何で物を盗むのか

あの後、叶原に聞きたかった質問をしたところ、僕の考えは正しかったらしい。叶原がパソコン室で何をやっていたのかを聞いてみたけれど、ただ話をしてただけだと言われてしまった。三分ほど会話をしたけれど、その会話の中で叶原は好川先生の事を一度も名前では呼ばなかった。僕はその後、好川先生に一つの事を頼んだ。彼は渋々ながら了承してくれた。

僕と俊徳はパソコン室から出る。そろそろ図書室に戻る必要があるからだ。図書室はすぐそこだ。会話もしなくていいだろう。俊徳は先程の会話の内容を話してこない。つまり彼に話す気がないという事だろう。俊徳は自分の話したくないことは、自分から話さない。なら僕も、それに興味を示す必要はない。図書室の前に着く。僕は扉を開く。昨日と同じところに霧遙先輩と三田川が座っていた。


「あ、黒御君」


「こんにちは、霧遙先輩。少し遅れました」


「少しじゃないけどね」


「二人だけですか?」


「当たり前でしょう」


当たり前か。

部活動時間が昨日と変わっていないのだとすれば、今日の活動も直に終わることだろう。確かに、少しではないな。同時に、昨日の僕は留めぬ玉についてどれほど長い時間考えていたのだろうかという嘆きも湧いてくる。僕は俊徳と共に、二人の近くの席に座る。結局、僕が三田川の隣に、俊徳が霧遙先輩の隣に座る。ただ、僕が霧遙先輩と向かい合っていて、三田川と俊徳は向かい合っていないという少し奇妙な配置になる。


「二人はどんな話をしてたんですか?」


「盗まれたものの事と、テストの事と、本の事よ」


誰もかもテストの話をしないと気が済まないようだ。勉強熱心で素晴らしい。僕はこんな早くから勉強する気にはなれない。


「テスト…………」


無風部は僕以外全員努力家らしい。時と場合によっては見習わなくてはいけないな。僕がそんな結論を得ようとした時、三田川が否定してきた。


「テストって言っても、どんくらい難しいのかって話だからね。流石にまだテスト勉強はしてないよ?」


「あ、そうなの」


とはいえ、普通の高校生はテストという単語すら今は口にしないと思うのだけれど。そして、テストについて話すことを普通だと思っているとは。無風部の女子二人が真面目であることは疑いようのない事実のようだ。まあ、難易度は僕も知っておきたい。霧遙先輩に聞いてみた。


「どんな問題が出るんですか?」


「写真あるけど、二人とも見る?」


「見ます」


「俺もミマス」


その発音だと土星の第一衛星だ。

霧遙先輩はスマートフォンを取り出して、一枚の写真を見せてくれた。いや、それにしても出たテストを毎度写真に収めているのか。この人が一番真面目かもしれない。

僕と俊徳はスマートフォンを覗き込む。数学のテストだった。…………そこまで難しくないな。高校になって、劇的に難しくなるという事もなさそうだ。これぐらいだったら、今の状態でも九割以上は堅いだろう。

僕と俊徳は元の体勢に戻る。…………ああ、でも記憶が間違っているかもしれないな。一応、聞いてみるか。


「その数字とか文字を挟んでる二本の縦棒って絶対値記号でしたっけ?」


「そうよ」


「へぇ、絶対値。格好いい中学数学ワードランキングで、見事十二位を獲得している奴か」


そのランキングは絶対主観が入っている。以前聞いたことがあるけれど、一位が無作為抽出で、二位がヒストグラムだった。俊徳はデータの活用の分野が好きなのだろうか。僕はあまり好きじゃない。僕が一位だと感じている定数項は四位だった。残念な事だ。


「高校では名前だけ知ってたものの中身を知れるらしいからなぁ」


俊徳はそんなことを言った。


「例えば?」


三田川が聞いた。


「数学で言うと、部分分数分解とかサイン・コサイン・タンジェントとかだな」


部分分数分解ね。…………いや、それにしてもなんて無為な会話をしているんだ。僕はこの後、やらないといけないこともある。…………入学早々なんてことをしようとしているんだという話だけれど。一度確かめておかなければならない。例の四人については明日にまわすしかないだろうな。

そう言えば、二人も盗まれたものの事について話してたって言ってたな。会話はコペルニクス的転回へと向かっている。比喩ではなく。それを中断するのは申し訳ないけれど、山下先輩の件の方を優先するべきなのも確かだろう。


「盗まれたものに関しては、どんな話をしていたんですか?」


地動説について話している二人は答えてくれない。俊徳は知らないからいいのだが。僕の質問には、霧遙先輩が答えてくれた。


「逐次、戸澤君から情報が送られてきてそれを見ながら話してたんだけど…………」


「印鑑をいじりながらそんなことしてたのか…………」


「印鑑?」


「何でもないです」


スマートフォンなんて出していただろうか。出していた覚えはない。ということはこっそり行っていたのだろう。わざわざ僕に隠れてすることでもないだろうに。


「どうやって盗んだのかもよく分からなかったから、別の事を考えてて…………犯人の動機は何なんだろうって」


「動機、ですか」


何の偶然か。僕もそれについて考えている。何故犯人はビーカー、マッチ、トートバッグ、ロープ、菜箸、計量カップを盗んだのか。一個ずつであることに意味があるのだろうか。盗んだもの自体に意味はあるのだろうか。六個の物を盗んだことに、意味はあるんだろうか。それらを考えていくことで、犯人の心情や状況を割り出し、絞り込む。そうしたいのだけれど…………。

霧遙先輩は話す。


「黒御君は、どんな事があれば学校の備品を盗もうと思う?」


「どんな事があれば…………。そう言われると難しいですね」


「そうなのよ。三田川さんとも話してみたんだけれど、すぐには思いつかなくてね」


そうやって考えてみると…………どんなものがあるだろうか。学校の備品を盗みたいと思うような出来事か。霧遙先輩の言う通り、すぐに思いつくことはできない。


「一個、思いつきはしたんだけれど…………これが事実だったら、嫌ね」


「それって、どんなのですか?」


霧遙先輩の答えを聞いて、僕も同じ感想を抱いた。


「教師に対して、強い恨みを抱く何かがあった、とか」


ただ、ありえない話ではないと思った。本来、子供を導く存在…………大人がその子供を守らず、攻撃する。どこにでもある、どこにもあってはならない話。この世界にはそんなものがごろごろと転がっている。その事実すらも、あってはならない事実。だけれども世界はその事実に寛容で、見て見ぬふりをし続ける。誰かが世界に異を唱えても、少数派の声は小さく、それに対するかのように多数派の声は大きい。人は変化を恐れて、そして自分たちが今まで容認し続けた狂気を抑えつけて、無意識のうちに多数派になびく。それを非とする少数派は、例えばニュースで取り上げられたとしても、二週間もせずに消えていく。もし同じような事例が取り上げられたとしても、人々はそんなことがあったのかと、それらを別の問題として捉える。それらがなくなることは決してなく、生まれ続けることは間違いない。

それが、この学校で起こっていたのだとしても、僕は構わない。それでも、もし今僕が解決しようとしている出来事の犯人がその被害者なのだとしたら、僕は必然、それに関わることになるだろう。その時、僕はどうするだろうか。何も考えず、多数派になびくような僕が、真正面からその被害者に対峙したとき僕は、きっと…………。


だけど、そんなことは実際に起こった時に考えればいいことだ。僕はそうやって、蓋を閉じた。


「確かにそれは、残酷ですね」








部活動の終了を告げるチャイムが鳴る。無風部員たちは帰宅の準備を始める。僕はスクールバッグは持ったけれど、やっておきたいことがあるので、帰るわけにはいかない。

やりたいことがあるけれど今日も三田川に頼むのは不味いだろう。でも確かめてみないことには…………。それに悠くんと悠奈ちゃんをほったらかしにするのは駄目だろう。ああ、でも僕がこれをやる必要はないのか。…………とはいえ、頼みにくいものではある。霧遙先輩に頼むのは、駄目だ。霧遙先輩の家には親がいる。帰ってこなかったら不安になるだろう。三田川に頼むのは、昨日無理を言った負い目もあり、進んで行いたいことではない。俊徳は…………どうだろう。特に負い目は感じないけれど、何なら押し付けたいけれど、真面目にやってくれるかどうか…………。変な行動をしないかどうか…………。俊徳は『普通ならやらない事』に興味を惹かれる性質だ。余計ないことはするかもしれないが、やって欲しいことは必ずやってくれるんじゃないか?彼の余計でお門違いな僕への信頼が、その後起こる『普通なら起こらない出来事』への期待となってくれるはずだ。それに、今までの大量の貸しがある。これで少しでも借りを返してもらおう。

三田川と霧遙先輩はすでに図書室から出ていた。俊徳はお勧めの本コーナーを物色していた。都合がいい。僕は俊徳を呼び止める。


「俊徳」


「何だ?」


「幾つか、やってもらいたいことがあるんだけど」


俊徳はにやりと笑った。


「どんと来い」


「今日、帰れなくなるかもしれないけど、野田さんとかは…………」


「大丈夫だ。俺から連絡しとくよ」


こういうところだけは、心強い。ただ野田さんに関しては、僕が原因で別れないといいのだが。いや、この二人に関しては心配無用か。別れるにしても、どちらかの気紛れだろうし、どちらも気にしないだろう。

だけれど、受けてくれるならよかった。詳細を話したらやってくれない可能性もあるのだけれど。


「まず何をするのか説明するよ。その後に、それをする理由を。間に合わないかもしれないから、歩きながら話すよ。まず僕が…………」


僕は俊徳に話しながら、歩く。そして、靴箱で靴を履き替え、校門に向かう。その中でも、なるべく人だかりから離れたところで立ち止まる。俊徳は頷きながら、笑みを絶やさず聞いていた。


「…………これでまず机上の空論を、実現可能な事実に落とし込む。やってくれる?」


「了解。任せておけ」


俊徳は親指を立てて、白い歯を見せた。


「ありがとう。…………それじゃ、少し待とうか」


「ああ」


それから五分ほど待った。お目当ての人物の姿が見えたので、僕はその人に近づいていく。そして、言った。


「山下先輩、一つ頼みたいことがあるんですけど」


そこから会話を続ける。どうやら僕らの計画は白紙にならないようだった。ただ、少しだけお咎めを喰らったけれど。俊徳は校舎に向かって歩き始めた。それを見届けてから僕は帰路についた。今日は別に、山下先輩からの申し出のようなものは何もなかった。

家に着いてから、悠くんと悠奈ちゃんに夕食を作る。二人と話をして、風呂に入らせ、寝かせる。僕は自分の部屋で病症シリーズの十巻である『舌苔』を読んでいる。俊徳から連絡が来た時に、すぐに反応できるようにするためだ。とはいえ、万全を期しているので、しばらくは来ないだろうけれど。僕はしばらく物語の世界に身を浸す。


九巻の『掻痒感』では、主人公・長谷部罫子はせべけいこが犯人の死への欲求に向き合う話だった。事務所に入った一つの奇妙な依頼を佐渡島で解決していく中で、その真実に気づく。その経験を経ての『舌苔』という事らしい。僕は本を開く。


神経を逆撫でする様な匂いが立ち込める部屋に私は座り込んでいる。狭いし、窓もないので余計にその悪臭は凝縮されているように思えた。三つの死体。一人しか殺せないはずの凶器。縄で捕えられたひ弱な犯人。私は解決まで部屋から出ない。この男が犯した罪を正しく報告するために。この男に聞いても、得られるものはほとんどない。私はこの現場の状況から今から十時間前に起こったことを推理する。私はまず隣に置いてある『絞殺』死体に触れた。冷たい。その冷たさがこの部屋の外を思い出させる。十二月に入った今、日本は気温が下がっている。なので、防寒具を付けていても寒いと感じるほどだけれど…………。

外の冷たさと、死体の冷たさは違う。その違いは恐らく、静かかどうかなのだろう。静かな冷たさが死体で、激しい冷たさが外だと私は考えている。

死体を観察する。首には誰かが絞めた痕のようなものが残っている。だけれど明らかに捕らえられたあの男によるものではない。彼がこの男の首を絞めようとしても、この大男は抵抗することだろう。あのひ弱な男は、それを抑えつけることが出来ない。事実、先程私一人に鎮圧されたのだから。

その時、携帯電話が振動した。宗崎そうざきさんからの電話の様だった。先程、この部屋の中にいた四人の情報を教えてくれと頼んでおいた。その件だろう。

私はこの四人が佐渡島の事件と繋がっていることを、数分後に知ることになる。私は自分の数奇な運命を呪いながら、ここに来ることになったきっかけを思い出す。


ここで『序章:死体たち』が終わる。一章を読む前にやることがある。スマートフォンで気象庁のホームページを開く。そこで見たい情報を確認する。

俊徳から連絡が来て、告げられた情報が僕の予想通りだったならば、犯行方法は僕の考えたもので間違いないだろう。少なくとも、可能ではあるという事にはなる。ほぼそれで、間違いないとは思う。利用価値も生まれることだし。今頃俊徳は何をしているだろうか。メッセージを送ってみることにした。


『今、何してる?』


それから十分ほどして向こうからもメッセージが送られてきた。


『映画を見てる』


おい。


『二個目が終わったとこ』


どうやら、あそこでの生活をエンジョイしているようだった。まあ、確かに映画ぐらいは見られるか…………。いや、だからと言ってあんなところで映画を見るとはなかなか図太い奴だ。でも…………。


『違法サイトじゃないだろうな』


『ちゃんと会員登録してるって』


それならいいんだけれど。今は深夜十時ぐらいか。あと一時間半もすれば大丈夫だろう。僕は俊徳に言った。


『もう一個ぐらい、短い映画は見れる』


『そいつは良かった』


僕もこれから、一時間半待つのか。僕はリビングに行って、適当なコーヒーを淹れる。そのコーヒーを持って、自室に戻る。机にコーヒーを置く。そして置いてあった『舌苔』を開いて、続きを読み始める。

長い夜になりそうだった。

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