第2話 少年は逃げ切った

 サースは周囲を見渡すと、空き地にあった複数の木樽の裏へ身を隠す。一息ついた後、彼は木樽から少しだけ頭を出して様子を伺う。

「誰も、いない。でも、何だか声が聞こえてくる」

 サースは頭を引っ込めると、声を震わせながら握りしめている果実を見じっと見つめた。サースは考える。この行為は悪い事。両親からは、常日頃言われていた。お店に並んでいる果実等を、お金を払わないで持ってくるのは悪いことなのだと。国王様に対しての冒とくだと。

 けれど、リベットの店の前で立っていた時には、そんなことは彼の頭にはなく、ただ自らの空腹を満たしたい欲求だけだった。お腹が空いたのであれば、我慢をして家に帰ればハリスが焼いてくれた川魚をたくさん食べられる。

 巾着の中に銅貨が無いことに気が付いたのならば、リベットの言うとおりにして木箱に果実を戻せば良かったのに。

 それなのに、君は我慢が出来ずに窃盗をしてしまったんだぞ。

 握りしめているその果実の値段は10ガール。日の出から日の入りまで働けば、労働の対価として支払われる賃金で十個以上は買える金額だ。君が欲しいとハリスかヴァレントに言えば、快く買ってくれるだろう。

 だけど、今はいない。後悔をしても、もう遅い。

 そんな所に隠れていないで、正直に謝って罪を償う意識を持って話せば、まだ間に合うかもしれないぞ。

 でもな、木樽の裏で身を隠して、遠くから聞こえてくる声に怯えながら見つからないことだけを祈っているのなら話は別だ。

 王国兵は、草の根を分けてでも君を捜す。

 彼らは、例え相手が子供であろうと、どんな手段を使っても必ず捜して捕らえる。

 窃盗は犯罪で重罪だ。


 現に今も、招集された王国兵は被害に遭った店のリベットと、露店街にいた国民の証言の元、窃盗犯である小さい子供を懸命に捜している。

 しかし、彼らは苛立ちを隠せないでいた。

 王国兵側に思わぬ誤算が生じる。

 露店街をくまなく捜してはいるものの、犯人を見つけることが出来ずに難航していた。

 いくら捜しても見つけられない。そこで、ヘッジは思った。

 実は、もう既に露店街にいないのではないかと。

 この場所は、窃盗犯探しで緊迫している。それなのに、いつまでもここに留まっている理由がない。が、身体が小さければ、身を隠す場所はまだある。ヘッジは念のため、他の王国兵に露店街の捜索を続けることを命じると、彼は一人で大通りへ向かう。

 

 王国兵のザビルは、国民の協力の元、ようやく露店街を通過して大通りへ抜け出した。

 しかし、目撃証言にあった小さい子供の姿を見ることが出来なかった。

「どこにもいないぞ! どこへ逃げた! 逃げ足が速いやつめ!」

 ザビルは焦り、苛立っていた。

 加えて、走るのが速い子供の印象を植え付けられていた。

 国民に声をかけて、端へ寄ってもらわないと走ることができないのに対して、窃盗犯は人の密集などお構いなしで、いとも簡単に走り去っていったと思われているからだ。

 だとすると、何処へ逃げたかが疑問に浮かぶ。

 まだ、現場にいる可能性もある。が、今の露店街は大騒ぎになっている。そんな状況でいつまでもそんな所にいたら、もうとっくの昔に他の王国兵が捕らえている。

 しかし、目撃証言が少ない以上、何処へ逃げたか皆目見当がつかない。

 唯一の証言と言えば、被害に遭った店主のリベットだけが、全ての情報を知っていることだけ。

 ザビルが腕を組み思考を巡らしていると、もう一人の王国兵が現れた。

「ザビル隊長! 露店街をくまなく捜しましたが、未だに見つけられません。念のため、今も捜索しています」

「ヘッジか! しかも、現場にいないだと! では、何処へ逃げたというのだ! 何処かに、隠れているのではないのか!」

「その可能性も、十分にありえるかと! ですが、探す範囲が広すぎます!」

「子供一人を捕らえることも出来ぬとは、何たる不覚。もうすぐ日が沈むというのに! それまでに、見つけなければ! 何かいい案は」

 ザビルは、ヘッジと共に意見を述べる。

 この近辺で小さい子供が隠れられそうな場所と言えば、森、馬小屋、藁の中、家屋の下辺りが妥当。だが、範囲が広すぎてただ闇雲に捜すのは愚かな行為で時間がかかりすぎる。

 しかも、日没が迫ってきている。そうなってしまえば、暗闇を照らすのは松明と月明かりしか頼れない。

 日没。暗闇。

 ザビルは思いつく。

 国民の家屋は、集落のように密集している。だからこそ出来る。少々、大規模になるが確実な方法とも言える。

「ヘッジ。相手は小さな子供だ。しかも、日没まであまり時間がない。だとすれば、国民全員に聞き込み調査をすればいい」

「なるほど。相手は子供。いずれ、親元に帰るでしょうから、夜になれば必ずいますね。そうとなれば、兵を集めて徹底的に捜しましょう!」

 二人の王国兵は互いに敬礼をすると、国民全員を対象に聞き込み調査を実行するべく動き出す。

 

 だが、王国兵の話が聞こえていたサースの身体は震えており、握りしめている果実をずっと見つめていた。

 彼にとっては、今この場で見つからなかったことが幸運だった。が、安堵感とは程遠い、何とも表現しがたい心境。

「……小さい子供って、たぶん僕の事だよね」

 サースはつい咄嗟に走って、ここまで逃げて来た。罪の意識はある。王国兵はサースを捜して捕らえるまで、捜索は続けられる。王国兵たちから、逃れる術はないに等しい。

 しかし、今ここでこの果実を食べて、一欠けらも残さなかったらどうなるのか。王国兵から問い詰められたとしても、何も言わなければ、隠し通すことを出来るのではないだろうか。

「……どうしよう」

 窃盗をしたと両親に知られてしまえば、どうなるのか分からない。多分。いや、こっぴどく叱られるのは明白。かと言って、王国兵に名乗り出たとしても同じこと。即座に捕らえられる。

 だから。

「今、食べちゃえば、分からないよね。きっと」

 あろうことか。

 果実を食べ始めた。一口、二口とかじるにつれ、果実を頬張る。やがてその果実は、胃酸と言う名のプールの奥底に沈んでいく。

「これで、多分、誰にも分からないかも」

 証拠隠滅。

 サースは両親に言う訳でも、王国兵に名乗り出ることもせずに、事実を隠すこと選んだ。確かに、これでは彼の言った通り証拠がなくなり、言わなければバレないかもしれない。ただ1つ、事実を言うのであれば、彼はわずか九歳にして窃盗を犯した犯罪者になったのだ。

 けれど、サースは先ほどとは打って変わって、穏やかな表情になっていた。

 王国兵の声に怯えながら、あれほど身体を震わせて怖がっていたのに。

 ついさっきまでは、罪の意識があったと言うのに。

「大丈夫、大丈夫」

 自分の気持ちを落ち着かせるためなのか、まじないのように同じ言葉を繰り返しながら、急いで家へと帰る。

 もうじき、日が暮れる。それまでに、家に帰らないと両親が心配する。彼は、沈んでいる太陽を見ると、さらに速く走った。

 それでも、サースが家に着いた頃には、日の入りと同じぐらいだった。

 ハリスから言われた門限に、辛うじて間に合った。

 彼は息を切らしながら、額からにじみ出る汗を手で拭う。その時、手に何かがへばりついている感触が伝わってきたので、よく見てみると小さな粒が付着していた。指先で何度も擦り確かめていくと、やがて小さな粒の正体にたどり着く。

 犯人は砂だった。

 まだ、昼間だった頃。浜辺で寝ていた時についたであろう砂が、この時間までサースの顔にくっついていた。

 彼は顔全体を両手で拭い、汗とともに砂を落としていく。何度も擦り、顔全体に違和感がなくなるまで続けられた。

「よし。これで大丈夫。早く、家に入ろう」

 サースの右手が、玄関の戸に触れた。

 

 引き戸をゆっくり開けると、ハリスが部屋の中央にある囲炉裏いろりで串を刺した川魚を焼いている。

 ヴァレントは、部屋の四隅に置いてあるロウソクに火を点けていた。

 室内はほんのり暗くて、灯りと言えば囲炉裏にくべられている木炭と薪を燃やしている火とロウソクの灯りだけ。

「た、ただいま」

 小さめな声でそう言うと、ハリスの隣に座った。身体を小さく丸めて、渇いた音を鳴らしながら燃えている薪を、前後に揺れながらぼんやりと見つめ始めた。

 サースが何気なくとった行動。

 だが、いつもとは違う息子の様子に気がついたハリスは咄嗟に。

「おかえり、サース。今日はどうしたの? 何だか元気ないね」

「う、うん。ちょっと海で遊んでたら。疲れちゃったて、お腹が空いた」

「あら、そうなの? それならいいけど。でも、かんぬきを忘れてるよ?」

「あ。ごめん、なさい」

「いいよ。ハリス。俺がやるから」

「あ、うん。お願いね」

 ハリスは思う。

 いつもなら、帰ってくるとすぐにかんぬきをかけるのに今日はしなかった。偶然かもしれないし、考えすぎかもしれない。どうしたんだろう、と。

 彼女は心配になりサースの頭を優しく撫でると、何やらざらついた感触が手に伝わってきた。気になって指先を擦ってみると、細かくて小さな粒みたいなものが付着していた。

「これは、砂かしら?」

「多分。浜辺で寝ちゃったから」

「おかえり、サース。ちょっと、父ちゃんに背中を向けな。落としてやるから」

 かんぬきをかけ終わったヴァレントは、サースの後ろに座ると背中をなぞった。

 擦れば擦るほど、サースの衣服に付着していた小さな砂粒が落とされていく。

「結構、ついてるな」

 後頭部、背中の衣服、腰と上から下へ順番に背中全体を丁寧に何度もなぞっていき、可能な限り砂を落とした。

「もう、大丈夫だろう」

「ありがとう、父ちゃん」

「さぁ、ご飯にしよう。ハリス、もう焼けているよな?」

「えぇ。大丈夫よ」

 家族は、晩ご飯の時間を迎える。

 それぞれ、囲炉裏で焼かれている川魚を手に取ると、一口かぶりついた。いつも食べている川魚は、サースの大好物。放って置くと、一人で全部食べつくしてしまう。

 ヴァレントは、日の出とともに起床して、日の入りまで近辺にある畑仕事へ行く。肉体労働は、身体が資本。いつも、腹を空かせて帰ってくる。

 だから、毎晩の夕食は争奪戦が繰り広げられる。それを見越して、ハリスはこれでもかってほど毎晩焼く。夫と息子に、お腹いっぱいになるまで食べて欲しいと思っているから。

「母ちゃんのお魚、美味しい」

「なぁ、うまいだろう。今度、父ちゃんと一緒に魚を捕まえに行こうな」

「うん!」

 家族団らんで会話をしながら食事を楽しんでいる最中。突然、玄関の戸を叩く音が何度も聞こえてくる。

 家族は一斉に玄関を見た。

「一体誰だ? こんな時間に来客だなんて」

 ヴァレントは、何事だと思って立ち上がると玄関まで行く。

 よっぽどの急用だろうか。この時間に、家屋へ訪ねて来る人は非常に稀だ。過去にも訪ねて来た人はいるけれど、そう多くはない。もちろん、助けを求められれば、出来る範囲内で可能な限り協力はする。

 だけど、この時間に訪ねて来るってことは、あまり良くない事情だと感じてならない。

 できれば、その逆であって欲しいと。玄関越しにいる相手がそうでないと。

 でも、助けてを求められたら、出来る限りの協力はしよう。その両方を胸に思いながら、戸の前に立つ。

「すみません。どなたですか? どうされました?」

「夜分に失礼する。私は、王国兵隊長のザビルと申す。本日、窃盗事件が起きたので、聞き込みをしに巡回をしている。話を聞かせてはもらえぬか?」

「こ、これは、王国兵様!」

「え? 王国兵様ですって?」

「っ!」

 ヴァレントの一言に緊張感が走る。

 一家の元へ、王国兵が訪ねて来たのは初めてのこと。驚きを隠せないヴァレントは、急いでかんぬきを外すと家の中へと招き入れた。

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