北方の国、喫茶店にて

「あら、スートじゃない。こんな所で会うなんてね」


 ある地方の喫茶店。大して賑わってもいない店内に、ある女性の声が響いた。名を呼ぶその声に、男はマグカップ片手に振り返る。

 顔立ちは年相応に大人びており、体躯も要所に女性らしさが目立つ。間違いなく目を惹くような美人だと言えたが、服装含め、黒一色に統一された容姿が、その美しさを打ち消していた。

 椅子が並ぶカウンター、彼女は当然のように男が座るその隣に腰掛ける。


「半年ぶりぐらいか。調子はどうだ?」


 スートと呼ばれた男は再び姿勢を戻し、隣に座った女性へと尋ねた。


「どうもこうも。こんな仕事なもんだから、最近調子悪いのよ。そろそろ潮時かもしれないわね。ああ、すみません。ホットミルクを一つ」


 人懐っこそうな店主に注文を済ませ、女性は「あなたは?」と、会話を紡ぐ。スートはココアを一口含み、喉を潤して応えた。


「同業者なんざ、どいつも同じさ。俺達は人のために働いて、人のためにその身を費やす。この職に就いた時点で、全快とは程遠いだろ」

「それじゃあ、あなたもあまり良くないのね」

「……どうだろうな。恐らく蓄積してるんだろうが。なにしろ疲労みたいに直接感じられるもんでも無いからな」

「相変わらず言葉を濁すのね。そういうところ、嫌いだわ」


 店の扉が開き、客が入ってくる。同時に入り込んできた寒風に、身を縮め、そして一気にココアを飲み干す。

 季節は冬。年中冷え込む土地柄で、さらにこの時期になるとその寒さは氷点下にまで近づく。幾ら防寒具を着込んだところで、寒いものは寒く、耐えかねた男は二杯目のココアを注文した。


「ところで、どうしてあなたがここにいるのよ。もしかして仕事かしら」

「もしかしなくてもそうだろう。元からこの辺りを拠点にしてるからな。俺からすればフレス、あんたがここにいることの方が不思議なんだが。都会の方で仕事してたんじゃなかったか」


 今男達がいる喫茶店は、国の中でも田舎に属する地域だ。都会と比べれば自然が所々に点在し、家々の間隔も十分に開かれている。故に、住人の総数は都会と比較すれば、圧倒的に少ない。それはそのまま、給金にも影響が及び、より多く稼ぎたい人間は都会の方へと進出する。

 隣にいる女性もその一人だった。


「良いじゃない、たまには。気分転換よ」

「まあ別に、とやかく言うつもりも無いさ。ただ、都会と同じような報酬金額が貰えると思うなよ」

「平気よ。私はそれほど、お金に執着していないし。煙突さえあれば、仕事が無いわけじゃないんだし。最悪麓にある町に降りればどうにかなるでしょ。まあ、その辺りはどうだっていい。あまり考えないことにしてるのよ」


 言い終えたタイミングで、店主がマグカップをカウンターに置いた。彼女が頼んだホットミルクからは湯気が立ち込め、スートの鼻孔をくすぐる。


「まあここであったのは偶然だけど、割とこれからは会うかもしれないわよ。私、この辺りで仕事をするつもりだから」

「気分転換なんじゃなかったのか」

「しばらくしたら戻るわよ。戻れたらだけど」


 言いながら、出されたマグカップを手に取る。女性は数回息を吹きかけて冷ました後、それを一気に摂取した。

 その飲みっぷりは大したものだが、中身はミルクだ。スートは呆れた調子で、その様子を流し見る。


「おいおい、一気飲みは身体に悪いぞ。それともなんだ、急いでるのか」


 満足そうな顔をしている彼女は、空になったカップを置いて立ち上がった。


「急いでるってわけじゃないんだけどね。こっちに来るまで時間が掛かったから、疲れてて。早く宿でも見つけてゆっくりしたいのよ」


 この土地は田舎と呼べる程度にはそこかしこが発展しておらず、場所は山間部に位置している。都会から来るだけでもそれなりに時間を要するはずだ。彼女が使った交通手段など知らないが、馬車なら十時間。徒歩なら休憩無しで三日と半日掛かる。

 辿り着いたばかりなら、相当疲労も蓄積しているだろう。


「それじゃあ、また何処かで会いましょう」


 カウンターに銀貨を置き、女性は颯爽と立ち去った。扉が開き、そこから再び冷気が店内に流れ込む。

 寒さには慣れない。特にこの季節の外気は、身に堪える。

 スートが身体を震わせたその動作に合わせたように、注文の品が目の前に置かれた。


「どうも」


 店主に礼を告げ、一口それを口に含む。冷えて固まった心が解けていくように、隅々にまでその熱は行き届き伝わる。そこでようやく、一息つけた心持ちになれた。


「美味しいかい? 当店自慢のココアは」

「え? ああ、美味しいぞ。おかげで身体全身が暖まったし」


 カウンターを挟んで、笑みを浮かべている店主に、スートは嘘一つ無く告げる。


「いや、頼んでくれた方が売り上げも上がるからな。俺も助かる。……ところでよ、あんた。あの姉ちゃんも含めてさ、煙突掃除屋か?」


 店内に設けられた暖炉、そこにくべられた薪が爆ぜる。当然、その暖炉からは煙突が伸びており、屋根から飛び出るように天を衝いているだろう。

 その存在を十分に思い出してから、スートは首肯して返す。


「そうだが……、なんだ? 掃除でも頼みたいのか?」

「いやあ、俺の店の煙突は先日掃除したばかりだからな。そういう話じゃねえんだ」

「……? じゃあただの興味本意で俺達のことを聞いたってだけか」


 仕事の話では無いらしい。スートは残念そうに肩を落とし、再び暖炉に視線を向ける。


「まあ見たところ調子が悪いわけでもないからな。不眠不休で使ってもあと二月は保てるだろう」

「ああ、あんたらのおかげでな。それでよ、何も別に意味なくあんたに声掛けたわけじゃねえんだ。興味本意って言えばそりゃあそうだろうけどよ。あんたら煙突掃除屋に纏わる、ある噂についてなんだが……」


 言い難そうに、しかしそれよりも好奇心が勝っているかのような表情で、間を開ける。

 噂、と言えばどういったものだろうか。スートはあれこれ考える。

 触れれば幸せになれるとかそういった類の都市伝説かもしれない。煙突掃除屋に触れれば幸せになれる、という噂は、この国中に広まっているらしい。当然スートにも、先程立ち去った彼女にも、そのような効力は宿っていない。

 飽く迄も噂であり、飽く迄も迷信だ。

 きっと彼が訊きたがっているのもそれだろう。あまり関心を抱かずに構えるスートへ、やがて店主は耳打ちするように、囁いて訊ねた。


「あんたらってさ、煙突から出てる煙の色とか細かいレベルで判別出来るって聞いたけど、本当か?」

「そんなことか。出来るぞ、綺麗なグラデーションに見えて、はっきり区別可能だ。それでどの家が不調かどうか見極めるからな。これが無いと正直話にならない」


 囁いて話すような内容では無い。スートが声の大きさを戻すのに合わせ、店主もまた声の調子を戻した。

 随分と話たがりな店主もいたものだと、二杯目のココアに口を付ける。その間も、何がそんなに珍しいのか、チラチラとこちらに視線を注ぎ、仕事をこなしながらも目の前の男は、煙突掃除屋としてのスートと会話を続けようとしていた。


「しっかしどうして煙突掃除屋になろうと思ったんだ? 他にも職は選びたい放題だろうに」

「……まあ好きでなったわけではないからな。その辺りは察してくれると助かる」

「おお、悪かった。つい癖でな。俺は好きでここに店を構えてるからな、どうしても不思議でよ」


 謝罪の言葉を耳に入れ、暖かいココアを再び飲み干す。

 やはりこの季節はココアに限る。外はまだまだ寒風が吹きつけているだろうが、身体の内から暖まっている今動くのがベストだろう。それに何時までもここに居座っていては、また店主の話に付き合わされてしまう。

 スートは銀貨をカウンターに置き、コートを羽織り立ち上がる。


「ごちそうさん。美味かった」

「どうも。こちらこそありがとうな、質問に答えてくれてよ。……ああ、そうそう。もう一つ聞きたいことがあったんだ」


 本人に悪気はないのだろうが、スートも流石に苦笑いを浮かべてしまう。もうしばらくはこの店に入ることも無いと心に決めながら、スートは振り返る。

 どうせまたも大した内容ではないのだろう。

 当たり前だ。煙突掃除屋という仕事について、その本質を誰も知らない。


「人間から出る煙まで吸っちまうって噂があるんだが、これも本当か?」


 そう。だから。

 煙突掃除屋という仕事に憧れる人間というのは少ないし、望んでなれるものでもない。

 スートは店主の言葉を聞いて笑い、そして少し間を置いて返す。


「さあ、どうだろうな」


 木製の扉を開く。冷えた風が全身を覆い包み込む。

 世界は一面の冬景色。白銀の床が陽の光を跳ね返す。

 その風景に溶け込むように、煙突と煙が天に向かって伸びていた。

 空はどこまでも高く、煙がたなびく。木々はその葉を枯らせ、空気はその温度をさらに落とす。

 ここは煙突映える国。真実に満ちた、煙霞の国。

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