚い根性のたまものからだな。特に理由は無いよ」
スートは適当に嘯いた。しかし少女の顔に渦巻く曇りは、取れない。
「ウソ。あんたそんな性格じゃなさそうだし、適当に済ませてればいいって思ってそう」
「そんなことないさ」
やはり完全に騙すことは出来ないらしい。芝居掛かった笑みを見せても、少女は懐疑の視線を逸らさない。もっともらしい内容でなければ、引き下がってくれそうにもないので仕方なく、スートはその理由を述べる。
「……本音を言えば、お前さんのことが少々気に掛かっていてな。見極める必要があったんだ」
「ふーん。そう……、――んん? え、私のことが気に掛かるって」
「言葉の通りだな。さて、質問には答えたから、俺はもう帰らせてもらうぞ」
「ちょ、ちょっと――」
既に歩みは止まらない。止めることも出来たが、面倒なことになりそうなのでそれもしない。何やら後ろで喚いているが、それでも無視して歩き続ける。
「…………」
背中にぶつけられる音が消えた。ようやく諦めたのだろう。そう思い背後を見れば、少女は未だそこに居た。
夜でも分かる程に顔を紅く染め、恨みがましい瞳で、スートに視線を注いでいる。
「おい――」
「フィルト!!」
「……ん?」
声が闇に溶けていく。しかしただ強く、少女の声は辺りに響いた。
「フィルト=プレフィ。それが私の名前だからっ。お前さんなんて、呼ばないでよね」
フィルト。
それが少女の名らしかった。今更名前を伝えるのも恥ずかしかったのだろう。未だにその手は、強く、裾を握り締めている。
その様子もまた、年相応に微笑ましく。
スートはそこで微笑を漏らした。
「ああ、もう呼ばない」
言葉はそれだけ。すぐにそれは闇夜に消え、形を失っていく。
しかし。二人の距離は確実に、縮まっていた。
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