考察と質問

家庭科室にも備品確認用紙があった。そこにも長嶋武夫という名前が書かれてあった。十一時に点検を行ったらしい。以前の三田川達の報告通り、計量カップと菜箸が一つずつ盗まれていた。窓から下の景色を見て、ここからも飛び降りたら怪我をするだろうという結論を得る。しかし理科室…………化学室と呼ぶ癖を付けなければ。さっきも無意識に理科室と言っていたような気がする。化学室とは違い、盗むことは誰にでも出来た。と言っても、恐らく化学室のものを盗んだ人物と同一犯だから、部活動に所属していない生徒や、春休み中に部活動を行っていなかった生徒という事になるけれど。計量カップと菜箸が保管されている場所を開いてみたが、慎重に行えば、音はほとんど鳴らなかった。

ここから何かを考えるのは難しそうだな。そう思いながら俊徳と共に家庭科室から出ようとした時、僕のスマートフォンが振動した。霧遙先輩からの返信が来ていた。倉敷先輩以外の三人は部活動に所属していないようだった。僕は感謝の言葉を送り、俊徳にそれを報告する。


「ということは、倉敷先輩を除く三人の容疑が深まったわけだな」


「あんまり、ゲームみたいに言うなよ。これは実際に起こったことで、実際に生きている人間の話だ。疑いをかけられた側は、たまったものじゃないだろ」


「そうかもねぇ。いや、でも俺は、こういう予想できないことが大好きなんだよ」


そんなことは中学のころから分かっていた。こいつが通常の感性を持っていないことは。予想できない事をこよなく愛する、狂人。バタフライエフェクトやカオス理論が好きそうな男。


「深まったことは、事実だろ?」


「まあ、窃盗の全てを同一犯と考えるなら、部活動に所属していない方が動きやすいことは確かだけどね。だけど運動部はほぼ不可能ってだけで、文化部はその限りじゃない。特に、部活棟の生徒なんかはね」


漢字ゲーム部は明らかに部活棟の文化部。倉敷先輩が犯人だという可能性自体は、少なくない。漢字ゲーム部が春休み中に活動を行っているのかどうかは分からないが…………。


「あぁ、それもか」


「何が?」


「漢字ゲーム部って春休み中も活動してたのかな」


俊徳はそれにすぐに答えた。


「していたんじゃない?」


僕はあまりにも速く答えられたので、それを疑問に思う。漢字ゲーム部が春休み中に活動をしていた根拠。何かあっただろうか。


「山下先輩が言ってたんだろ?部活内でルール調整をしたゲームを山下先輩にやってもらったって。なら、活動は行ってたんだよ」


「まあ、そうか。スマホで通話しながらのゲーム作りってのは、無理があるしね。それはそうだ」


それに、倉敷先輩は文化部ではあるが、鍵を盗みやすかった人物ともいえる。途中で休憩のために抜けることも多かったというし、山下先輩も鍵は盗まれていなかったと断言していなかった。長野先輩の時は盗られていなかったと断言した。つまり、あの時本当に、鍵があったのか自分でもよく覚えていないという事だろう。

だが、冷静になって考えてみる。何故この犯行をするために、生徒会室の鍵あるいは山岳部と裁縫部の部室の鍵が必要なのか。

それは、そこに鍵がかかっているからだ。鍵がかかっている部屋に、扉などを損壊せずに入るには鍵が必要だ。

家庭科室と化学室はどうだろうか。どちらも昼間の間は鍵がかかっていない。昼間の間に物を盗むことは可能だが、化学室は技術科教員がトイレやらでパソコン室を離れた時にしか犯行を行えない。

そして、盗んだ後どうする。運動部はほぼ不可能。だが、長嶋武夫という人の話によると、スクールバッグを持ってきた生徒はいないらしい。部活棟の部活が荷物を必要にするものなのかどうかは分からない。それを俊徳に聞いてみることにした。さすがに、知らないとは思うが。


「部活棟の部活で、荷物というか、鞄のようなものが必要になる部活って何かあるか?」


しかし俊徳は即答した。


「それこそ、山岳部と裁縫部だろ。後は部活棟ではないけれど、吹奏楽部だ」


「何でそんなこと知ってるんだよ」


「実を言うと、昨日その話題はもう出たんだよ。荷物を必要にする部活動はどれぐらいあるのかっていう」


運動部を除けば、その三つという事か。昨日という事は霧遙先輩の言だろう。霧遙先輩は友人関係が手広かった印象がある。高校でもその人柄が変わっていなければ、その言葉は事実と受け取ってもいいだろう。が…………。


「吹奏楽部は、難しいだろうな」


「何で?」


「楽器を持ち運びする、あのケースの話だろう?そんなものを持ち歩いていたら、誰かしらの話の種になるだろう」


そして吹奏楽部を除いた時、残った二つの部活。これは春休み中に活動が行われていない。つまり、盗んだものを入れておくのに必要な入れ物を持ってきた生徒は皆、犯行が困難な状況にあった、という事になる。

…………何かを、見落としている?それともまだ、情報が揃っていない?僕は後者なような気がしていた。

とりあえず、自分が考えていることをたらたらと話し続ける。俊徳が何かを閃いてくれるかもしれない。


「本当に、昼間に化学室から物を盗むことはできるのか?」


「というと?好川先生がいない間に盗めばいいんじゃないの?」


技術科教員は好川先生というのか。


「無風部は、春休み中に活動を行っていたのか?」


「行ってはいなかった」


続けて、聞く。


「図書室は無人だったのか」


「それはどうだろう。司書の先生もいるから」


「昨日はいなかったよ」


僕はそういったが、俊徳はすぐにそれを否定した。


「昨日図書室を利用する生徒がいるわけないだろ」


それもそうだ。無風部を例外とすれば、図書室に立ち寄る生徒などゼロに等しいだろう。今日もそうだ。ここからしばらく、図書室に司書の先生は来ないという事か。


「って、叶原先生が言ってた」


叶原が言っていたことだったらしい。まあ、教員が言うなら間違いないだろう。そして、僕の予想もそれで裏付けることが可能になるような気もする。

僕は続けた。


「図書室には司書の先生がいる。そして教育棟を歩き回っている暇な生徒がいるかもしれない。見回りの先生がいるかもしれない。実は好川先生はトイレに向かったわけではなくて、すぐに戻ってくるかもしれない。そんな思いの中、物を盗むことが出来るのかな」


「物理的にじゃなくて、心理的に不可能ってことか?」


「もしかしたら、犯人は鋼のメンタルを持っていて、平然と盗み出すかもしれない。だが普通なら、そういう最悪の可能性が幾つも頭の中を巡りだすものなんじゃないかな」


僕は何を言おうとしている?自分の中でそれを確かめてから口を開かなくてはならない。間違ったことは場に混乱を呼ぶだけ。その言葉が、単なる予想でしかない事。俊徳ならこの言葉にも左右されないであろうという事を確かめてから、話そうとして、やめた。長嶋武夫さんの話を聞いてから話した方がいいんじゃないかというような気になった。

昼間の化学室の状況が分からない。


「…………長嶋さんか好川先生に話を聞きたいな。でも…………図書室に戻らなくても大丈夫か?」


「いいんじゃないか?俺達だって今、部活動を行ってるわけだし。俺は、生徒会室も見てみたいけどな」


そうか。生徒会室。ロープとトートバッグを盗むうえで、確実に通る道。春休みにあの中にあった部室の鍵を犯人は奪い…………二つのものを盗み出した。鍵は流石にもう各部長に返却されているだろう。でも、実際にその場の状況を見なければ、解けない謎もあるだろう。

好川先生や長嶋武夫さんに話を聞くのと、生徒会室に向かうの。どちらを優先するべきだろうか。どちらも同じだけ価値があり、いずれはやることだろう。まあ、後で図書室に戻るときに通るのだし、好川先生は後回しでいいだろう。長嶋武夫さんはどこにいるんだろうか。それを俊徳に聞いてみると、職員室にいるそうだ。本当にこいつは何でも知っているんじゃないかと思わせる。

生徒会室と職員室は何階なのか聞いてみる。答えがすぐに帰ってくる。どちらも一階だそうだ。もう驚かない。そして少し考えて、僕は決めた。


「一階に行こう。生徒会室を見てから、長嶋さんに話を聞いて、その後好川先生にも話を聞く」


「了解。…………くく」


俊徳は唐突に気味の悪い笑い声をもらした。


「ぞっとしないね。いきなり何だよ」


俊徳はその笑みを見せたまま答えた。


「いやはや何というか。一昨年の文化祭を思い出して」


「文化祭?」


「ほら、あっただろ?」


俊徳に言われて、考えてみる。だが、長ったらしく考える必要はなかった。忘れるはずなんてなかったからだ。一昨日。僕が中学二年生の時に既に母校となったあの中学校の文化祭で起こった…………事件。そう形容しても構わないだろう。あれを思い出す、か。窃盗が起こったわけではないとはいえ、大規模な事件ではあった。世間的に見れば、ニュースで流れたとしても、一ヶ月もすれば誰の記憶にも残らなくなるような情報。それでも、学校生活という狭い檻の中で見れば大規模な事件だった。僕が翡翠さんと出会ったきっかけでもある。


「あの時の名探偵ぶりを、また見せてくれよ」


「名探偵じゃないよ。あの時はたまたま分かっただけだし、今回も分かる保証はない」


「ははは!それはそれで面白い。ぞっとするね」


…………。


「ぞっとするに面白いという意味はないよ」


「おっと。ぞっとしないが面白くないという意味だから、勘違いしてしまった」


「普通はぞっとしないの方を間違えるんだよ」


僕のそんな言葉を無視して、俊徳は階段の方へと向かっていった。そして、振り返って、言った。


「ま、そんなことはいいからさ。とりあえず行こうぜ」


「…………そうだね」


階段を駆けながら下りていく俊徳を見ながら、僕はゆっくりと階段を下る。俊徳に走るなと注意をするかどうかを迷い、結局しないことにした。階段の下から、僕を呼ぶ声がする。元気な奴だと思いながら、僕は下りる。








「ここが職員室だ」


俊徳はそう言いながら職員室の扉を指さした。その他の教室と同じく、その部屋が何なのかを指し示す看板のようなものが付いているかと思ったが、ここが職員室だと示すものは何もなかった。扉の横には小さな机が置いてあり、その上にはアネモネとコルチカムやらが挿してある花瓶があった。

この廊下からは職員室の中の様子は全く見えない。この中に実際に入ってみるしかないようだ。俊徳に長嶋武夫さんの風貌は聞いていないけれど、探せばすぐに見つかるだろう。…………職員室にいるよな?まあ、いなければ出直せばいい話だけれど。

そして来たことで気づいたけれど、入学式で移動している途中にここを見かけたような気がする。俊徳はそれで覚えていたのだろうか。そうだとしたら、凄い記憶力だ。

それにしても、職員室というのは、どの学校も一階に位置しているものなのだろうか。小学校と中学校。そして高校。僕の通ってきた三つの学校は全て一階に位置していた。来客用の玄関等を一階に置くからだろうか?


「流石に長嶋さんの席は知らないから、自分で探してくれよ」


職員室の前だからか、俊徳は大声では言わなかった。そして、それはそうだ。知っていたら、お前は何者だという話になる。そして、彼の口ぶりから察するに、着いてきてはくれないようだ。だが、ん?


「じゃあ、どうやってスクールバッグの話を聞いたんだ」


「廊下で歩いてたんだよ」


そういうことか。まあ、いいか。僕は扉に近づいて、ノックをする。一応の礼儀だ。中から返事は返ってこない。もう一回してみる。やはり返ってこない。仕方がないので、扉を開けた。

広いという感想をまず持った。僕が今まで見たことのある職員室と比較してみても、かなり広い。いろいろな机にそれぞれの教師の個性がある。どれが誰かは知らないが。が、本が乱雑に置かれている机は叶原のものだろうと予想する。叶原は今、図書室にでも行っているのだろうか。

大人が疎らにそれぞれの机について、仕事を行っているようだ。今は部活を行う時間帯だからか、教師の数は少ないように見える。僕は言った。


「一年の黒御克治です。失礼します」


ここから見て、一番近い机にいた女性が僕に微笑み、礼をした。どうやら入っていいらしい。僕も小さく礼を返して、扉を閉めた。さて、どうしようか。何人も大人がいる。この中の誰が長嶋武夫さんなのかは分からない。武夫という名前から察するに男なんだろうけれど…………。僕はとりあえず、先の女性に聞いてみることにした。


「すみません」


「はい」


柔らかい対応だった。とりあえず安心する。


「長嶋武夫さんはいらっしゃいますか?」


この敬語、合っているだろうか。女性はすぐに答えてくれた。


「あの人ですよ」


女性が手を向けた方向には一人の男性がいた。第一印象は温厚なおじさんと言ったところだろうか。机のパソコンに向かっている。机の上も整頓されているようだ。僕は女性に礼を言い、長嶋武夫さんに近づいていく。長嶋武夫さんも僕に気付いたようで、顔を上げる。


「初めまして、長嶋武夫さん。無風部の黒御克治です」


長嶋さんは一瞬戸惑い、しかしすぐに表情を戻した。そして僕に言う。


「戸澤君から話は聞いているよ。スクールバッグの件だね」


話の内容も気になるが、それはひとまず置いておこう。彼が変な噂を吹聴していないといいが。


「それなら、窃盗の事も知ってますよね」


「ああ、もちろん」


僕は続けて、運動部の生徒は犯行を行うのが難しいことを説明する。その上で聞く。


「犯行が可能な二週間の間に、スクールバッグを持ってきた生徒は本当にいないんですか?」


「いなかったよ。断言できる」


彼は自信満々にうなずいた。こうなれば、信じるしかないだろう。何もかも疑っていたら、永遠に答えには辿り着くことが出来ない。一応、これも聞いておくか。


「学校を出る時に何か怪しいものを持っていた生徒はいましたか?」


「いなかったよ」


まあ、これは俊徳から聞いた通りだ。他にも点検のことを聞いてみようか。


「点検は二週間ごとに行っているんですよね」


「うん」


「その周期がずれたことはありますか?」


その質問に長嶋さんは少し考える。…………少し僕の聞き方が悪かったかもしれないな。質問の方法を変えようかと思った矢先、長嶋さんは答えてくれた。


「祝日でずれたりすることはあるにはあるけれど、春休み中にはなかったよ」


「ありがとうございます」


そう。僕は、春休み中にずれたことはありましたか。そう聞くべきだったんだ。まあ、答えが返ってきたのだから良しとしておこう。

…………他に何か聞くことはあるだろうか。このままだと増える情報はほとんどないに等しい。あ、そうだ。


「理科室とか、まあ何でもいいですけれど。教育棟の鍵を管理しているのって誰ですか?」


「技術科の好川先生だよ」


この情報は有用な気がする。戸締りの状況などを知ることが出来れば、犯行の方法なども考えることが出来る。そう言えば…………あの窓。

流石に素っ頓狂だろうか。だがこの方法を使えば、夜に物を盗み出した後、あの教室から脱出することが出来る。…………だがその後の処理が…………いや、でも…………。

分かりそうな気がする。このまま考え続ければ。誰が犯人なのかは分からないが、理科室から、物を盗み出す方法が。その上で、脱出する方法が。

…………え、っと。


「黒御君?」


「え?」


唐突に思考の海から引き戻される。長嶋さんが心配そうにこちらを見ている。僕はそんなにも長い時間ボーっとしていただろうか?

いや、違うな。突如黙り込んだら、誰だって心配になるだろう。僕は大丈夫ですと言ってから礼を言う。


「早く犯人が見つかるといいね」


長嶋さんはそんなことを言った。


「そうですね」


僕は職員室を出た。ああ、さっき僕は何を思いつこうとしていたんだろうか。思い出せない。思い出せないまま、俊徳の声を聴く。


「用は済んだか?」


「まあ、とりあえずはね」


俊徳はうなずいた。僕が長嶋さんに話を聞いている間、何をしていたんだろうか。ずっと待たせてしまっていたのなら申し訳ない。そこまで長い時間を職員室の中で過ごしたわけではないけれど。

そして、今更になって泡沫となって消えたさっきまでの思考が惜しくなってきた。思いつけたかもしれないあの考えが、もう二度と浮かんでこないかもしれない。

それと同時に、俊徳と同じく文化祭の時の事を思い出す。


『君はとことん名探偵気質だな』


…………はあ。いや、誰だって失いそうになった答えは求めたくなる。僕が特別なわけじゃない。自分が名探偵にはなれないことは一年前に知っている。名探偵に必要な気概というか気質というか。そういうものが根本的に欠けている。

僕はただの高校生として、この事件に関わる。運よく思いつけばそれで解決。思いつかなければ、誰かが思いつく。誰も思いつかなければ、その時はその時だ。


「生徒会室はどこにあるんだ?」


「こっちだ」


俊徳は迷わずに歩いていく。こいつ、僕と同じ日に入学したんだよな。同じ学校で同じ時間を過ごしているのに、そのうちに得た情報の密度が違う。僕はまだ自分の出席番号や自分の席すらも曖昧だというのに。

ここ一ヶ月は、俊徳についていけば良さそうだな。

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