調査と説明による情報の追加

俊徳に追従して、僕は廊下を歩いている。今日もかすかに、吹奏楽部が鳴らす音が聞こえる。俊徳はスキップをするように歩いている。今日も能天気な奴だ。

そう思っていると、唐突に俊徳が振り向いた。そして、そのまま後ろ歩きを始めた。そんなことが出来るほど、この学校に馴染んでもいないだろうに。

僕は俊徳に聞く。


「何、考えてるんだ?」


「何で、あの学校の備品を盗んだんだろうなってことだよ」


平然とそう言った。僕は少し考えても、その言葉の真意を見通すことが出来なかった。僕は俊徳にその言葉の意味を教えてもらおうとする。


「何で学校の備品を盗んだかなんて、今考えても分からないだろ?」


俊徳は洞察力が優れている。それぐらい気付かないはずはないと思ったのだが…………。ふと扉の所にある教室を示す板が見えた。パソコン室だ。扉からは中の様子は分からない。小さな窓がついていない。

俊徳の方を見てみる。

俊徳は不思議そうな顔をしていた。そして、突如立ち止まる。それ程驚くことか?僕は自分の発言のおかしい部分を考えてみたが、ぱっとは見当たらなかった。俊徳は目をぱちぱちさせて、本当に疑問を抱いているように言った。


「らしくないな、克治。俺は何で、あの学校の備品を盗んだんだろうって言ったんだぜ?」


「何が違うんだよ」


俊徳は今すぐに歩き出すつもりはないようだ。しばらくはここで解説を続けるつもりらしい。ああ、でも。少し言いたいことが分かったような気がする。そして、俊徳の口からも、僕が今思いついたことが述べられた。


「学校の備品を盗んだ動機じゃない。なぜ、菜箸や計量カップやビーカーにマッチ。挙句の果てにはロープやトートバッグ。それらを盗んだのか。別に他のものでもいいんじゃないか?菜箸でなければならない理由があるのか?それを考えてるんだよ」


「そういう事か。…………で、いつ歩き始めるんだ?」


「ここが理科室だぞ?」


俊徳のその言葉を聞き、上を見る。そこには理科室…………というか、化学室があった。だが、山下先輩は理科室と言っていたような気がするが…………?


「何か、この学校は化学室も物理室も生物室も地学室も、理科室って呼ぶらしいぞ?」


「それ、紛らわしくない?」


「…………俺に言うなよ」


使い分けたい人は使い分ければいいという話か。まあ、僕は分けよう。ごちゃごちゃになってしまいそうだ。俊徳は閉められている化学室の扉をノックした。中からの返事は帰ってこない。俊徳はうなずいて、言った。


「よし、入るか」


「大丈夫?不法侵入とか言われたらどうするんだよ」


「叶原先生が許可を取ってるってさ」


無風部の謎の広い行動範囲をどう考えるべきか。先代、先々代の無風部が有能すぎたのだろうか。それは少し困るな。それなら、少しぐらい無能であった方が助かった。俊徳は鍵のかかっていなかった化学室の扉を開けた。中にはやはり誰もいない。奥の方を見ると、図書室からは見えない方面の、羽場市が広がっていた。俊徳は進んで教室の中に入っていくので、僕もそれに続く。


「さて、何から見る?」


「まずは、窓の方かな」


「オッケー」


僕は窓際まで歩く。窓枠はしっかりしている。そして羽場市の風景を見る。こう見ると、僕は羽場市の事をほとんど知らないという気になる。そして、窓から身を乗り出して、下を見る。高層というほどではないけれど…………飛び降りるのは無理だと思う。少なくとも、僕にはできない。草木はないようだった。

僕は身を乗り出すのを止める。俊徳がこちらに手招きをしているのが見えた。窓を閉めてから、僕は招かれるがままに、歩いていく。俊徳は一枚の紙を持っていた。それには、『備品確認用紙』と書かれていた。

俊徳がそれを机の一つに置く。僕は俊徳の隣に立ち、その紙を覗き込んだ。


「ほら、見ろよ。これが点検した結果を書いたものだ」


用紙には幾つかの欄があった。一番下に、欄とは別に日付と名前を書くスペースがあり、そこには『4月3日 10時00分 長嶋武夫』と書いてあった。確認した日時と、確認した人物の名前が書いてあるのだろう。僕は続けて、欄の方に目を移す。欄というよりかは、数学のデータの分布などの単元に出てくる、表のような感じだろうか。縦長の長方形の形をしているその表は、左右に枠が分かれており、左の枠の一番上には『備品名』。右の枠の一番上には『その備品の状態』と書かれていた。右の枠の方が左の枠よりも横の長さが随分と長かった。ある程度詳細に記す必要があるからだろう。

備品名の欄の一つ目には双眼実体顕微鏡と書かれており、その右隣の欄には20個(不足、欠陥共に無)と書かれていた。恐らく数の不足も、その備品としての問題もないという意味だろう。

僕は幾つもある備品の数々に目を通していく。その中にビーカーという文字があった。その隣には100を超える数が書かれており、その隣の括弧の中には『欠陥なし。一個不足』と書かれてあった。一つ足りないらしい。これが盗まれたと噂のビーカーだろう。

だが、目を通してもマッチについての記述がない。どういう事だ?


「おい俊徳。マッチは?」


「それは二枚目だ。ほら、これ」


そう言って、俊徳は備品確認用紙と書かれたもう一つの紙を渡してきた。その用紙の一番下には同じ日時と同じ名前が書かれていたが、その隣に2と書かれてあった。一枚の用紙では部屋にある備品を全て書き切れないという事か。


「これ、二枚だけか?」


「いや、四枚ぐらいあったかな」


「規模が大きいな」


「と言っても、俺らは他の高校に詳しくないから、比較できないんだけどな」


「少なくとも、中学よりは大規模だよ」


そりゃそうだろ、と俊徳は言う。まあ、それはそうだ。高校の方がより多くの物質や、より多くの実験を扱う。中学の時よりもそれらが大規模になるのは当然だと言えるな。所々、置いてあってもいいのかと疑問になる化合物があるが、大丈夫なんだろう。化学の教員がそういった資格を持っているのだろう。そして見ていくうちに、マッチという文字を見つけた。右の枠を見ると、マッチもビーカーと同じく一つ足りないようだった。そして、四つほど側薬が使い物にならなくなっているものがあるようだった。それらは買い替えるんだろう。そこまで徹底して管理する必要があるだろうかと思ったけれど、これによって盗みが発覚したのだから無駄ではなかったと言える。


さて。


「白昼堂々盗み出すことは、人の目があるという理由から無理なんだよね」


「ああ」


「本当にそうなのかな」


化学室に入って、ビーカーとマッチを盗み出す。昼間の間にも可能だと思うのだけれど。話を聞いていた時には、不可能な気がしていた。だけれど、実際に来てみると、正攻法で盗み出すことは大して難しくないような気がする。確かに、この窓からエキセントリックな方法で脱出を試みようとしたのなら、何かしらの部活動を行っている生徒の目に留まるだろう。でも、スクールバッグを持ってきて、ビーカーとマッチをそこに入れて、平気な顔で学校を出る。無理はないだろう。


「それは無理なんだよ」


「無理?何でだ。まさか犯行可能な二週間の間、誰かがここをずっと見張り続けたというわけじゃあるまいし」


「盗んだものを入れるためのスクールバッグを持ってきた生徒はいないんだよ」


僕は俊徳の言ったその根拠が不十分であるように感じた。僕はそこを指摘する。


「何でそんなことが分かるんだ?この学校に警備員はいないんだろ?」


「ああ、雇われていない。だけれど、似たような存在はいるんだよ」


おい叶原羽翼。それは言っておけ。そう思ったが、僕は警備員がいるかどうかを聞いた。似たような存在についていう義務はないという事だろうか。僕は叶原への思いを断ち切り、俊徳にその人のことを聞くことにした。


「見張りみたいなもの?」


「校門で立って、怪しい人が入ってこないか見張ってる用務員がいるんだよ」


学校用務員という奴だろうか。その人が警備員の代わりのような業務を行っているという事だろうか。僕は用務員の仕事内容への造詣は深くない。元々そういった業務が存在するのか、その人が率先してやっているのかは分からないが、大変で暇であることには間違いないだろう。

その人が、スクールバッグを持ってきた生徒はいないと言ったのだろうか。

僕がそう聞くと、俊徳はうなずいた。


「ああ。俺もその人に聞いてみたけど、ビーカーとかマッチが入るような入れ物を持ってきた人はいなかったみたいだ」


「運動部とかが着替えのためにバッグは持ってくるだろ」


僕は言ってから気付く。運動部は別の理由から盗むことはできないのだ。それは分かっていることではないが、今後聞いていくうえで情報がない限りは運動部…………いや文化部すらも盗みは不可能だ。


「部長やらなにやら、出席を確認してる人に聞けば、こっそり部活を抜け出して物を盗んだ奴がいないことが分かるってことか?」


「まあ、そうだろうな。一人になる瞬間はあったかもしれないけれど、盗んだものをどこに置いておくのかって話だ」


もしかしたら誰も知らない隠し場所のようなものがあるのかもしれないけれど…………。


「運動部ってどれぐらいの休憩時間があるんだ?」


「この学校のは分からないけど…………練習ごとの休み時間の間に教育棟まで行って戻ってくるなんてことが可能か?」


「…………教育棟で部活を行っているのは無風部だけ?」


僕のその質問に、俊徳は自信満々に答えた。


「ああ。無風部だけだし…………この隣の教室では技術の先生が業務を行ってるんだよ」


「ずっと?」


「ああ、今もいるし…………物音がしたら絶対気付くってさ」


僕は化学室を見渡す。ビーカーは棚の中にある。ガラス扉のようなものがついている。そして僕はそこに近づいて、それをスライドさせる。キィーという金切り声のような音がする。大分大きな音だが、授業中は生徒たちの会話でそこまで気にならないのか、それとももう慣れてしまっているのか。だが、これ程の音ならば隣の教室にも音は届くだろう。


「勿論、技術の先生がトイレに行っている間に盗むことは可能だろうけど…………そうなるとますます、部活動に所属している生徒への疑いが薄れていく。トイレに行く時間なんて分からない。トイレに行くまでずっと粘るっていうのは、休憩時間の間にはできないよ」


俊徳は続けて言った。


「勿論、たまたま技術の先生がトイレに行くのを、二週間の間何回も待ってたっていう可能性もあるけれど」


「それこそ無理があるってものだろ。春休み中はどうだったか知らないけど今は扉を閉め切っていた。トイレに行っているかどうか、扉を開けて確認するのか?それこそ怪しいだろ」


というか、何故俊徳はそんなことまで知っているんだ。まだこの学校に入学して三日目だ。どこから情報を仕入れているんだか。


「まあ、そりゃそうか。なら、犯人は部活動に所属していない生徒なのか?」


「そうとは限らな…………生徒同士のネットワークも考えるとそうでもないか」


俊徳は聞いてきた。


「ネットワーク?」


「あぁ、うん。例えば野球部の誰かが休んだとする。そいつをAとしよう。そして、Aが犯人だとする。そして野球部に来てたBが、他の部活のCに今日Aが休んだんだと言ったとする。Cがもし、Aを見かけたら、いやAはいたぞ?というだろう」


「そうだな」


「まあ何が言いたいかっていうと…………部活動に行ったふりをして、こっそり教育棟に忍び込んだとしても、誰かがそれを見ただけで広まるって話だ」


上手く説明できなかったような気がする。俊徳は僕のその言葉に間違いがないかを考えている。だが、すぐに顔から疑問は消えていた。


「まあ、そうなるのか。白昼堂々窓から脱出できない理由と同じか」


「そういう事」


盗んだ人間が逃げるのを見る目があるのなら、盗むために教育棟に入る人物を見る目もある。運動部は皆、ユニフォームを着ている。目立つことは間違いないだろう。


「運動部の可能性はほぼ消えるな。なら、文化部の誰かってことになるのか?」


「いや、部活動に所属していない生徒もいる。そういった生徒の方が、犯人としては自由に動ける」


そこで俊徳が何かに閃いたような顔をした。


「克治。さっきお前が言ってた四人って」


「生徒会室に来た四人か?…………長野先輩、倉敷先輩、立花先輩、大垣先輩」


「その四人が部活動に所属しているかどうか、山下先輩か霧遙先輩に聞いてみようぜ」


まあ、それが有用かどうかは分からないが、知っておきたい。ただ。


「倉敷先輩は部活動に所属している。漢字ゲーム部だとか言ってた」


「こりゃまた、変な部活だな」


「他の三人は分からないけど…………長野先輩と大垣先輩は部活動に所属していないと思う」


僕がそう予想した理由が、俊徳には分からなかったようだ。僕は説明する。


「長野先輩の相談は時間がかかるものだ。作文についての相談をしていたという事は、山下先輩が国語の作文問題を考えたり、書くコツを教えたりしていたという事だろう。教えるのは、人によるとは思うけれど徹底的に教えるなら短くても二十から三十分ぐらいかかると思う」


「ちゃんと教えるならな。まあ、作文かぁ。問題を考える時間と、解く時間。答え合わせをする時間とアドバイスをする時間があるとも考えると、更にかかるだろう。うん、続けてくれ」


「春休み中、学校には部活を行うために来ている。何十分も、席を外していいものなんだろうか」


まあ、推察でしかないけれど。そこら辺が適当な部活もある。これは実際聞いてみるしかないんだろう。


「ほぉう。…………会長は?」


「こっちの根拠はほぼないけど。もし、会長が部活動に所属していたら、部活がある日…………まあ平日はほぼ毎日だろうけど。その日に学校に来る。会長が薄情だったら話は別だけれど、十何日も学校に来て、一回しか顔を出さないなんてことがあるかな。会長は普段は家で勉強だの、生徒会の業務だのを片付けていて、入学式の時の『会長の言葉』の文言を考える時に行き詰まり、山下先輩の力を借りたんじゃないかな」


僕は一気に自分の考えを口にする。どちらも根拠もへったくれもない予想でしかない。根拠のないことをあまり口にするものではないだろう。僕はスマートフォンを取り出して、霧遙先輩にメッセージを送る。部活動に所属しているかどうかわからない三人の部活状況を聞くためだ。

すぐに既読はつかない。さて、これ以上理科室を探索するべきだろうか。僕は理科室をぐるりと見る。

どうやって盗んだのかはまだ分かっていない。隣の部屋の技術科教員が、この理科室を犯行不可能な部屋へと変質させた。さっきの金切り声のような音は、聞こえないなんてことは有り得ない。


「家庭科室に行こうか」


「ああ、もういいのか?」


「多分ね」


僕は理科室から出ようと歩き始め、聞いていなかったことが何個かあるのに気が付いた。


「そうだ。その警備をやってる用務員の名前を聞いてなかった」


「あぁ、言ってなかったな。長嶋武夫さんだよ」


どこかで聞いたようなと思い、すぐにこの理科室の備品を点検した人だと思い出す。なるほど。そういった仕事を行っている人なのか。そして僕はもう一つの聞き逃していたことについて聞く。


「そう言えばお前、あの用紙はどこから持ってきたんだ?」


「あそこだよ」


俊徳は壁に画鋲で留められているファイルを指さした。そこには何枚もの紙が入れられてあった。いつの間にか机の上に置いてあった用紙もなくなっていた。もうあそこに戻したんだろう。…………いつの間に?僕が理科室から出ようとした時だから、あんな一瞬で…………。

まあ、いいか。


「霧遙先輩の返信を待ちながら、だな。家庭科室は二階だ!」


「だから、手を引っ張るなって」


次は家庭科室。計量カップと菜箸か。こちらもまた、何で盗んだのか、よく分からないな。


謎を解くことは、出来るんだろうか。

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