第5話
金星
地球の8割程度の質量を持つ太陽系第2惑星であるこの星は地球よりも太陽に近いため初期の宇宙進出において重要な役割を果たした。
人によって金星の評価は別れる。
もやのかかった黄色い表面を黄金の大地という人もいれば、薄汚れた月と罵倒するものもいる。
だが多くの人々が合意することがある。
この宙域が最もスペースコロニーが多く存在し、最も経済的に繁栄しているということだ。
当然、カネが集まるところでは騒乱も集まる。
「ふう・・・。」
思わずため息をついてしまう。
彼女にとって軍は決して楽な環境ではない。
誰にとってもそうだろう、それは彼女も同じだ。
ヒョコッ ヒョコッ
混み合って基地の通路を進み上官を見つける。
彼もこちらに気づいたようだ。
「ペトラ確認したか?」
上官のアンソニー・ミュラー少佐が聞き返してくる。
「はい、間違いありません。」
先ほど報告した哨戒任務の話だ。
アンソニーは慣性に任せながら前に進んでいく。
偵察に関するより詳しいデータの入った端末と書類を渡す。
「どうも、戦闘隊司令部に報告するためにもできるだけクリアな映像が欲しいな。」
彼の立場ならそう言うしかないだろう。
自分が撮ってきた映像はあまりにも遠すぎるのだ。
「さらに接近する必要があります。危険すぎませんか?」
彼女は言う。
十分な赤外線映像を撮れる距離は敵コロニーの防衛用火砲の射程と同程度、砲弾の雨霰の中撮影を試みることになる。
「だが、これらの情報だけでは不足している。あまり戦力を失いたくはないんだよ」
彼の言うこともまた、事実だ。
ただ、偵察任務となると彼女の隊も駆り出されることは必至だ。
「休憩を取っておけ、別の機体を用意する。」
彼はそう言う。
「結局ウチの小隊を出すんですね。」
絶対服従を徹底すべき上官の命令に対して思わず言ってしまう。
「既に他2個小隊が強行偵察中に撃破されているんだ。代わりはいない、不満か?」
「ええ。第一そこまで偵察を強化する必要はあるのでしょうか?攻勢をかけてくるのであれば、静止軌道偵察衛星のレーダーで捉えられるはずです。」
「違うんだよ。言わなくてもわかるだろ、中尉。」
「では、こちらから・・・?」
彼は返答しなかった。
「君の機体は3145番機、調整を済ませておけよ。」
話はこれで終わりだと言わんばかりに、事務的なことを伝えて先に行ってしまった。
「了解です・・・。」
下唇を噛みながら来た道を戻る。
さして大きくない基地では彼女の悩みを発散できるだけのスペースはなかった。
「小隊員全員集合しろ!」
「「「了解です。」」」
今日もペトラ・シュナイダー中尉は働くことになった。
遠くから他3人の部下たちが飛んでくる。
「これじゃ、もうダメだよ。」
肩に作業服をひっかけ、無火タバコを口に突っ込み思わず思いを漏らしてしまった。
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「おーし、こんなもんか。」
彼は自分の力作を背に仲間たちの方へ体を回す。
彼の機体、ANGELの無数の赤外線センサー、レーダーが収められた頭部にはホホジロザメの歯がたくさん描き込まれている。
彼らはコロニーとのランデブーには成功したものの下船許可が降りない。
機体整備も行われない。
だが機材は別にどうでも良いのだ。
問題は下船許可だ。
目と鼻の先にある重力付きのマトモな土地に足先だけでも降ろせたらどれだけ気分が良いか。
ああ降りたい。ああ降りたい。
その気持ちを紛らわせるためエミー発案のレクリエーションをすることにしたのだ。
「ルーカスはもう仕上げたのか?早いな。」
塗料を届けてくれたベルが言う。
隣にいるエミーも驚いているようだ。
「ずいぶん早いね、塗装し終わるの。経験者?」
エミーの質問に対して首を振る。
「元の隊では、シャークフェイスを入れたことはない。初めてだよ。」
そう言いながら彼らのところに飛んでいく。
今日はベルが服を着ている。
「それにしても、今日は服を着てるんだな。」
思わずベルに聞いてしまう。
「悪いか?」
作業を続けながら彼女は気怠そうに返答する。
どうも塗装がうまく行かないようだ。
「手伝おうか?」
回答を待たずにスプレーを握りベルの描いたどんぐりをサメの歯にしていく。
「エミー。」
「何?」
「お前の男が浮気してるぞ。」
どうもルーカスが作業している間にあらぬことを吹き込もうとしているようだ。
「おいおい、俺は神に誓ってそんなことはしていないぞ。」
慌ててベルの話を遮る。
「知ってるよ、足首を見れば浮気していないことくらいわかる。」
エミーは言う。
そして2人は作業を一旦やめイチャイチャタイムを始める。
「おーい、結局手伝ってくれるのか〜?」
残されたベルは1人で作業を進めることになってしまったようだ。
可哀想に。
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「何?コレ、いくらコロニーに入るからって塗料使いすぎだろ。」
書類から逃走することに成功したライアンが格納庫に転がり込んでくる。
文字どおり回転しながら。
見上げる先にはベルの愛機、アースフィションだ。
かつて灰色を中心としたデジタル迷彩を纏っていた機体はもう存在しない。
金星に寄せた肌色と黄色、白色を中心とした砂漠迷彩に切り替えられていた。
「ライアン、あと何時間だ?」
ライアンの愚痴を流しながらベルが聞く。おそらく、いや間違いなく下船許可の話だろう。
その間もルーカスとエミーは塗料の片付けを続けた。
どうせ許可なんて下りてないのだろう。
そんなことよりも、せっかくエミーと同じ時間同じ
「エミー、下船許可が出たらまた海鮮料理店でも行かない?」
「また?いいけど。」
せっかく同じ時間に起きている。
このコロニー生まれは幸運を逃すほど大人しくはない。
そして可愛い彼女とのデート。
コレを逃すことはできない。
「海鮮料理気に入ったの?それとも私?」
バレていた。
彼が3秒かけて考えた計画は露見してしまったのだ。
「ああ、気に入ったよ。両方とも絶品だった。」
彼は彼女との心理戦を打ち切り会話を楽しむことにした。
「私は、川魚の丸焼きかなあ。」
「アレも美味しいよなあ。」
2人は久方、2ヶ月ぶりの陸上ディナーを楽しみにしていた。
2人の幸せな愛に溢れた空間は怒鳴り声で朝の霞のように霧散する。
「はあ⁉︎もう一周だ⁉︎」
「仕方ないだろ⁉︎俺だって嫌だぞ‼︎」
機体がギッシリと駐機しているハンガー、その奥からベルとライアンの憤怒の声が聞こえる、捲し立てるような外国語も。
「何語だろう?」
隣にいるエミーの肩を抱き寄せながら話かける。
「多分ロシア語じゃない?2人はロシア出身だし。」
「そうなの?」
「この会社もロシア資本だったはずだよ。」
「2人ともロシア人だったんだ。訛りのない英語を喋るからわからなかった。」
ライアンもベルも宇宙の公用語たる英語を何の困難もなく使用する。
この事実はルーカスが彼らの国籍を特定する事を困難にした。
「何か問題があったか?」
ベルがこちらへと飛んでくる。
いつのまにか話は終わったようだ。
「「いやいや、何も。」」
2人合わせて首を振る。
ご機嫌斜めのベルに刃向かうのは不発弾でバスケットボールを試みるようなものだ。
チッ
彼女は舌打ちをし艦内の壁を3Dプリンターで出力されたレンチを叩きつけ、自分の部屋に入って行った。
まるで嵐、あるいは太陽フレアだろうか。
「ロシア人はみんな普段からイライラしてるのかな?」
「そんなこともないんじゃない?隊の他の人は普通だし。」
「それは良いニュースだ。」
皮肉でも何でもなく心の底から良いニュースだろうとルーカスは思う。
全裸でイライラし跳ね回る人。
こんな人達ばかりではコミュニケーションが成り立たないだろう。
その日の一般ブロックでライアンは皆んなに言った。
「ようやく駐屯コロニーにランデブーできそうだ。ようやく機体の整備ができる。」
「「「おお〜。」」」
一同が同じ反応を返す。
「ようやくマトモなシャワーが・・・。」
「ようやく眠れる・・・、怠すぎて何もしたくない・・・。」
「エミーとデート・・・。」
そして様々な呟きが部屋を満たしたものの、彼が場を引き締める。
「ゴホン、やる事がある。この書類にサインをしてくれ、君達の機体整備に関するものだ。これがベルの「あーい。」そしてこれがルーカスの「はい。」最後に「ありがとう…ありがとう…。」どういたしまして。こんなところか?」
そう言って奥の闇へと彼は消えていく。
「見た?あの目の下のクマ。」
「大変そうだね〜。」
「何か後で買って差し入れしてあげよう。」
そう言いながら愉快な3人組は船を降りて街の喧騒へと消えていった。
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ルーカスはエミーとともにほんのり暖かい財布をぽっけに入れて夜の街を闊歩する。
もっともコロニー内はいつも夜中だが。
「ごはん食べるとこあんまりないね。」
「通行人に聞いてみるか。すいませーんお兄さん近場でおいしいごはん屋さん知りませんか?」
通行人の一人、まだ20歳前後の若い男性に声をかける。
ルーカスより少し背の高い彼はコロニー暮らしには珍しく肌が浅黒く焼け赤色の焼け傷も見える。
「ヒッ、本国人だ。すまん、見逃してくれええええ。」
「おいおい、何もしないぞ。どうした「あ・・・、にげなくて良いのに。」
こちらが話終える前に彼は逃げてしまった。
「なんで逃げてしまったんだろ。」
「ふしぎ、なんかさめちゃった。」
「だね。」
二人で小首をかしげながら来た道を戻る。
ここの住民はどこかおかしい。
今歩いている大通りにも人はまばらだ。
「まるでゴーストタウンだよ。お化けでも出そうだ。」
「ひえっ、やめてよ。お化けは苦手、勘弁して。」
ヌッ
その時暗闇の向こうから苦痛でひん曲がったようなしわくちゃで青白い顔が出てきた。
「「ひえ~、化け物!!。」」
「これ!誰が化け物じゃ。」
「「あ、あれ?」」
それはお化けでもなんでもない。
ただの老婆だった。
「まったく最近の若者は礼儀がなっとらん。」
ルーカスとエミーは老婆の家に招待され彼女の話を聞かされていた。
「お婆ちゃん、なんで人気が少ないか教えてくれないか?」
「お前たちは本国人の軍人さんだろう?それが原因だよ。私たち植民地人には本国人と同じ権利がない。」
そこで老婆は手元の古ぼけたティーカップに手をつける。
そしてまた口を開く。
「上訴権がないのにはクソほど苦しめられたよ。」
「それはまた・・・。」
「何といいますか・・・、その。」
「いい!そんな同情はまっぴらごめんだよ。ただ私はアンタ達が何も知らずにウロチョロされるのは不味いと思ったんだよ。」
口調こそ怒っているものの老婆は特に気にする素振りを見せず手元の写真を撫でる。
「あの子も同情なんて欲しがっていない。」
「その子は?」
「彼女は私の一人娘。40年くらい前、彼女が17の時に本国人にレイプされて殺されたのさ。犯人の男たちは彼女をクスリずけにして何度もレイプしたのさ・・・、反吐がでる。」
彼女はしわ付きの震える指で写真をなでる。
「しかも彼らは、・・・ウチの娘を餓死状態にまでさせて、最後にはバラバラにして犬にくわせた。本当に奴らは人間なのか?」
彼女はその深いグリーンの瞳で自分の娘の動かない瞳にあわせた。
「彼らは裁判にかけられた、22個の科学的証拠から他にも10人以上の子供を同じように犯していたようだ。彼らの冷凍庫にはやたら太い肉と骨、人の頭が複数入っていた。それでも遺族は遺体が手に入っただけマシだよ。アタシらそうじゃないものは遺体の小指すら手に入らなかった。今でもアタシはあの子が殺されたのかわからない。本当は彼女は恋人と駆け落ちしただけじゃないのか、そう何度も思った。」
彼女はやや鼻声で目元に涙を浮かべた。
あの時に彼女を家に引き留めていれば、こんなことはなかった。
そう彼女は言う。
「彼らは裁判でみな端末でゲームや読書に興じ、本国人の有志と大企業が作り上げたスペイン1の弁護士軍団に無償で守られ、コチラは政府直轄の法相談窓口すら利用を拒否された。検察は出席を拒否し一度発見された証拠を無効と発表、警察も捜査を中止した。」
老婆は天井を見上げる。
もしくはその先のコロニー壁か?
それとも、さらにその先のあの世だろうか?
ルーカスにはまだわからない。
「結局彼らは無罪だった。植民地人は上訴権がないから判決は決まりだ。逆に遺族の何人かが侮辱罪で裁判抜きで逮捕され8年の懲役をうけた。たいした国、たいした王様の国だよ。」
老婆は乾いた舌を休めるためにティーカップに口をつける。
こんなことが日常のように起こる。
「だからアタシはアンタたちを招待したんだ、何も知らない子供がウロチョロすると怪我をする。わかったら急いで帰りな!!そして二度と他人の招待についてこないこと!!」
「ひいっ、わかりました。」「ひゃい!!」
老婆の剣幕におされルーカスとエミーは家から押し出される。
そのあとなんとか現地人に見つからず暗闇の中、艦へと帰ることができた。
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