人の命は煙霞と儚く

秋草

序章 人の命は煙霞と儚く

冬だから

『人の命は煙霞と儚く、されど天へと舞い上る』

 父が言っていた口癖だった。

 当時七歳の少女には、何のことだかさっぱりで、尋ねても意味は分からなかった。


「つまり人は死んだら煙になるってことね!!」

「そういう意味では無いかな。けれど、間違ってはいないね」


 父に褒められ、少女は嬉しそうに笑みを浮かべる。

 父は寝たきりになっていた。何処が悪いのかは、少女は知らない。ただ頻繁に医者が家に訪れるようになり、その数に比例して父がベッドで寝ていることは多くなっていた。

 病気のことを訊いてみても、はぐらかされる。ただ曖昧に笑って見せるだけだ。

 病気は恐らく、悪化の一途を辿っているのだろう。咳き込んでいる父の様子を、少女は何度も見ていた。

 その時に黒い何かを吐き出しているのも、この眼で見ている。

 そのことを尋ねても、教えてはくれなかった。


「ねえお父さん。ずっと居てくれる?」


 ある日、そんなことを尋ねた。


「どうしたんだ、急に」


 父は目を丸くし、何かあったのかと少女を見る。


「ううん。ただ何となくそう思っただけだから」

「そうか、大丈夫だよ。私は何処にもいかないから」


 そう言って父は少女の頭を撫でた。時期が冬だったからだろうか、冷たくて重い手だった。異常に、そのことだけははっきりと覚えていて、今でもその感触は思い出すことが出来る。

 その翌日だった。

 父がこの世を去ったのは。

 少女が実際にその場にいたわけではない。学舎から帰ってきて、母からそう聞かされたのだ。父の亡骸は、既に葬儀屋に運ばれたらしく、家には、いつものベッドの上には、父の衣服だけが残されているだけだった。

 その瞬間は、泣かなかった。泣けなかったのだ。突然、姿が消えたことへの驚き、実感の無さ。初めに少女の胸へ芽生えた感情は、それだった。肺に入り込む空気は冷たくて、それが全身へと巡り満ちる。身体が重くなったような気がして、そうしてようやく涙が混み上がってきた。

 それは今でもそうだ。時折感傷に浸り、涙が零れることはあった。

 五年後の今では母との二人暮らし。何とか生活出来ていた。そして忘れないように、今でも少女は思い出す。

 ある年の冬のこと。

 昔の記憶。

 在りし日の親子の光景。

 五年前の、出来事を。

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