一歩
「これが僕が無風部に入って一番最初に解決した事件の事の顛末だ」
窓の外を見ると、もう暗い。長く話しすぎてしまったかもしれない。万が一の場合も考えて、叶原と好川先生に許可を取っておいて助かった。僕の前で後輩はうーんと伸びをした。一、二時間ほどぶっ通しで話し続けていたから、僕も彼女も疲労感がたまっているんだろう。言葉にして思い返してみると、色々な事があった。最近は立花先輩にも会っていない。近いうちに会いに行った方がいいかもしれない。
そんな事を考えていると、彼女が何か考えているようだった。
「どうしたの?」
「先輩、幾つか気になる事があるので聞いてもいいですか?」
「まあ、いいよ」
彼女は矢継ぎ早に質問を浴びせた。
「立花先輩はどうなったんですか?」
「退学したよ。今は懲役を受けてる。僕らが卒業するころには、出所するんじゃないかな」
「山岳部と裁縫部はどうなったんですか?」
「盗まれたものについては山下先輩が補填したよ」
「学校の備品は?」
「あの後補充されたよ」
簡単に答えることは出来ていたが、次の質問に関しては何も答えることが出来なかった。
「あの扉は?」
あれから一年が経った。あの扉の話は何回か話題にも上がった。調べる必要性に迫られた場面もあった。知り合いの大人たちにも聞いてみた。それでも…………。
「何も分かってない。昔からあったことぐらいしかね」
「入ってみなかったんですか?」
「入ってみたけれど、凸凹の正体は分からなかった。壁を崩すわけにはいかないし、覗き込めるほど広くもない。ほとんど分かったことはなかった。立花先輩も同じような事を言っていたよ」
まったく、どうやってあの人は解き明かしたんだか。聞いても素直に教えてはくれないだろうし。自分で解き明かすしかないってことか。面倒くさいな。
後輩は、今度は好奇心からの質問…………というよりかは問いをしてきた。
「それで、私が先輩に話をするよう頼んだ理由は分かりましたか?」
「予想はあるけど、確定はしてない」
「確定はいらないんじゃなかったんですか?」
「少し、ね」
僕がここで言うつもりはないことぐらい、分かっている癖に。僕は少し、反攻をしてみたい気分になった。俊徳のような、にやけづらを浮かべたりはせず僕は聞き返した。
「君こそ、僕が一年前に戻りたいかどうかは分かったの?」
「分かりませんよ?元から一年分聞くまで答えるつもりはありませんし」
「そう、まあ分からないと思うけれど」
彼女は頬を膨らませた。感情表現が豊かな事だ。左を見る。後ろを向いてこちらには何も映さない姿見と…………
「僕はもう帰るけど、君は?」
「私はもう少し図書室を見ていきます。先生への話とかは私がしておきますので、先輩は帰っていいですよ」
「ありがとね。それじゃ」
僕は立ち上がって、スクールバッグをしょって後輩を見る。後輩は満面の笑みを見せた。
「それでは。…………これからよろしくお願いしますね」
僕はそれに肯んずる。手を振る彼女に、適当に手を振って返す。僕は足音がほとんど鳴らない図書室の扉を開ける。廊下を歩く。途中にはパソコン室があった。ここには今も好川先生がいるだろう。話をしたりはしないけれど。僕はそのまま歩いて、階段を下りる。
もう生徒は大体帰宅したころだと思っていたが、階段を下りた先には俊徳と野田さんがいた。俊徳はこちらに向かって、例のにやけづらを見せながら軽く手を上げた。野田さんもこちらを見て俊徳のようなにやけづらを浮かべた。まだ学校にいたのか。
「何やってるの?」
「いやぁ、お前に聞きたいことがあってさ」
「なに?」
俊徳は笑うのを止めて、真面目な顔つきになった。この時の俊徳は、本当に真面目な時か人を騙そうとしている時のどちらかだ。今回ばかりは前者であることを祈るが。
俊徳はもったいぶらずに言った。
「お前、あの後輩の子に話をして…………その後どうするつもりなんだ?」
「どうするつもりってどういう事?」
「お前は何を見据えてるんだって話だ。闇雲に自分の過去を吹聴してまわる人間じゃないだろ。何をしようとしてるんだ?」
その話か。でも僕があの後輩の先に求めている結果に関しては、俊徳とは関係のない事だ。一から説明する必要はないし、説明するべきでもないだろう。ここは適当に誤魔化しておくことにしよう。
「一つ考えていることがあるんだ」
何の説明にもなっていない。だからこそ俊徳は分かってくれるはずだ。僕が何も説明をする気がないことに。俊徳ならばそれを理解したら引いてくれると思っているが…………。
俊徳は両手を上げて、降参するようなポーズをした。
「なら、しょうがないな」
安心した。
「高校に入学したばかりで右も左も分からない女子生徒との逢瀬は彼女さんには黙っておいてあげよう」
…………。
「誤解が生まれるように言い方をするな。そんな疚しい気持ちで話をしてないよ」
「夕暮れの図書室。いるのは自分と相手の二人だけ。しかも男女。何も起きないはずはなく…………」
「少なくとも、途中までは麻也さんがいたよ。何も起きてないし」
「何だ、つまらん」
「つまらなくない。それにお前、彼女さんって言い方をするほど離れた関係じゃないだろう」
俊徳は「まあな」と言った。しかしその会話に野田さんが突っ込んできた。
「え、黒御って彼女いたの?」
本気で驚いたような口調で彼女は言った。
「いるよ。彼女の一人「や二人」は」
俊徳はくつくつと笑っていた。…………本当によく笑うやつだな。そうやって僕の悪いデマを言い触れたりしていないと良いけれど。
「二人もいないよ」
「おや、そうだったかな」
「いつ彼女作ったの?」
いつだっただろうか。春休み中であったことは覚えているけれど。正確な日時まではすぐに思い出すことはできない。とりあえずそれだけ伝えておくか。
「春休み中だよ」
「へぇ、誰なの?」
「…………」
僕は自身の彼女の名前を野田さんに伝えた。彼女はそれを意外に思ったらしく、目を見開いた。
「仲いいとは思ってたけど付き合ったんだ」
「まあ、色々あってね」
「どっちから告白したの?」
どっちからと言われても。…………一般的な女子高校生というのはここまで人の恋路に対して興味津々になるものなのか?そうだとしたら全国に面倒くさい人が大量にいることになるけれど。
「言いたくない」
「俊徳は知ってる?」
矛先が向けられた俊徳はこちらに目線で聞いてきていた。僕は首を振る。俊徳は肩をすくめた。
「知ってるけど…………くく、言えないよ」
「えー?」
「思い出しても笑えてくるな」
「笑うな」
馬鹿にするな。俊徳に話をしたのは間違いだったのかもしれない。数週間前の僕の決断を後悔している。…………野田さんが話をしている僕と俊徳を見ていた。僕もこいつもその視線の意味が分からなかった。僕は聞いた。
「どうしたの?」
「いや、二人ってなんかあった?」
「どういう事だ?」
「何か…………仲良くなった?」
僕は俊徳と顔を見合わせた。互いに互いの事を考える。仲良くなった。去年の時点、いや違うな。春休みのあの日の前だったら確実に否定はしていたけれど…………その質問に対しては…………。
「まあな」
「前よりかはね」
僕は春休みにとりあえず俊徳が僕に対して与えていた課題の内、幾つかの物に対して清算を終えた。その時だろうか。言い方は悪いけれど、僕と俊徳は互いの弱い部分を知った。僕は僕の苦悩を。俊徳は彼の思考を打ち明けた。それで以前よりも仲が深まった、というように捉えることはできるかもしれない。
かもしれない。
「そんなことより、俊徳は僕に質問するためだけにここで待ってたの?」
「そうだ」
「暇人だね」
僕がそう言うと、野田さんも勢い良く頷いた。
「そうなのよ!俊徳って暇なくせにずっと家に引きこもっててさぁ」
俊徳が目を逸らす。ここからは野田さんの俊徳に対する愚痴の時間になりそうだった。僕はその相談に答えられるほどその道に造詣は深くない。それに、面倒くさい。野田さんの俊徳に対する文句は、始まると長いのだ。
ここは退散しておくことにしよう。
「悪いけど、僕はそろそろ帰るよ。用事があるんだ」
僕は階段に足をかけた。俊徳がこちらに対して情けなく手を伸ばす。
「ちょっと、克治。もう少しだけ矛先を分散してくれ。俺一人で相手をするには荷が重い」
「俊徳なら出来るさ、頑張って早めに帰れよ」
僕は俊徳に背を向けて一階へと向かう。後ろの方から怒ったような声とそれをなだめるような声が聞こえてくるが無視することにしよう。あの二人はあれでも仲がいい。あれぐらいで別れたりすることはない。明日か明後日にはまた元の関係に戻っていることだろう。僕は階段を下りて二年生用の靴箱で上靴を履き替える。そして校門まで歩いていくと、一人の女子が立っていた。その女子は僕を見て元気に手を振った。
「克治!」
「ごめんなさい、少し遅れました」
「いいよ、別にそれぐらい」
僕は彼女の隣に立つ。そして共に歩幅を合わせて歩き始めた。僕らは同じ方向に向かって歩いていく。つい最近も会ったはずなのに、ひどく久しぶりな気がした。その分、何かを話したいという思いが表に顔を出す。たった数日間の間にあった、この人に話したいことを話す。それは彼女も同じだったようで、色んなことを笑いながら話していた。どちらからともなく手を伸ばす。僕の手は彼女の手を、彼女の手は僕の手を握っている。
最初に話した時は、こんな関係になるとは思いもしなかった。でも人の生き方というのは数奇なもので、いつの間にかこうなっていた。それはやはり、僕が彼女に対して自分のすべてを曝け出したからというのもあるのだろう。僕は彼女にみっともないところを恥も外聞もなく見せた。積極的に見せようなんて全く思わないけれど、いつしか彼女がすぐ傍にいて欲しいと思うようになった。
僕のこの人と共に歩むという選択を正しいとも思わないし、間違っているとも今は思わない。今がどうであろうと、結局のところ決めるのは未来の自分だ。でも少なくとも今の僕は幸せだ。
いくらか歩いた頃、小学生がするような提案をされた。
「誰もいないし、白線しか歩いちゃいけない遊びやってみようよ」
その遊びを僕はやったことはないけれど、存在自体は知っている。僕は承諾した。危ない行為だけれど、今は車が通る気配もない。繋いでいた手を離す。
彼女は白線の上を歩き始めた。僕も彼女の後ろをついていく。その間も無風部についての話をしたりした。暫くの間は何の問題もなかった。しかし道路という物は白線が永遠に続いているわけではない。今立っているところから、次の白線までに長い幅があるという状況だ。彼女はこの遊びを止める気はないようだ。跳ぶしかない。
彼女はその白線に向かって跳んだ。着地したときに風が吹いた。よろめいて転びそうになっていたので心配したが、体勢を整える事は出来たようで、白線からは外れなかった。彼女は少し奥の方に進む。今度は僕の番だ。
僕だって運動神経は悪くない。立ち幅跳びでも良い記録は出している。問題はない。僕は跳ぼうとした。浮遊感が身体を襲う。しかし強い風が吹いた。大きく踏み外したりすることはなかったけれど、着地には失敗した。
さっきまでは無風だったのに。長い時間話していて、少し様相が変わってきたらしい。今日は風が吹いた。僕の足元を見て、彼女は笑った。僕は溜息を吐くしかない。ただ、少しだけ言い訳をさせてもらおう。
「風が吹かなかったらちゃんと着地出来てた」
彼女はさらに笑った。だが言い訳をしたところで、事実は変わったりしない。僕も自分の足元を見る。右足は白線の上にあるが、左足ははみ出してしまっている。
彼女は言った。
「ゲームオーバーだね」
僕は一歩、踏み外した。
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