夕暮れに映し出されて

僕は教育棟に着き、靴箱で靴を履き替える。そうして、校門に向かって歩く。三月は寒いと感じていたが、今はもう暖かくなりつつある。周りを見ても、僕と同じように今から帰る人もかなりいる。この中から山下先輩を見つけるのは至難の業だろう。今日見つけるのは諦めよう。そう思った矢先、校門でこちらを見ている女子生徒を見つけた。

僕は僕の近くにいる他の人を見ているのだろうと思ったが、生憎そこまで密集はしていなかった。人違いかとも思ったが、僕もその人を探していたので、人違いではない可能性の方が高いだろう。山下先輩が僕に向かって手を振っていた。特に話をした覚えはないのだが、僕を待っていたのだろうか?なぜ?

僕は歩くペースを変えず、そのまま近づく。そして、僕は山下先輩に話しかけた。


「どうしたんですか、山下先輩」


黒御くろみ克治よしはるくん、だよね。帰る方向はどっち?」


「ここからなら…………右の方向ですけど」


僕が右方向を指さしながら言うと、山下先輩は微笑んで、言った。


「一緒だね。ちょっと話しながら帰ろうか」


「どうして僕なんですか?話って、備品の件でしょう?それだったら霧遙先輩とか…………」


「誰でもよかったんだけどね。黒御くん以外はみんな帰っちゃったみたいでね」


そうなのか。僕が棟を渡っている間にそんなにも時間が経っていたのか。まあ、丁度話を聞いて考えてみたいと思っていたところだ。僕は承諾する。そして二人で、同じ方向に向かって歩き始めた。

山下先輩は僕の顔を見ていた。僕は聞く。


「何ですか」


「いや、中性的な顔だと思ってね。髪も長いし、女の子みたいだね」


「そんなに長いですかね」


精々、セミロングぐらいだとは思うのだが。まあ、一般的な男性の髪と比較したときの長いという意味だろう。そう考えてみると、少し長いか。だが、こんな事を考えている場合じゃない。僕の容姿なんかどうでもいい。僕のその考えを察したのか、山下先輩は言った。


「聞きたいことあるんでしょ?何でも聞いていいよ」


「じゃあ、まず…………生徒会室の鍵は肌身離さず持っていましたか?」


もし彼女が生徒会室の鍵を長時間放置する瞬間があったのならば、それを盗むことは可能だったという事になる。もしも肌身離さず持っていたのだとすれば…………謎は深まるばかりと表現するしかなくなるけれど。僕が歩きながら山下先輩の返答を待っていると、うーんと唸るような声が聞こえた。まあ、そうか。犯行可能な二週間の内、校舎内で一瞬たりとも鍵を放置していないかと聞いても、覚えていないに決まっているか。

そして、返答が帰ってきた。


「肌身離さずではないね。私の部活もなかったし、生徒会室には基本的にいたけれど…………一応、先生の手伝いをしたり、他の部活に顔を出したりとかしてて、生徒会室を開けることも多かったから」


「鍵は生徒会室に置いていたってことですか?」


僕のその質問に先輩は肯定の意を示した。なるほど。この人が無風部に相談を持ち掛けてきた経緯も何となくわかってきたような気がする。今日か、始業式の日か。どちらかは分からないが、山岳部もしくは裁縫部の友達、あるいはその両方から物を盗まれたことを聞き、考え付いたのだろう。その量部活はともに春休み中部活動を行っておらず、鍵は生徒会が保管していた。もしそこから物が盗まれたのならば、責任は鍵を保管する立場にあった自分にあるのではないか。

そう考えて、無風部に相談しに来たのかもしれない。あくまで可能性だし、聞こうとも思わない。僕が聞くべきなのは、真実に辿り着くために必要な情報だけでいい。


「生徒会室に来た人とかはいましたか?」


「…………四人ぐらいいたかな」


四人か。


「その四人が生徒会室で何をしてたのかとか覚えてたりしますか?」


まず名前を聞くべきだっただろうか。まあ、話の中で出てくるだろう。


「夕子先輩はテストの対策を聞いてきたね。作文のテーマを出して、とか。どんな風に書けばいい?とか」


「その夕子先輩って人、大丈夫なんですか?後輩に勉強教えてもらって」


「大丈夫なんじゃないかな。そこまで悪いわけじゃないし」


まあ、これだけでは何とも言えないか。


「夕子先輩、が来ている間は席を外したりしましたか?」


「してなかったよ。鍵もちゃんとあったし」


教えている間、山下先輩の視界の中に生徒会室の鍵もしくは春休み中活動していない部活の鍵が映っていたという事だろう。なら、『夕子先輩』は犯人ではない、かもしれない。山下先輩が『先生の手伝いをしたり、他の部活に顔を出したり』している間に鍵を盗んだという可能性はありうる。言わないという事は、席を外している間に鍵を閉めていたという事もなさそうだ。まあ、面倒くさいのは分かるし、責めることなどできないだろう。もし責めるのなら、それは鍵を盗み、備品を盗んだ犯人を責めるべきだ。


「じゃあ次…………二人目の話を聞きたいですね」


「分かった、いいよ。倉敷くんは漢字ゲーム部の新しいゲームに問題がないかチェックしてくれって頼まれてね。そのカードゲームをやってたの」


漢字ゲーム部なんてあるのか。漢字部ではなく、漢字ゲーム部。漢字に纏わるゲームを作り、遊ぶ部活なのだろうけれど。そんな部活が春休みに活動を行っていたのか。全員で何人の部活なのか知りたいところだ。


「部活内でルール調整をすればいいんじゃないですか?」


「それはもうしたらしいんだけどね。第三者の目から、問題がないか確かめてほしかったみたい」


自分たちが作ったものをひいき目で見てしまうかもしれないから、素直な感想をくれる第三者が必要で、山下先輩に白羽の矢が立ったという事か。そのゲームの内容は聞いた方がいいだろうか。まあ、一応聞いてみよう。


「どんなゲームだったんですか?」


「カードゲームで…………ウノみたいなゲームだったかな。前の人が出した漢字と同じ読みか、同じ部首か、同じ画数だったら出せるってゲームで、最初に手札がなくなったら勝ち」


「それ、終わるんですか?」


「一時間ぐらいやってたね。叢とか、甑とか、嚏とかばっかりで…………まあ一般に普及するのは無理だね。漢字オタクでやるゲームって感じかな」


まあ、例に挙げられた三つの漢字は普段使うような感じではないだろう。部として存続しているからにはまともな漢字ゲームも作っているのだろうが、時折謎のゲームを作ってくると言ったところか。


「倉敷先輩は鍵を盗んだと思いますか?」


「可能ではあったと思うよ。途中で休憩したり、トイレに行ったりもしたしね」


まあ、夕子先輩とやらよりは犯人の可能性が高いというぐらいか。こんな聞き取りに意味があるのか?まあ、やらないよりはマシだろうけれど…………。僕は三人目の話も聞いてみることにした。


「三人目は?」


「怜美ちゃんだね。私に相談をしに来たんだよ」


「相談?それって、どんな?」


僕のその質問に、山下先輩は困ったような顔をした。ああ、そういう事か。これは、僕が聞いてはいけないことだ。山下先輩と怜美先輩の中で完結した話で、僕が介入していい話ではない。僕だって、触れられたくない話題はある。

無風部は全てを知れる免罪符ではない。分かっているつもりだが、戒めておくことが大切だろう。まあその人について聞くことはあと一つだけだ。


「その人は鍵を盗んだと思いますか?」


「盗んでない、と思うけど私の主観に過ぎない。それほど怜美ちゃんは…………弱ってたから」


どんな相談をしていたのかは分からないが、重い話であることは間違いないだろう。余計に、その話を聞こうとは思わなくなった。が、その怜美先輩が盗んでいないとは言い切れない。可能性は、聞いた限りだとほぼないように感じるけれど、感情論に過ぎない。断言はできないだろう。

曲がり角だが、山下先輩は曲がるのだろうか。というか、ここはどこだ。何も考えずに山下先輩に付いてきたが…………まあ、来た道をそのまま戻ればいい話だ。山下先輩は曲がったので、僕も曲がる。


「四人目は?」


「大垣先輩…………というか生徒会長ね。大垣先輩は生徒会室に来て、来年度の予定について私と話したり、入学式の初めの言葉の推敲を私としたりしてたわ。あまり疑いたくはないけれど、盗むことは可能だったと思うわ」


生徒会長か。一昨昨日の入学式で厳粛な雰囲気を漂わせながら、いい事を言っていた生徒会長。あれが大垣先輩か。流石に入学したばかりで、生徒会長の名前はまだ覚えていない。もしかしたら、俊徳は知っているかもしれない。教師の名前も全部把握しているかもしれない。していないかもしれない。あいつは分からない人間だ。

四人の、春休み中に生徒会室に来たことが確定している人物の事を少し知ることが出来た。霧遙先輩にこの四人のことを聞いてみるのもいいだろう。

これ以上何か聞くことがあるのだろうか。そう思っていると、山下先輩はある一つの家の前で立ち止まった。表札には山下と書いてあった。


「それじゃ、私ここだから。またね」


いつの間にか山下先輩の家についていたようだ。僕は一礼をし、同時に聞くべき質問を思いつく。


「四人の、フルネームを教えて欲しいです」


「分かった。長野ながの夕子ゆうこ倉敷くらしき圭人けいと立花たちばな怜美れみ大垣おおがきかいだよ」


長野夕子、倉敷圭人、立花怜美、大垣界。


「覚えました。色んな事を教えていただき、ありがとうございました」


「もう覚えたの。凄いね。…………じゃあ、また明日」


「はい。また明日」


山下先輩は手を振る。僕も適当に手を動かして、それに応える。山下先輩は笑いながら玄関に向かっていった。僕は先程まで歩いてきた道を振り返る。確か、一回曲がったな。その後はずっとまっすぐ進んでいけばいいだろう。

もう日は沈み始めている。暁色の空が、青黒い闇に包まれていく。上弦の月が、地上に光を零していた。

三田川には、迷惑をかけてしまうな。そして、あの二人にも。僕はなるべく、はやあしで帰路についた。








数十分か歩いて、家に着いた。本当ならもっと早く着くはずだったが、途中で変な奴に絡まれた。僕は鍵を開けて、家の中に入る。再度鍵を閉めて、靴を脱いで家に上がる。僕はまず最初にリビングに向かった。リビングには椅子に座っている三田川がいた。悠くんと悠奈ちゃんはいなかった。もう寝ているらしい。

三田川は僕の方を見て、言った。


「遅い」


「山下先輩に話を聞いていたんだよ。あと、赤羽に絡まれて」


三田川は一瞬キョトンとして、赤羽というのが誰の事なのかを思い出したようだった。まあ、赤羽と三田川に関りはあまりないか。


「年上の人を呼び捨てにしないの」


三田川は子供に叱るようにそう言った。が、僕のも反論の余地はある。


「年上は年上でも、駄目な年上だからいいんだよ。酒やタバコを未成年に勧めてくる奴を尊敬する理由はない」


「まあ、それは…………」


三田川も言葉に詰まる。…………赤羽の話はやめよう。今回の件を相談したりはしてみたが、特に得られたものはなかったし。僕は三田川の隣の椅子に座る。


「ねえ、三田川」


「何?」


「何で無風部に入ろうと思ったの?」


「…………やっぱり、霧遙先輩には感謝しつくしてもしきれないから。少しでも、力になりたいなって」


あの人はやっぱり、いろんな人を助けているんだろう。自分の力不足を嘆いたりしているときもあるけれど、自分の弱さを吐露するときもあるけれど。それでもあの人は強くて、お人よしなんだと言えよう。俊徳は何だろうか。誰かの助けを借りるような人間ではないと思うけれど…………。まあ、聞いてみるしかないのだろう。

ふと、三田川が僕の顔をじーっと見ていることに気付いた。顔というか、髪か。


「どうしたの?」


「いや、髪伸びたなって」


「山下先輩にも髪が長いって言われたけど、そんなに?」


僕は右手で髪を撫でながら言った。


「もう余裕で髪むすべるんじゃない?」


「まあ、結ぶ気はないけどね」


あと少し伸びてきたら、切ろうとは思うけれど。


「黒御は今日の話聞いて、何かわかった?」


「さっぱり、かな。僕らが知らない春休み中に誰が盗んだのか。ある程度までは絞れても、ただ一人、あるいは共犯の可能性を含めて二人か三人にまで絞れるかとなると…………不可能に近いんじゃないかな」


これは韜晦や極端な卑下ではなく、事実だ。現実は推理小説のようにきれいには出来ていない。犯人の証拠となるものが残されているとは限らないし、残っていたとしても一般の人が見て分かるようには出来ていないかもしれない。それに、犯人を見つけてどうする?罪を糾弾して、その後どうする。警察に通報でもするか?僕は、あるいは無風部はその判断を下せるか?

…………これは、極端な例であってほしい。相談がみんな、このように犯罪に関わるものだったら、やってられないというのが本音だ。そう、犯罪だ。部活動だからと言って感覚を麻痺させてはいけない。備品を盗むことは、犯罪だ。

僕は今、犯罪者を見つけようとしている。その先に何が待ち受けているかも知らずに。推理小説でイメージするような犯罪者は、潔い者もいれば、醜く自由に縋ろうとする者もいる。備品を盗んだ犯人は、どちらだろうか。このまま、犯人捜しを続けてもいいのだろうか。


「正直、積極的にやりたいとは思わないかな」


「そうだね…………あ、そう言えば黒御」


「何?」


「五月のテスト、勝負するからね」


ああ。中学の頃はよく点数勝負をしていたか。僕はそんなことを思い出しながら上の空な返事をする。


「入学早々、テストの話?」


「まあ、それはそうだけど…………今度こそ勝つから」


「別に僕を目標にしなくたっていいんじゃない?世間の平均から見ても、十分優秀な成績だと思うけどね」


僕がそう言っても、三田川は納得していない様子だった。まあ、彼女には彼女の理論という物があるのだろう。


「私は黒御に勝ちたいの」


「まあ、そういうなら僕も本気でやるからね」


三田川と話していると、話がそういう勉強方面や雑学方面、文学方面に飛んでいくことが多い。三田川は年頃の女子高生で、服の話やアイドルグループなどの話を好むのかもしれない…………というかクラスで女子とそういう話をしていたのを聞いたけれど、僕にそういう知識は求めていないという事だろう。

僕もその方が気楽でいい。そういう系統の話をするのは嫌いではないし。


「そう言えば、この漢字読める?」


僕は紙を取り出して、山下先輩が例に出していた三つの漢字を書く。叢、甑、嚏。三田川はその漢字をじっとしばらく見つめて、答えた。


「真ん中のは九州の近くにある島の…………こしきだったかしら?」


おお。流石三田川だな。恐らく、甑島列島の事を言っているのだろう。知識として知っていたのか、地図帳で目に入った謎の漢字をたまたま覚えていたのか。どちらにしても、凄いな。


「…………難しい」


「やっぱ、そうだよね」


僕はそう言って紙を丸めて捨てようとする。手を伸ばして紙を掴もうとすると、手首を三田川に掴まれた。僕は三田川の方を見る。


「何?」


「正解は?」


ああ、そうだった。一応、問題という体で質問をしたんだった。僕は三つの漢字を一瞥し、頭の中で思っていた読み方が間違えていないかを確かめる。まあ、間違えていないだろう。


「くさむら、こしき、くしゃみだね」


「くさむらとくしゃみに漢字なんてあるの?」


「大抵のものの漢字はあるんじゃない?」


「まあ、そっか…………」


これで、確かめてみたいことは確かめられた。明日、霧遙先輩や叶原。あるいは例の四人に話を聞いてみよう。不可能だと思っても一歩ずつ確かめていけば、可能に見えてくるかもしれない。

気長に行こう。そう思って、山下先輩に、いつまでにこの相談を解決すればいいのかを聞くのを忘れていたことに思い当たった。明日、聞いてみよう。

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