月明かりに映し出されて
立花先輩以外の全員が、表情に驚きを浮かべている。僕の推理が本当であることを知ったのと、昨日の態度が偽のものだったことを理解したからだろう。微笑んでいる立花先輩に少し気圧されながらも僕は聞いた。
「それじゃ、説明を続けてもいいですか?」
「もちろん」
僕は溜息をついて、自分が今から話すべき事を整理する。そして解説を再開した。
「さっきも言った通り、鍵がある事は知られていたとしても、それが盗みやすい場所にあったかどうかは知られていなかった。それを知ることが出来た四人の中で犯行が可能で動機も十分なのが、立花先輩という事です。ではここでいう、『犯行が可能』と『十分な動機』とはどういう事なのかを説明します」
僕と立花先輩の間で視線が動いている。山下先輩は「噓…………」とも呟いていた。さて、まずは犯行についてか。
「ですが前者については簡単なことです。さっきみなさんも見たと思いますが、生徒会室の隠し扉は小さいです。僕や、僕が初めて見た時に一年生だと勘違いしたぐらいの立花先輩じゃないと入れないぐらいに」
僕が一目見て立花先輩が一年生だと判断したのは、身長が小さかったからだ。外見で決めつけてはいけないという事を理解させられた。先輩と僕の身長は同じぐらいだから、あそこに隠れることも可能だろう。もしかしたらリボンの色が見えなかったのは、僕が注意していなかったからではなくて、小柄な立花先輩が縮こまっていたからなのかもしれない。それは今では、どうでもいいことだが。
「他の三人は随分身長が高くて、入るのは無理ですからね。これで『犯行が可能』という言葉の意味は理解してもらえたかと思います。では、立花先輩にどんな動機があったのか。話は先輩が一年生だった時に遡ります」
少し話し方が大袈裟だろうか。
「先輩はいじめられていたという話でした。山下先輩がよく助けてくれて、話も聞いてくれたとも言っていました。僕は実体験がないから分かりませんが、いじめられていた時には友達も頼ると思いますが、他にもいますよね。頼るべき存在が」
俊徳がつぶやいた。そしてそれは、的を射た発言だった。
「教師」
「その通り。この場合は担任の教師と言ってもいいでしょう。友達の方が先と言う可能性もあるかもしれませんがそれで解決しなければ担任の教師に相談するというのは自然な行動です。昨日の立花先輩の発言で先輩が一年生の時のクラスは二組であることが分かっています」
三田川以外の三人は気づいたようだった。そもそもこれを話してくれたのは俊徳だし、霧遙先輩は去年からこの学校にいる。それに、山下先輩にとっては去年の担任の教師だ。
もうそろそろか。嫌だな。
「去年の一年二組の担任は西先生です。西先生の担当教科は、理科です。そしてよく考えてみてください。山下先輩は立花先輩に、春休みにもいじめの対処のために相談を申し出ました。ということは昨年度が終わるまでに、いじめは解決しなかったんです」
僕は立花先輩と山下先輩の方を見る。二人は頷いた。僕の推察は今のところ正しいらしい。僕は続ける。
「今回の事件が起こったという事は、西先生は何もしなかったんでしょう。そこで立花先輩は、西先生を恨みました。なぜ自分を助けてくれなかったのか。教師として、生徒を守ってくれなかったのか。そこで思いついたのが今回の事件です。理科室から物が盗まれたなら責任があるのは理科の教員だ。立花先輩は、西先生に責任を負わせたかったんですよ。…………違いますか?」
「違わないよ。何も違わない」
「なら、菜箸と計量カップは…………?」
霧遙先輩が聞く。恐らくだけれど…………。
「それはカモフラージュでしょう。ビーカーとマッチだけが盗まれたとなれば、僕らは当然理科室に何かがあると考える。それを避けたかったんでしょう。ある程度は大きな事件にする必要があったんだと思います」
立花先輩は頷いた。僕の推理は、間違っていなかった。正直、間違っていてほしかった。このまま有耶無耶になって、何もなかったことにしたかった。でもそれは、立花先輩が苦しむことになるかもしれない。それなら、間違っている可能性を孕んだまま、説明を行うしかない。それを理解したから、僕は今日この人を呼んだんだ。
僕は締めの言葉を口にする。この後もまだ少し、続くのだけれど。
「先輩は西先生に復讐をしたかった。これは十分な動機となりうる。犯行が可能で十分な動機がある。だからあなたが犯人だと分かったんです」
立花先輩は、笑った。面白いくらいに、笑った。そして息も絶え絶えになりながら、言った。
「あ、ありがとね。ふふ、じゃあこれから私がやって欲しいことも、分かってるんでしょう?」
僕は聞き返す。
「やらないといけないことですか?」
「分かってるでしょう?」
質問に対して返した質問にも、質問が帰ってきた。僕はその質問に行動で返した。ポケットからスマートフォンを取り出す。止める気配はない。間違っていないようだった。そして僕は、とある番号に電話を掛ける。ワンコールでつながった。できれば、もっと長い時間がかかって欲しかった。
『何だよ、克治。あんまり、何もないのに電話を掛けるなよ?』
今日一大きい溜息をその時吐いたような気がした。そして僕は、立花先輩が望んでいる言葉を口にした。
「市立羽場高校で窃盗が起きました。犯人は化学室にいます。そこまで大規模じゃないので、最小限の人数で良いです」
『現行犯か?』
「いえ…………窃盗自体は春休みに起きました」
『ややこしそうだな。わーった。今から行くよ』
「ありがとうございます、翡翠さん。…………誰か叩かれるかもしれないってことだけ言っておきます」
『了解』
電話が切れた。無風部と山下先輩がこちらを見ている。そうか、僕の今の行動も説明しなければいけないのか。立花先輩に視線で尋ねた。肯定が帰ってくる。僕は仕方なく、言った。
「さっきの動機だけれど…………あれだけじゃ狙いを西先生に絞れない。他の理科教員の責任にもなりうる。立花先輩は警察に逮捕される時に今、僕が言ったことを説明するつもりですよね。これで確実に、西先生だけに責任を負わせる。これが、あなたが本当にやりたかったことだ。違いますか?」
立花先輩は頷いた。その後首を振った。
「どういう事ですか?」
「半分正解で半分不正解。それもあるけど、一番の理由は…………」
歓びの表情。僕が説明をしている間の立花先輩の表情をそう形容した。今の立花先輩の表情は、それ以上に歓びに満ちていて、さっき以上に、解放感にあふれた晴れ晴れとした気配を湛えていた。彼女は言った。
「もう学校生活疲れちゃって。退学したいなって思ったの。だから、私が警官を叩く事を事前に伝えといてくれて、ありがとね」
退学の基準は分からない。叶原に聞けば教えてくれるのかもしれないが、普通生徒はそれを知らない。窃盗だけでは、停学に留まるかもしれない。先輩はそう思ったのかもしれない。だから確実に退学するために、暴行の罪も自身に加えようとしたんだろう。
山下先輩が振り向いて、立花先輩に近づいていく。ゆっくりと、ゆっくりとした歩幅で。何かを話しているが、それを聞こうとは思わない。山下先輩は泣いていて、立花先輩が優しく微笑んでいることだけは伝わってきた。好奇心の塊である俊徳も、今この時だけは静かにしていた。彼女たちの同級生である霧遙先輩はどう思っているんだろうか。まあ、どちらにせよ八割五分は、これで解決だ。
翡翠さんたち警官が来るまでは、首を絞めつけるような空気が化学室を満たしていた。
「成程な」
翡翠さんは僕の横に立ってそう言った。僕らは窓際に背中を預けて話をしている。今、翡翠さんにも大体の概要を説明した。僕の知り合いの別の警官が、山下先輩と立花先輩、霧遙先輩の話を聞いている。
「ちっ、叶原の野郎」
「それ、俊徳たちには言わないでくださいよ」
「分かってるのか」
「まあ、少し考えれば」
そこで翡翠さんは僕の髪をわしゃわしゃとした。
「何ですか?」
「いや?見てくれだけは元に戻ったなって思っただけだ」
「まあ、おかげさまで」
翡翠さんがいなければ、立ち直れていなかったというのも事実の側面の一つではある。だから僕は感謝を口にした。そうだ。叶原は素直に答えてはくれないだろうし、翡翠さんに聞こう。
「翡翠さん」
「何だ?」
「翡翠さんと叶原と赤羽と翼さんって、全員知り合いですか?」
翡翠さんはもう一度僕の髪をわしゃわしゃした。僕はその手を退かして、聞く。
「何ですか?」
「懐かしい名前を出してくるって思ってな。ああ、全員羽場高出身だ」
「やっぱりそうだったんですか」
「そんで全員が無風部だ」
「それは知りませんでした」
なんと数奇な偶然なんだろうか。数珠のように繋がっているという好川先生の言葉が実感できた。僕らの後にも、また別の無風部が続いていくのだろうか。そうだとしたらそれは壮大で、それでいてちっぽけなんだろう。でもそれが、人が享受できる最大の日常のような気がした。
話が終わったようだった。立花先輩と話をしていた警官が立ち上がる。そこで翡翠さんは言った。
「立花怜美、こっちに来い」
立花先輩は戸惑いながらもこっちに近づいてきた。嫌な予感がする。そう言えば、まだ誰かを叩いた音は聞こえていない。
「叩くならこいつを叩け」
「翡翠さん、何で僕を」
「お前がとっとと私を呼ばなかったからだ。そうしてれば直ぐ終わってたんだよ」
「それは色々な事情が重なって」
「結局呼んでるじゃねえか」
それはそうなのだけれど。教師には体裁という物があって、それを守るために通報していないという話を相談された初日に俊徳とした。だけれどあの時にそれを無視して通報していれば、この学校で起きた、残酷などこにでもある真実を知ることなく、相談を解決することが出来たのかもしれない。
「だからと言って、僕は悪くないです」
「それじゃあ、黒御君。暴行ってカウントされるためだから、全力で叩くよ」
「…………慰謝料が出るなら別にいいですけど。あ、叩く前に」
「何?」
僕は立花先輩に聞いておくべきことがあった。立花先輩と言う犯人を見つけ出したのは、目的じゃない。目的のための礎だ。僕が山下先輩から受けた依頼は…………。
「盗んだもの、どこに隠しましたか?」
「退学のために壊しました」
この人は本当に…………それ程つらい出来事が去年あって、そこから助けなかった人に対して強い恨みを抱いたんだろう。なら、僕が言う事は一つだけだ。これで、八割五分は完全に解決だ。万が一、僕が倒れても物が壊れない場所に移動しながら、僕は言った。
「それだけやったなら、幸せになってくださいよ」
「なるよ、絶対に。その為の、復讐だから」
僕は叩かれるのが一回だと勘違いしていたため、その後十発以上のビンタを警察の前でもろに喰らう事になってしまった。僕は人生の中で初めて、心の底から笑って警察に連れていかれる人を見た。その時、すれ違った山下先輩に言った言葉を僕は知らない。翡翠さんに聞こうとも、思わなかった。こうして、僕たち無風部は初仕事を終えたのだった。部活動の時間は、もうとっくに終わっていたけれど。
僕はその後、帰路につこうとしていた。別に今回の事は嬉々として会話の話題に出すものでもないわけだし、することもないのでもう帰って本の続きでも読もうかと思っていた。階段を下りている途中、後ろから声を掛けられた。
「黒御君」
「霧遙先輩、どうしたんですか?」
霧遙先輩は階段の上から僕を見下ろしていた。僕も首を上げて目を合わせる。霧遙先輩は言った。
「無理に誘っちゃったから…………どう?無風部は」
「楽しいというのも違いますし、面白いというのも適してないですね」
霧遙先輩は困ったような顔をする。違う。別にそういう事が言いたいわけではない。僕は、無風部をどう形容しているか。一つの義務を終えて、僕がこの部活動に対して抱いたのは。立花先輩を通して、知ったことは。この感覚の名前は。
「今日、出来事が一段落しました。僕は言葉では言い表せないけれど、何かを得たような感覚になりました。きっとそれが、無風部で活動していくうえで、得られるものなんだと思います」
僕は霧遙先輩に言った。
「これからの活動で、それの名前を知りたいです。今後とも、無風部員としてもよろしくお願いします」
霧遙先輩は微笑んだ。この人は自分が無理に誘ったと思っている。それは間違っている。僕らは霧遙先輩に惹かれたからこの部活動に入った。そして今日、僕は無風部にも少し惹かれた。
僕は明日からも無風部として活動していくのだろう。僕は霧遙先輩に言った。
「それじゃあ、さようなら」
「ええ、さようなら。また明日」
僕は首を上げるのを止める。少し首が痛いな。首よりも頬の方が痛いけれど。僕は靴箱に行って靴を履き替える。さて、山下先輩はどこにいるんだろうか。そう思い、しばらく歩き回っているとベンチの一つに山下先輩が座っているのを見つけた。周りには誰もいない。僕は近づいて、話しかける。
「山下先輩」
「何、黒御君」
山下先輩は今も涙を少し溢していた。僕はそれを見て、内心驚いた。本当に凄い人だと思った。この人に相談を受けてから、今日に至るまでの四日間が思い出される。僕は隣に座って、言う。
「もう噓泣きはやめていいですよ」
僕のその言葉に暫く返事は返ってこなかった。僕は今度は失敗したかと思った。すすり泣いているような声が聞こえる。本当に、山下先輩はただただ友達が逮捕されて泣いていただけだったのかもしれない。そう思った時、山下先輩が顔を上げた。
泣いてはいなかった。すすり泣きだと思ったのは笑い声だった。
「そこまでの名探偵は、求めてないよ…………」
山下先輩は諦めたようにこちらを見た。
「どうして、分かったの?」
「さっきの説明で僕は、立花先輩は春休み中に生徒会室に入ったから鍵の在り処を知っていたという話をしましたよね」
「うん」
山下先輩は頷いた。心なしか楽しそうだ。まあ、そうだろう。僕が考えているこの人の動機から考えれば、不思議な感情ではない。僕は続ける。
「でも生徒会室に行ったのは山下先輩が申し出たからです。もしそうだとしたら、立花先輩は鍵を見て咄嗟に思い付いたという事になります。あの計画を。そんなことが可能ですかね」
「私が言わなかったら、怜美ちゃんから申し出ればいい」
「まあ、そうですね。もう一つの疑問。こっちこそ簡単ですよ」
僕が俊徳に指摘されたくなかった質問。ずっと冷や冷やしていた。でも指摘されなかったので、安心した。それを今、ここで口にした。
「なら、あの扉の存在はどこで知ったという話になる。会長が知らなかった扉の存在を、立花先輩はどこで知ったのか。あなたが教えたんじゃないですか?そもそも、この計画はあなたが考えた物なんじゃないですか?」
「なら、私は友達のために酷いアイデアを提供したんだ」
「友達のため?そんなのはあなたの目的の一部でしかないでしょう」
これははったりだった。しかし、山下先輩は驚いたような表情をしている。どうやら当たりだったみたいだ。僕は続けて、自分が考えた山下先輩の動機を口にした。
「あなたは自分の推理小説を作る能力を確かめたくて、この事件を引き起こしたんだ」
山下先輩はすぐに聞いてきた。
「どこで分かったの?」
「あなたに生徒会室まで会いに来た三人。全員があなたの日本語能力を当てにして来ていた。そして僕が鍵の置いてある場所を言い当てた時、あなたは嬉しそうにした」
「犯人が見つかるかもしれないと思ったからかもしれない」
「犯人、ですか」
この人は僕の推理の穴を突き付けているけれど、何がしたいのだろうか。いや、恐らく…………参考にしているのか?自分が書く推理小説の参考に。そんなの参考になりはしないと思うけれど。
「あなたは無くなった備品を見つけて欲しいといって相談をしに来た。いつから犯人探しに目的がすり替わったんですか?」
「それは、黒御君が犯人探しでもしているみたいに私に聞いてきたからかもしれない」
「ならその時、備品は盗まれたのかという反応があるべきじゃないですか?」
「しなくてもおかしくはない」
「というより妙な点が幾つもあるんですよ」
僕は言った。山下先輩は疑問に思っているようだった。分からないのだろうか。おかしな点が。
「何で鍵を印鑑に掛けておくんですか」
「変?」
「変です。五、六個とは言っても鍵は鍵。大切に保管しておくでしょう。生徒会の責任問題ですよ。あなたの行動はまるで、謎解きをさせるために証拠を残しているかのようだ」
「他には?」
「一応ありますけど。霧遙先輩は昼間に化学室から物を盗むのが難しい事の理由として、生徒の目がある事を挙げました。でもそれよりも簡単に好川先生がいるから、で解決できる。なら先輩は好川先生が常にパソコン室にいることを知らなかったんでしょう」
先輩は口を挟まずこちらを見ている。
「そして今回の、備品が盗まれたという出来事は生徒たちの口伝によって広まった。大垣先輩も先生から言われたではなく、噂になっていたからと言っていたことから考えられます。大方、山岳部と裁縫部から広まったんでしょう。という事は長嶋さんは山下先輩にぐらいしか話してないという事です。教室の備品を点検している長嶋さんと親しいなら、戸締りを行う好川先生のルーティンの事も知っている可能性が高いと考えたんです」
「成程ねぇ~」
しかし先輩はまだ指摘を続けてきた。
「それじゃ、確定的な証拠はない」
それは俊徳にも話したことだ。同じことを先輩にも言う。
「僕は警察じゃなくて無風部です。確実なんていりません」
「なら君は、可能性が高いと言うだけで、私に噓泣きはやめろって言ったの?」
「はい」
山下先輩は大きな声をあげて笑った。やめて欲しい。人が近づいて困るのはお互い様だというのに。特に無風部の誰かに見られたら面倒だ。確かに、妙なことかもしれないけれど。先輩も人が来た時の面倒さを理解しているのか、すぐに笑うのを止めた。
「はぁー…………イカれた人も求めてないんだけどな」
「それで、僕の指摘はあってるんですか?」
「なら、これが最後の最後の抵抗!」
「はい」
山下先輩は笑顔で言った。
「それにしては、私は面の皮が厚かったと思うんだけどそれについては?」
「演劇部のエースでしょう、あなた」
「…………それもバレてるのか…………どこで分かったの?」
これは推理というより勘だけれど。
「先輩が練習が必要とか言ってたのが一つ。部活棟の部じゃないというのが一つ」
「どうして?」
「相談を受けた日、急ぎ足で部活棟に向かいました。なのにすれ違わなかったどころか、校門にいた。なら部活棟じゃないんじゃないかって思ったんです。これも、勘ですけど」
僕は続ける。
「ずっと制服だったので運動部じゃないと思いました。それで、よくよく考えてみれば芸術棟でもないんじゃないかって」
「何で?」
「僕はあの日、ホームルームを抜け出して、人と話してたんです」
「…………柄にもあわずヤンキーな事するねえ」
事情があったからだ。芸術棟と部活棟を部活動見学の時間も使って、歩きまわされた。しかも退屈な説明もプラスで。俊徳によれば教室でも退屈な説明はあったそうだけれど、僕は彼から説明を受けていた。ピアノの演奏がなければ、彼と僕の縁は切れていたと言っても過言ではない。それ程退屈だった。
「練習が必要となれば…………失礼ですけど、同好会化している軽音部と美術部はないと思いました。それで、あの日に芸術棟を全部歩き回った僕から言わせてもらうと、廊下で演奏している人たちと廊下に置いてあった荷物の数に齟齬はありませんでした」
「…………瞬間記憶能力?」
「違いますよ。記憶力がいいだけです」
「違うのかな…………」
「芸術棟でも部活棟でもないとなったら教育棟ですけど、俊徳はそんなことを口にはしなかった。教育棟にある無風部以外の部活について彼は何も言わなかった。それを話すような場面はあった。にもかかわらずその情報は出なかった。立て板に水を体現したような人間です。あったら言わないはずがない」
特に、司書の話をしていた時。あの時に話すはずだ。昼間にある目の一つとして、別の部活がある事を話すはずだ。それについて、何も話題に出さなかったという事は教育棟にある部活は無風部だけなのだと僕は思った。
「でもその三つの棟でもないとなると、体育館です。体育館でやる、運動部じゃない部活。僕は演劇部なんじゃないかと思いました」
「おお~。完全に勘なのかと思ってたけど、ある程度は考えてたんだ」
「まあ、少しは」
山下先輩はぱちぱちと拍手をして、五秒ほどでそれを止めた。そしてこっちを見た。
「じゃあ、最後の質問。これが終わったら、私の事を話してあげる」
「はい」
「私はどこで扉の事を知ったの?怜美ちゃんが見つけられないのはそうだけど、私も無理じゃない?事実、大垣先輩だって知らなかったんだし」
「叶原に教えてもらったんでしょう。そもそも叶原から言ってきたんじゃないですか?」
山下先輩は頬を膨らませた。怒っているようだった。
「何でわかるのよー」
「感情論ですよ」
「え?」
「人間が生きていくうえで、何があったとしても必ず介入してくる感情論。それだけでしかありません。月曜日に叶原は、俺は権力には屈しないと言いました。それを信用しただけです。僕が信用している叶原羽翼が、いじめられている生徒を見殺しにするような教師じゃないと、そう思っただけです」
山下先輩は笑った。
「ツンデレだね」
「何がですか」
「そんなに叶原先生の事を尊敬してるなら私から伝えておくよ」
「やめてください、デマを流すのは」
「デマじゃないでしょ」
…………。付け加えるとするならば、叶原は長年学校にいるから、知っている可能性が高いと思ったのと、単純に教師だから知っていると思ったという二つの理由があるのだけれど、それはいらない。結局、僕は山下先輩の件と叶原の件は勘で解き明かしたに過ぎない。そこを求められていないのにわざわざ説明する必要はない。そう言えば昨日、推理に興味はないと言っていた。なら、推理以外の点では興味があったという事なんだろうか。…………考える必要はないか。
さて、約束は守ってもらおう。
「それじゃ、先輩。話してくださいよ。何で今回の事件を起こそうと思ったのか」
「分かった。…………もともと私は文章を書くのが得意で、読書感想文のコンクールとかでもよく金賞を取ったりしてたんだよ。そんな事をしているうちに、小説を書きたいと思うようになったの。自分が持っている文章を綴る能力を職業にしたい、そう思ったの。ありふれた子供の夢だね」
「はい」
今思えば、日本語能力にかかわる相談が多かったというだけで、小説を書きたかったのかもしれないと考えたのは飛躍しすぎていたかもしれない。他の所である程度は整合性を付けることが出来たからよかったものの。
「ジャンルはミステリーにしようと思った。望川翼の病症シリーズの本が好きだったから、ああいう本を書いてみたいと思った。失敗してでも何回も挑戦して、いつか自分の本を出したい。そう思ったの」
探せばどこかにはありそうな話だと思った。こんな事件を起こそうとする気概にはつながらないような気がするが…………それはここから分かるんだろう。そして、僕の予想は正しかったみたいだ。話が不穏な空気を纏い始める。
「親にそう言ったら、反対された。小説かなんて職業じゃなくて、公務員みたいな安定した職につけって言われた。それでも、って反発したら一回だけ応募して、その結果によっては考えるって言われたの」
…………そういう事か。
「一回。一回の挑戦で初めて小説を書く私が、何かしらの賞を取る。それは、夢を賭けるには少なすぎるし、重すぎる。だから私は、確実な一冊を書くことに決めた。でも自分の実力なんて分からない。友達に聞いても心配で、ネットに聞くなんてもってのほか。怖かった。現実で日常の謎みたいなのをやってみて、自分の実力を試してみようとも思ったけれど、無理だった。それで、何も出来ないまま、高校一年が終わろうとした時、ある事があったの」
「ある事?」
「年が明けたらね、無風部が一人減ったの。無風部はハルちゃんも頭いいけど、もう一人…………ホームズみたいな、明智小五郎みたいな名探偵がいたの。そんな人に解かれても、自分の考えたアイディアの良し悪しなんて分かりやしない。何もかもをねじ伏せる本当の天才。そんな人が、いなくなったの。チャンスだと思った。秀才は欲しいけれど、天才はいらない。私が望んでいた状況が生み出されたの」
元から、無風部に相談を持ち掛けるつもりでこの事件を起こしたのか。いや、当然か。事実彼女は、新学期が始まってすぐに相談を持ち掛けてきたのだから。あの時は申し訳なさそうにしていた。新学期になって早々ごめんとも言っていた。でも本当は、山下先輩は遅すぎるとも思っていたんだろう。年明けからずっと、虎視眈々とその時を待っていたのだから。
「かといってすぐに相談しに行っても嫌じゃない。ハルちゃんも友達だし、仲間がいなくなって傷ついてる友達に謎を与えようなんて気にはなれなかった。そこで私は、叶原先生に話したの。何年も私が抱えていたことを。黒御君も言ったけどね、信用できるんだよあの人。出してくる課題は多いけど、ちゃんと生徒の事を考えてるのが伝わってくる。それで、相談したら…………」
「したら?」
「立花のいじめもお前の悩みも解決する方法を教えてやるって言われたの。おかしいでしょ?私が謎を現実でも試したいって言った時に、今回の謎にうってつけの扉を教えてくれた。好川先生のルーティンの事も。ミステリーに必要な登場人物と場所を得た。私は怜美ちゃんと一緒に考えて、怜美ちゃんと私の目的を同時に達成する方法を思いついたの。それが、この事件。西先生は、退職まではいかないだろうけど面倒なことになるだろうし、私は自分のアイディアを試す、挑戦が出来たわけだし…………本当は、ハルちゃんが、怜美ちゃんが犯人って見抜ければ重畳、怜美ちゃんの目的まで分かれば十全…………ぐらいのつもりだったんだけど」
山下先輩は溜息を吐いた。でもそれは、僕や翡翠さんの溜息とは違って、疲れを感じさせなかった。何かを終えた時の達成感のようなものが感じられた。僕がこの事件が終わった時に抱いた、何かと同じものだろう。
「まさか無風部に新入部員が、それも名探偵が来るなんて」
「名探偵じゃないです。ただの無風部ですよ」
「名探偵はみんなそういうんだよ」
「みんなは言わないですよ」
これが、山下先輩の動機か。…………それじゃあ。
「立花先輩は山下先輩の目的を知ってたんですか?」
「知ってたよ。…………私が友達を利用したと思ったの?」
「それぐらいはしてもおかしくないと思っただけです」
「ひどいなぁ…………」
そんな事を言いながら、先輩は勢いよく立ち上がった。そしてこちらを向いた。あの日は夕暮れが僕らを映し出していた。今日は違う。もうすでに太陽は…………。
「初読者くん。私の物語はどうだった?」
「文章がないので、そこは何とも言えませんが…………発想は良いと思いますよ」
「そう」
「もう少し、証拠とか登場人物とかを突き詰めていった方がいいと思いますけどね」
先輩は耳をポリポリ掻いて、「手厳しいなぁ」と笑った。僕も立ち上がる。先輩は言った。
「でも黒御君が学べたからそれは良しとしておこう!」
「学べた?何をですか」
「世の中には知り過ぎてはいけないこともあるってこと。怜美ちゃんを指摘したところでやめておけば、わたしからの好感度も下がらなかったものを…………」
「別にいりませんよ、先輩からの好感度なんて」
「…………本っ当、手厳しいなぁ。素直に学んどきなよ」
「そうですね。とりあえず、学んではおきます。活かすかどうかは別としてですけどね」
僕らはその後、月曜日と同じように帰路についた。あの時よりも遅い時間だから、見えている世界は全く違う。翼さんの本の話や、今日の推理の話などをした。月曜日と同じように、山下先輩の家の前までついた。
「じゃあ、またね」
「はい、さようなら」
日は沈んでしまっている。暁色の空は、青黒い闇に包まれた。満月型に近づいた月が、地上に光を溢れさせていた。
月に照らされて、僕と山下先輩の影が映し出されていた。きっと立花先輩も、何処かであの月を見ている。自分のために事件を起こした二人の先輩を、僕は尊敬する。きっとこの二人が宿している影は、人が失うべきじゃないものなのだろうから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます