推理披露

僕は今日、無風部の誰よりも早く図書室に着いていた。変な噂が立っている割には交友関係が広い俊徳とは違い、僕には話すような友人がいないので、それが理由になっているのかもしれない。だけど最大の理由が何かと聞かれれば、やはり最後まで自分の考えを確かめたいからだろう。受験を受ける時、受験生は最後まで確認をする。それと同じだ。しかし自分で合っていると思っている考えを否定する考えは、余計に思いつきにくい。僕はこの場で考えを整理し直すのを諦めて、スクールバッグの中に入っている物を見る。実行はしないが、犯人が物を盗みだした方法を説明するときに見た目だけでも死人出来ればわかりやすいと思ったので、昨日僕は山岳部と裁縫部からロープとトートバッグを借りた。後で返すつもりだ。

無風部の三人には昨日の時点で僕が考えていることを説明してある。ただ、説明したのはこの事件の七割と言ってもいい。残りの三割の内、半分は今日の説明で済むだろう。そして残った一割五分。僕はこれを彼らに説明する気はない。これは、義務じゃないからだ。物を盗んだ人物を見つけさえすれば、この相談は解決する。その先まで、求める必要はない。ただ、興味が惹かれることは確かだ。そして、その一割五分が無ければ、説明の一部に矛盾が生じる。俊徳のような勘のいい奴に、見抜かれたくはない。

僕は立ち上がって、本棚の方に歩いていく。翼さんの本が置かれている場所を見る。本棚を二つ占領し、三つ目の本棚の一部にも望川翼の名を留めている。一週間前ぐらいに会った時にはまだ出版していない本を三作は書き終えていたような気がする。それらもそろそろ出版されることだろう。僕は『白露』を手にする。気温が下がり、露が滴る季節頃を意味する言葉。よくよく考えれば七十二候を全て本にするというならば、七十二巻となる。小説を七十二冊など到底想像もつかないが、翼さんはそれに加えて、十を超えるシリーズを書き続けている。翼さんの本のファンも、その全てを読む人よりかは、一つのシリーズを追っている人も多い。僕は全部読もうとしているので、変人の部類に入るのだけれど。

これを読む時間は今はないな。何もすることがないとなると、この後僕がやることが頭に浮かんでくる。僕の推理が正しければ、犯人はきっと僕を責めてこない。そうだったとしても。

僕は昨日、翡翠さんに電話した。明日、呼ぶことになるかもしれないです。そう言った。それはきっと、犯人が望んでいる結末ではある。本来その結末に至らないために動いていたはずだったんだけれどね。

大丈夫だ。何も間違えていない。何も間違えたくはない。だから僕は、だけれども僕は…………


「克治、いるか?」


俊徳の声がした。僕は返事をする。


「いるよ」


僕が席に戻るのと同時に、俊徳も机の所まで来ていた。彼は聞いた。


「本当に、昨日の結論で合ってるのか?」


「確実かどうかは分からないけど、動機もあるし、犯行も可能だよ。それに言っただろう?まずは犯人の候補を絞るって。あの中に犯人がいなければ、もう解決は不可能だ。だから、可能性が高いと言うだけで博打を打ったんだよ」


僕のその言葉を、俊徳は笑い飛ばしはしなかった。彼は聞いた。


「もしあの人が犯人じゃなければ、お前は批難を受けるよな。自分は犯人じゃないのに、それっぽい理由を並べられて、犯人だと宣言されることになる。怒らないはずがない。そうなる可能性があることを分かってるのか?」


「分かってるに決まってる」


「なら、何で?確実を求めてもよかっただろ」


確実なんてものは、僕は最初から求めていなかった。


「犯人を確実に捕まえるのは警察の仕事だ。僕らは無風部員。技術も道具もない素人で、調べるのにも限界がある。元から、確定的な犯人っていうものは見つけられないんだよ。この人の可能性が高い。元からそこまでしか突き詰められないんだよ」


「だからと言って、もし間違えた時、相手からの批難を受け入れられるのか?」


「当たり前だよ。どうせ時間が経てば会う事もない相手だし」


それに、俊徳は知っている。去年の十二月二十五日。僕がしていた事を俊徳は電話で聞いていたはずだ。その時に話したことだって、三か月と少ししか経っていないんだ。覚えているはずだ。

俊徳は頷いた。


「まあ、そうだろう。克治はそういうに決まっている。これでも二年の付き合いだからな。分かるぜ」


「…………」


だが、俊徳は続けた。


「でも俺は、それ以外にも知っている」


「何を」


「高校の倫理を予習したおかげで身についたかばかりの倫理を、今だけは捨てて、お前に言おう」


彼は誰かに聞かれないよう配慮したのだろうか。声のボリュームを落とした。


「高校卒業までに、あの人に固執するのを止めろ」


ボリュームは落ちていたけれど、その言葉に込められた彼の心情は、よく伝わってきた。しかし僕だって、言われたことをただただ実践する気にはならない。


「固執なんてしてない」


「お前がそう言うなら、そうなのかもしれない。でもお前はあの人の事を、忘れずにいることを美徳としているはずだ。意識していなくとも、そういう傾向にある」


僕は黙って、俊徳の熱弁を聞く。彼は僕の目を真正面から見て言う。


「別に、それは良い事だ。すぐに忘れたりしたら、それこそ最低だ。だけどお前の交友関係の席の一つを、あの人に占有させ続けること。それは違う」


「…………そんな事」


「例えば」


いきなり俊徳は声のボリュームを上げた。


「お前は女子が告白しても、断るだろう」


「それは、僕と付き合っても碌なことがないだろうし、悠くんと悠奈ちゃんだっているし。あの人の所に定期的に見舞いに行ってるわけだから、その告白したAさんだって嫌だろうし」


「そうやって、言い訳に使う事になるんだよ」


…………僕は意識的に俊徳から目を逸らす。しかし俊徳は話を終えてくれない。


「克治はいつかあの人を置いて、飛び立たなければならない。そのタイムリミットを高校卒業までにしようって言ってるんだ」


「何で、卒業を」


「そこを過ぎればきっと、お前は飛び立てなくなる。良くも悪くも、適当に環境に適応する能力が高すぎるんだよ、お前は。お前が今も眠り続けているあの人を、今も続いている現実じゃなくて過去にあった悲しい出来事として処理しない限りは、お前はきっと自分の人生を歩まない」


きっと俊徳が言っていることは正しいんだろう。僕がこのままあの人の見舞いを続けたとして、三年も経てばそれが日課となる。僕という人間の中にそれが入り込んでくるだろう。そしてここから離れることになったとしても、きっと僕はあの人を言い訳にしてここに残り続けてしまうに違いない。でも、だからと言って、過去にしていい事なのか。事実、あの事件はまだ終わっていない。あの人は眠り続けていて、その眠りから覚めるまでは、本当の意味で解決はしない。

でも僕のその考え方を俊徳は指摘しているんだろう。言外にこう伝えているんだろう。あの人が目を覚ますのは時間に任せるしかない。高校生活の中で目を覚ませばそれでいい。植物人間状態から目を覚ます事例は少なからずある。しかし、卒業しても覚めなかったら、訪れないかもしれない未来から目を背けて、自分の人生を歩めという事だろう。

目を覚ませば、それでいい。だけど、覚まさなければ、離れてもいいのか?そうじゃない。そうじゃないけれど。


「その人も言ってたんだろ?」


「僕にも納得できないことぐらいあるよ」


「なら、表情筋を動かしてみろよ」


「…………僕は」


「お前の事だし、忘れなくてもいい。お前の中で大切な人間にしたままでもいい。だが少なくともな、過去にはしろ。お前の中で、整理はつけろ」


肝には銘じておくことにする。僕は中学校生活を通して、学校生活は思いの外長いことを知っているからだ。その長い時間の間で、考える時間はあるだろう。最後に僕が、どう考えることになるかは分からないけれど。僕はうなずいて、言った。


「何の話だっけ?」


「お前の鋼のメンタリズムの話だ」


「そう」


俊徳に対して、溜まっていく物が幾つもある。問いにもまだ答えられていないし、この件に関しても長い時間をかける必要がありそうだ。しかし今日は考えなくてもいい。

そこからは二人を待つ間に雑談をすることにした。僕らは向かい合って座る。


「何の映画を見てたの?」


「開化廿四好」


「嘘つけ」


どんな動画配信サービスだったら明治時代の映画を配信しているんだよ。


「冗談、ホラーとミステリーだ」


「物に囲まれて暗い状態で、ホラーを見てたのか。図太いな」


「映画館だって暗いだろ。同じようなもんだ」


まあ、そうか。あの日の夜。僕は俊徳に生徒会室に潜んでもらっていた。本当はあのドアの中に入ってもらった方がいいのだけれど、俊徳の体格上の問題で入れない。なのでその状況に近づけるため、物を少しずらして、そこに囲まれた状態で隠れてもらっていた。あ、そういえば。


「生徒会室の鍵ってどうしたの?」


「ちゃんと返したよ。当たり前だろ?」


「それならいいけど」


一応あの時の事をこの場でも確かめておいた方がいいだろう。メッセージで情報を受け取ってはいるけれど、齟齬が生じている可能性もある。僕は俊徳に聞いた。


「部室の鍵を盗むのは簡単なんだよね」


「ああ。鍵自体はなかったけれど、あったとしても変わらないし」


「部屋から出るのも?」


「当然だ。鍵を持っていなくても、あのドアは内側から開けられるしな」


確か俊徳は…………。


「音が大きかったとか何とか」


「ああ。部室のドアを開ける時、理科室のアレみたいな音がしたんだよ。昼間にあれをやったら流石に情報が出る。それに暗黙の了解だか何だか知らないが、部室の扉は活動中は閉じ切っているみたいだしな」


「確かに、部活棟に行った時も全部閉じてたね。それならあれは夜にやったことで確定していい」


「それで家庭科室だけど、あれは入れなかった。だけどお前も知っての通り、音は鳴らないから昼間にも可能だと思う。そんでもって理科室だけど…………」


「あれも夜で確定。好川先生がいるからね」


僕がそう言うと、俊徳は何だか考え込むような表情になった。不味いかもしれない。俊徳は、僕が隠そうとしている真実に気付こうとしている可能性がある。僕は元々、隠そうと思っていた一割五分の真実があった。それを昨日、考えていくうちに浮上したもう一つの可能性。それを指摘される可能性がある。だが、あまり気づいてほしくはない。それについては犯人も望んでいない結末なのだろうから。


「なあ、それって…………」


その時、図書室の扉が開いて三田川と霧遙先輩が同時に入ってきた。


「ごめん、遅れたわ」


霧遙先輩はそう言った。俊徳が「いえ、別にいいですよ」と返す。そして僕の方を向いて、小声で言った。


「やっぱいいや」


「そう」


それなら、それでいいのだけれど。だが別にもう座っている必要はない。僕はスマートフォンを取り出しながら、立ち上がった。


「それじゃ、いきなりで悪いけど…………今からここに、山下先輩と…………僕が犯人だと思う人物を呼びます」


三者三様に頷いた。僕はスマートフォンを操作して、先輩に電話を掛ける。四コール程度で先輩は電話に出た。


「どうしたの、黒御くん」


「多分ですけど犯人が分かりました。――先輩と一緒に図書室まで来てください」


先輩はしばらく黙っていた。絞り出したような声で言う。


「本当に、犯人なの?」


「確実に犯人とは言えません。しかし…………可能性は高いと考えています」


先輩はすぐに返事をした。


「分かった。…………連れてくる」


「ありがとうございます。では」


通話を切る。全員、適当な場所に自分のスクールバッグを置いて二人を待っていた。七分ほどで二人が図書室に入ってきた。一応、昨日の話し合いのようなもので今日は僕が仕切ることになっている。どんな出だしにしようかと考える。そして結局、こんなチープな始め方になった。


「昨日の件について、一つ結論が出ました。今からそれを説明します」


山下先輩と犯人は頷いた。僕はまずこの事件の概要を説明することにした。


「事の発端は四月三日に山下先輩が、学校の備品があるべき数を下回っていることを知ったことから始まりました。先輩がそれを春休みの時から解決しようとしていたかは知りません。そこは置いておきましょう。先輩は新学期が始まった時、山岳部と裁縫部の友達からも、同じような出来事があったことを聞きます。そこで先輩は今週の月曜日に無風部に相談をしに来ました」


間違ってないよな。大丈夫だ。少なくとも今は、そんな心配をする必要はない。


「相談の内容は無くなった学校の備品を見つけて欲しいというものと、そして無くなった理由を知りたいというものでした。僕らは状況から考えて、これは学校から何者かが物を盗み出したと考え、まずはその犯人を探し出すことにしました。そもそも無くなったものはマッチ、ビーカー、菜箸、計量カップ、ロープ、トートバッグ。どれも一つずつ盗まれました」


矛盾がない。確実だと分かっているものでも心配だな。


「まず物が無くなったと気づくことが出来たのは、この羽場高校で定期的に行われている点検のおかげです。その周期は二週間に一度。なので化学室と家庭科室で盗まれた四つのものは前の点検と四月三日の点検までの間。三月二十一日から四月二日の間だと考えられます。つまりこの期間の間に学校に来ていた人物に犯人は絞られると考えられます」


話している間に長野先輩と立花先輩には日時を聞いていないことに気付いた。まあ、大丈夫だろう。


「そしてロープとトートバッグは山岳部と裁縫部のものですが、この二つの部活は春休み中に活動を行っておらず、それを盗み出すためには犯人はそれらの部室の鍵を盗む必要がありました。そしてその鍵があった場所は、生徒会室です。つまり犯人は生徒会室に忍び込み、山岳部と裁縫部の部室の鍵を盗んだんです」


話しているうちにこんがらがってくるな。


「その状況を頭に入れておいた上で犯行を行った現場の状況も整理しておきましょう。一つ目は化学室。マッチとビーカーが盗まれた場所です。ここから物を盗むためにはガラス棚のドアをスライドさせる必要がありますが、その時には金切り声のような音が鳴ります。ここで問題になってくるのが、パソコン室です。パソコン室には常に好川先生がいました。好川先生は朝の五時から夜の十一時まで学校にいます。それ程の間、犯人は化学室で物を盗めない。ここから犯人は、夜にマッチとビーカーを盗み出したと推理できます。しかしこちらはどうやって教室の中に入ったのかという疑問が残ります。

二つ目は家庭科室ですが、こちらは簡単です。慎重に行えば音は鳴りません。昼間にも犯行は可能です。しかし菜箸は服の中に忍ばせることが出来ますけれど、計量カップは厳しいです。女子生徒ならば腿に括り付けて、スカートで隠せますけれど、何で括り付けるのかという問題になります。

三つ目は山岳部の部室です。まあこれと裁縫部の部室の状況はほぼ同じなのでひとくくりにしてしまいましょう。これらの部室に入るためには生徒会室にある部室の鍵を盗む必要があります。ですが部室には山下先輩がいることが多いです。先輩が鍵が無くなったことに気付くかもしれないというリスクがありますし、この二つの部室のドアは開ける時に大きな音が鳴ります。周りの部に気付かれるかもしれません。これらの事から、部活棟での盗みも夜に行われた可能性が高いです」


部活動に所属している人の犯行が不可能みたいな話も出たけれど、蓋を開けてみれば夜に行ったものが多い。所属していようが、犯行は可能だったのかもしれないな。


「僕が今話したことを頭に入れたうえで、現場を見てみましょう。まずは、生徒会室に行きましょう」


僕以外は手ぶらで、僕だけはスクールバッグを持って図書室を後にした。







僕らは生徒会室についた。扉を開けて六人が全員中に入る。中に生徒会の面々はいなかった。六人でも狭いとは感じない。かなり広いな、この部屋。僕はひとまず、スクールバッグを机の上に置いてから、全員が見える位置に立ち、説明を再開する。


「さっきも言った通り、犯人は夜に犯行を行いました。そしてここで鍵を盗んだのも夜でしょう。昼間に鍵を取って、夜まで隠し持っておくなんて流石に非現実的ですからね。そこで問題となるのは、どのようにして夜、この部屋に入って鍵を盗んだか、です」


だがこれは簡単だった。


「僕は廊下からこの教室を見ていた時、違和感を抱きました。生徒会室から、隣の教室の扉までの距離が広すぎると思ったんです。万が一と考えて、僕はこの部屋の隅…………あの物の山を退かしました。実際にやってみましょう」


僕はホワイトボードを移動させ、物を退かす。そして知っての通り、隠し扉とも言うべき扉が現れた。


「すると、この扉が現れました。これが何の目的があって作られたものなのかどうかは分かりませんが、ここになら隠れることが可能です。山下先輩も知らないようでしたしね。この中は暗いし狭いですが、そこを耐えさえすれば、夜までここに隠れて、生徒会室のものを盗むことが可能になるというわけです。生徒会室の扉は内側からも開けられるので、このままロープとトートバッグを盗み出せます。これがロープとトートバッグを盗み出した方法です」


僕はそう言って、物を片付けて元の状態に戻した。結局、これが何なのかは分からなかったな。知りたいとは思わない。知らなくてもいいことかもしれないからだ。


「そして僕は、これが犯人が一番最初にやったことだと考えています。なぜなら、化学室と家庭科室の犯行を行う上で、この二つのものが必要になるからです」


全員の反応を見る。無風部は昨日もこの話をしたのでそこまで驚きはない。山下先輩もこのことはすでに知っていたはずなので、そこまで驚いてはいないようだった。犯人の表情に浮かんでいるのは、歓び。想定通りだ。この人が犯人で間違いない。安心して、ここからも推理を披露できる。


「では、次は家庭科室です。これは、行った時間帯が分からなかったんですが、あまり関係ない事なので気にしないでください」


僕はスクールバッグを肩にかける。そして、僕らは生徒会室を後にした。誰かが来るかもしれないので、扉の鍵は開けたままにしておいた。家庭科室に向かう途中、僕は犯人の動機について考えていた。これを思いついた時、突飛だと思った。有り得ない。信じられない。そんな感情は湧いてきた傍から消えていった。それは、その突飛な発想の全てに説明がついてしまうからだ。そして先程の歓びの表情を見て、確信することが出来た。

家庭科室に着いた。鍵は開いているので、そのまま中に入る。理科室とほぼ同じつくりのこの部屋を僕は見る。そして安心する。家庭科室の推理については、一回来たあの時の記憶だけで行っていたからだ。…………どう説明しようか。犯人が誰かが来たことを危惧した、などは言わなくてもいいか。よくよく考えてみれば、それはあの隠し扉の中にはいる時からの問題なわけだし。


「ここでの盗みは昼に行った可能性が高いと考えています。それは化学室での説明を聞けばわかるので今は省略させていただきます。今はとりあえず、そんなリスクを冒す必要はなかったとだけ言っておきます。なのでここからの説明は、昼間に行ったものとして聞いてください」


全員が頷いたのを見て、説明を始める。


「菜箸と計量カップがあるのはこの戸棚です。ここは慎重に開け閉めをすれば…………この通り。音は鳴りません。そしてさっきも言った通り菜箸は制服の中に隠せばいいです。では計量カップはと言いますと…………」


僕はスクールバッグを置いて、そこからロープを取り出した。


「これを使います。これは山岳部から借りた物で、大分長いです。四十メートルと言っていました。そこまではいらないし、邪魔です。恐らく犯人はロープを山岳部から盗み、家に持ち帰った後、切ることによって適切な長さにしたのでしょう」


ロープ、ロープと言っているけれど、山岳部にそう言ったら一部の過激派にザイルだと言われてしまった。まあここにはいないのでロープで良いだろう。


「ではこれをどうやって学校に持ち込むか、です。長嶋武夫さんや運動部がいますからね。ロープなんて持って入る怪しい奴はとっくに報告されているでしょう。報告されていないという事は、服の下に巻き付けていったとか、そんな所でしょう。後は家庭科室でそれを取り出して、用いればいいだけです」


そこで山下先輩が質問した。


「何に使うの?そのロープを」


「犯人はこれを計量カップを誰にもバレずに持ち出すために使いました。犯人はこれを使うことで、体に計量カップを括り付けたんですよ。女子はスカートの内側に括り付けられますしね」


今度は、三田川が質問してきた。


「ねえ、昨日から気になってたんだけど、男子はどうするの?」


それは僕も考えた。結局、こんな結論しか出なかった。


「男子がやったとしたら、体に括り付けてもバレてしまうから、ポケットにしまうんじゃないかな。バレないことを祈って、学校から出るんじゃないかな」


「そっか」


僕は言う。犯人はやはり歓んでいる。


「これで、計量カップと菜箸、ロープとトートバッグの謎が解けました。最後に残ったビーカーとマッチをどうやって盗み出したのか、化学室で説明します」


僕はロープをスクールバッグにしまって、バッグを肩にかけた。全員、家庭科室から出る。僕は最後尾を歩いていたが、俊徳が歩幅を緩めて、小声で言った。


「堂に入ってるな、流石は名探偵だ」


僕も小声で返した。


「堂に入ってないよ、僕は名探偵じゃない」


結局こんなのは、思いつくかどうかなのだから。僕は十数分後に訪れるであろう光景を考えて、胸が痛くなった。






全員が化学室に入った。僕もそれに続いて、入る。今、隣の部屋では好川先生が仕事をしているのだろう。…………さて、ここで僕は犯人を指摘する。あの歓びから考えて、合っているとは思うのだけれど…………それでも、見たくない事という物は存在する。


「今から、犯人がどのようにして夜、ここに忍び込んで物を盗んだかどうかを説明します。それにはまず、知っておかなくてはならないことがあります。この学校の戸締りをしている人についてです」


一息、つく。


「それはこの隣のパソコン室にいる好川先生です。好川先生は毎日ここの鍵を開け閉めしています。ここは三階で、窓が破壊された形跡もない。扉がこじ開けられた形跡もない。昼間は犯行を行えない。なら、犯人が夜にこの教室にいるための方法は限られてきます」


大丈夫。間違ってない。好川先生も言っていた。


「昼間にここに隠れて、鍵が閉まるまでやり過ごす。どうやらこの犯人は長期戦が得意なようですね。しかしそんなことが本当に出来るのかと思うかもしれません。それでは、好川先生はどのようにしてこの教室の点検を行っているのか。それを知れば、犯人の行動が分かります」


僕は入り口の扉の所に立った。一番奥の机を見る。やはり、ほとんど見えない。


「先生はここから教室を見渡します。そして、窓が開いていれば窓を閉めに行きますが、開いていなければここの鍵を閉めるだけです。そして、ここからあの奥の机はほとんど見えません。あの机の下に隠れでもすれば、犯人は先生の視線から逃れられます。そんなことをしなくても、掃除用具入れのロッカーに隠れたのかもしれませんが、そちらは疲れますね。どちらを犯人が選択したのかは知りませんが、これで犯人は夜の理科室に忍び込むことが出来ます」


しかし言葉で言っても分かりにくいだろう。僕は言った。


「見てみますか?実際に。全員、この扉の所からこの教室を見てください。僕はあの机の下に隠れますから」


霧遙先輩は「見えないわ」と言った。三田川は「いないように見える」と言った。俊徳は「いねえな」と言った。山下先輩は「いないね」と言った。犯人は「…………いない」と言った。僕は立ち上がって、説明を再開する。


「それでは全員、元の場所に戻っていいですよ。…………このようにして忍び込んだ犯人はしばらくして、確実に好川先生がいなくなっただろうというほどの時間が過ぎてから、無人の教育棟で音を鳴らしてマッチとビーカーを盗み出したんでしょう。しかし今度はもう一つの疑問が浮かんできます」


僕はいつもより少し重いスクールバッグを机の上に置いてから言った。


「犯人はここからどのようにして脱出したんでしょう。生徒たちが登校する前の先生の行動なんて分かりません。理科系の先生がここに入る可能性がある以上、犯人は夜のうちにここから脱出しようとしたでしょう。ここで必要になってくるのが…………ロープとトートバッグです」


僕は二つのものを取り出した。そして窓の方に近づいていく。その窓を開けた。そよ風が入ってきてきた。カーテンは開けてあり、端に追いやられているので揺れたりはしないが、今日は風が吹いているようだ。


「犯人はこの窓から脱出したんです」


昨日の僕の説明を聞いていないので理由を知らないだろう山下先輩は言った。


「噓、無理だよ」


「飛び降りるのは無理ですが、少しずつ降りて行けば、どうでしょう。犯人にとっても賭け、山場だったと思いますよ。だからさっきも言ったんですよ。犯人は昼間に盗んだんだろうって。こんなのやりたくないでしょうからね」


僕はロープとトートバッグを持ったまま教室の中心ぐらいの窓際に近づいていく。実行したりはしないけれど、どのようにやったのかの説明は必要になる。


「この窓枠、しっかりしていますからね。犯人はここにロープを固く、固く結んだんでしょう。そして地面に向かって垂らす」


僕はそういう動きだけする。言ってはみてるけれど、本当に出来るのかな。まあ、出来るだろう。犯人は完璧を望む必要はないんだから。


「ここで使うのがトートバッグです。犯人はマッチとビーカーをトートバッグに入れて、地上に落としました」


山下先輩は理由が分からなかったように聞いた。僕は答えた。


「恐らくビーカーが割れたとしても、その音が大きくならないようにしたかったのと、マッチが散らばって欲しくなかったというのが理由でしょう。ビーカーが割れる時の音はそこまで大きくないとは思いますが、減らせるならば減らしたいでしょうし。マッチに関しては後で使うというのが理由です。散らばって、見つけられず、証拠を残したくなかったという理由はほぼないと思います。長嶋さんの点検でわかることですしね」


もう一つ質問があるようだった。


「トートバッグはどうやって持ち込んだの?」


「服の下にとか、スカートの中にという可能性もありますし、生徒会室の小部屋に隠しておいて後でとりに行ったという可能性もあります。まあありうるのは、折っておいてから、スカートの中にロープで括り付けて…………でしょうかね」


僕は説明を再開する。


「犯人はこのロープを伝って少しずつ降りて行きました。しかし犯人の体力は無尽蔵ではありません。途中途中でベランダに乗り移って、休憩しながら降りて行ったんでしょう」


これは昨日省いた説明だった。俊徳は「そういう事か」と呟いていた。犯人はお前みたいな化物じゃないからな。もうそろそろ終わるのか。


「犯人は無傷で辿り着く必要はないんです。新学期が始まった時に、周りの人から見て分かるような怪我さえなければいい。そこから犯人が特定される可能性もありますからね。今、もう暖かくなりつつありますが、ここにいる人たちのように冬服を着ている人も多いです。冬服で隠せる程度の傷などなら、負っても問題ないですからね」


わざわざ見たりはしないけれど。犯人が無傷で降りることが出来たことを祈ろう。さて、大詰めだ。


「しかし残った問題はもう一つ。ロープをどうするかです。安全に降りるために固く縛っておいたロープは引っ張ってもとることが出来ないでしょう。それを解消するために必要なのが、マッチです」


山下先輩は、「まさか」と言う。反応が多い。リアクションが得意な人のようだ。


「はい。犯人はロープを燃やしたんです」


山下先輩は否定しようとしていた。しかしこれの理由については無風部にも説明していなかった。時間がなかったからだ。昨日から気になっていたであろう俊徳が聞いてきた。三田川も聞きたそうだったが。霧遙先輩は静かに見ている。


「何かに燃え移るとか、犯人は考えなかったのかよ」


「それだけど…………まず上から見ていこう。カーテンは端に追いやられている。春休みからこうだったかは知らないけれど、犯人がやればいい話だ。そして地上までも、燃えるようなものは何もない。だけど俊徳が言っているのは、犯人自身の話だろう?」


「ああ」


それは僕も考えた。しかしそれを解消できる便利なデータがあった。


「気象庁で春休み中の、この地域の風の様相を調べた。そうしたら一日だけ、風がほぼ吹いていない日があった。その日は風が吹いていなかった。十分な距離を取れば、犯人が自分の服に燃え移る危険から逃れることは可能だ。そして校門をよじ登って学校から出れることも確認済みだ」


僕は改めて、全員を見る。とりあえず、これで。


「これが、犯人が物を盗んだ方法です」


だけど僕はまだやるべきことがある。犯人が物を盗んだ方法を理解しただけじゃ、犯人は分からない。だから僕は、これから。


「それでは今から、僕が推察した犯人の動機について話します。なぜ犯人はここまで体を張ってまでして、物を盗みたかったのか。それについて話します。ただ、あくまでこれは僕の考えだという事を先に言っておきます」


前置きは大切だ。だが、間違っていたとしても、後から犯人が訂正してくれるだろう。犯人は今、誰にも顔を見られていない。全員が僕の方を見ているからだ。だけど僕からは分かる。その歓びを僕は見ている。あなたが、訂正してくれるはずだ。


「物を盗む理由として考えられる可能性の一つとして、それが欲しいという物があります。しかしこれは否定できます。マッチもビーカーもロープもトートバッグも菜箸も計量カップも買えるものです。ビーカーは少し探さないといけないかもしれませんが、インターネット社会の今、簡単に買えるでしょう。犯人が裕福な家庭ではなかった可能性もありますが、にしては盗まれたものが実用性のないものばかり。なので、この可能性は否定できます」


マッチで料理をするという可能性もありはするけれど、ビーカーはどうして盗んだんだという話になる。ゼロではないがゼロに等しい可能性だ。


「なら他に考える可能性とは何か。それはその物を持っている人を困らせてやりたいという感情じゃないでしょうか。しかし、犯人が盗んだものの中には、目的達成のために必要だから盗んだものもあります」


全員がそろそろ僕の推理も終わることが分かったのだろう。犯人以外に緊張したような表情が浮かぶ。それは恐らく、僕自身も…………いや、僕は違うか。内心では不安に思っていたとしても、表情自体は動いていないんだろう。


「マッチ、ロープ、トートバッグの三つです。これで山岳部と裁縫部が対象である可能性はほぼ無くなりました。残った窃盗のために使われていない物は、ビーカーと菜箸と計量カップです。ここから犯人を特定するのは難しいです。そこで僕は別方面から考える事にしました」


今考えても、少し残酷な話だな。


「そもそも、二つの部室の鍵が生徒会室の印鑑に掛けられているという事実は、周知のものではありませんでした。ここまで壮大な計画を、無いもののために創り出すことはできない。ならば犯人は春休み中に生徒会室に来て、鍵の在り処を知っている人物に限られるのではないかと考えました」


俊徳が違和感を覚えないで欲しいところだ。そこを、説明する気はないのだから。


「それは四人。大垣先輩、倉敷先輩、長野先輩、立花先輩の四人です。この四人のうちの誰かである可能性が高いと考えました。この四人の中で、犯行が可能で十分な動機がある人物がいました」


犯行が可能。この点だけ見ても絞り込むことは出来るのだけれど、それでは少し弱い。しかし何という偶然か。その人物は十分な動機まで持っていた。


「そう言えば昨日、風が吹いていない日があったとか言ってましたけど、よく覚えてましたね」


僕は犯人を指さして、言った。犯人はその時には歓びの表情を浮かべていなかったけれど、本当の所なら舞い上がりたいような気分だったことだろう。


「犯人はあなただ、立花怜美先輩」


先輩は、先程までのような喜びの表情ではなく、そして昨日のようなおどおどした態度でもなく、微笑を浮かべてはっきりと答えた。


「よく分かったね、黒御君。君の言う通り、私がこの学校から物を盗んだのよ」


彼女は晴れ晴れとした雰囲気をその身に湛えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る