少年の好奇心

北條院 雫玖

第一章 少年の過ち

第1話 少年はお腹が空いた

 海辺で遊んでいる、一人の少年がいる。

 少年は、起床すると家の近辺にある井戸までよたよたと歩きながら向かうと、汲み取った冷たい水で顔を洗って目を覚ます。

 眠気が取れると家へと戻り、母親のハリスが囲炉裏いろりで焼いた川魚を満腹になるまで食べつくすと、彼が日課としている海辺へ一人で遊びに出かけた。

 ハリスはいつものことかと思い、日暮れまでには帰ってくるようにと、息子のサースに一言伝えた。

 今年で九歳になったサースは、好奇心はあるものの、内気な性格をしている。しかし、一緒に遊ぶ友達は一人もいない。いや。作れないと言うべきか。彼が住む家の近隣にも、同い年の子供はたくさんいるが、両親以外の人と話すのは大の苦手。

 近所の子供がサースに話しかけようとすると、彼はハリスの後ろに隠れてしまい、自分から話しかけようとはしない。

 父親のヴァレントは、恥ずかしがり屋などと言ってはいるも、いつかは友達を作って欲しいと口には出さないが、内心では思っていることだろう。

 サースがどう思っているのかは、彼の口から聞かなければ分からない。だけど、友達を作ろうとせずに、家から遠い海辺にわざわざ一人で遊びに行くのだから、よっぽど一人でいることが好きなのかもしれない。

 サースが海についた頃には、太陽が真上を指そうとしていた。

 彼は早速、岩場に座っては波風漂う海を眺める。ふと思いだったように立ち上がると、場所を移動して貝殻を拾い集める。浜辺に立てば、裸足で波打つ海と戯れる。競争相手がいないのに、全力で浜辺を何往復も走り込む。疲れたと思ったら、浜辺に寝転び空を見上げる。

 心地いい波音を聞いていると、やがて意識が遠のいていく。

 目の前に広がるのは、青い空。目を閉じれば波の音。

 瞼が段々、重くなる。気付けば、周囲の音が消えていた。

 サースは、自然と眠ってしまう。

 彼の両耳に、再び波音が聞こえて来た頃には、海に浮かぶ太陽が傾いていた。

「あれ? もしかして、ぼく、寝ちゃってた?」

 サースは、浜辺で全力疾走を何度も繰り返していた。その後、疲れてしまい浜辺に寝転んでいると、いつの間にか寝てしまっていた。

 どのぐらい寝ていたかは分からない。

 それに、まだ昼寝から起きたばかりで意識がまだはっきりとしていない。半身を起こして大きな欠伸をしながら、両手を上にあげて大きく背伸びをする。

「ふわぁ。まだ少し眠い。けど、お腹が空いたし、喉も渇いた。確か、この近くにお店がいっぱい並んでいるところがあったっけ。ちょっと行ってみよう」

 サースは場所を移動しようと起き上がり、衣服を叩く。しかしこの時、両手に変な感触があった。

 気になった部分を触ってみると、砂がびっちりついてた。足の裏、ふくらはぎ、太ももの裏、背中、腕。やがて、その違和感は背中全体に行きわたる。

 サースは砂を落とそうとして、ざらついている箇所を何度も擦った。

 実際に触ってみると、衣服に砂が大量についていた。必死に落とそうとするが、背中に腕が回らずに全部払うことは出来ずにいた。何とかして落とそうとして、岩場に何度も背中を擦りつける。

「これで落ちたかな?」

 一人では背中を見ることが出来ないし、確かめることを出来ない。もう大丈夫だろう、と思ったサースは、空腹を満たすために海辺からほど近い場所にある店へと向かう。


 サースが着いた頃には、日時計で時間を表すなら午後三時を過ぎようとしていた。

 日没までおおよそ二時間ぐらいだと言うのに、店では老若男女の国民が、狭い通り道を歩きながら買い物をしている。

 彼らが歩いている道の両脇には、果実に野菜、穀物と言った食べ物が木箱に入って並べられている露店商で埋め尽くされている。

 所々、露店商の前で買い物客が列をなしたと思いきや、一部の露店商の前に立ち止まっては、買い物客が密集して通り道を遮ってしまう。

 それもそのはず。何せ、この露店商が並んでいる道は、人が五人横並びになると行く手を阻むほどの狭い道。

 サースは早速、露店街の入り口近辺にある井戸で水を汲み、喉の渇きを潤した。

 後は、空腹を満たすだけ。

 サースは時折、店の前に止まっては、木箱を覗いて果実を見つめる。その度に、店主から声をかけられるが、サースは何も言わずにその場を立ち去る。だけど、いつしか彼は店の前で歩みを止めると、木箱に入っている果実を手に取った。

 サースは果実を握りしめると、じっと見つめならが一向にその場から動こうとはしなかった。

「美味しそうな果実。いくらするんだろう」

「おう。いらっしゃい、ぼうず。その果実は10ガールだ。持ってるかい?」

「うん。あると思う」

 サースは、腰にぶら下げている巾着をまさぐる。が、銅貨を摘まむことが出来なかった。彼は慌てた。今度は、巾着の口を思いっきり広げて中までしっかり確認する。

 でも、銅貨は一枚も入ってはいなかった。

「どうした? もしかして、持ってないのか?」

 サースは無言で俯くと、首を横に振った。

「だとすれば、そいつは売れねぇな。悪いがぼうず。木箱に戻してくれないか?」

 再び、無言。

 あきれた店主のリベットは、サースの顔を下から覗き込んだ。

 リベットは思う。

 いくら言っても返事がないし、無言のまま。確かに、お腹が空いているなら、空腹を満たしたい気持ちは分かる。だけど、銅貨を持ってない以上、買うことは出来ないし空腹も満たせない。買いたいけど、買えない。

 それだったら、木箱に戻して貰いたいと。

「ぼうず。買えないなら、木箱に戻してくれないか?」

 それでもサースは無言を貫く。

 と、同時に、リベットは苛ついていた。

 何回も優しく声をかけたのに、無言を貫かれたのだから。「銅貨がないので、買うことが出来ません」と言われた方がまだいい。「また来いよ」の一言で終わる。

 しかも、この子供の顔には砂がついていた。おそらく、どこぞの家族が子連れて海へ遊びに来たんだろうな、とリベットは思っている。

 だったら、なおのこと両親に言って買ってもらえばいいのに、とも思う。

 けど、金が払えないんじゃ、商品を渡す訳にはいかない。この子から、果実を返してもらおう。

 そう思い果実に手を伸ばす。あと指先ひとつで、届きそうな距離になった瞬間。

 逃げられた。

「おい! 待て! っ!」

 リベットは急いでサースを追いかけようとする。が、木箱が邪魔をして盛大に転んでしまう。それでも、逃がしてなるものかと必死に叫ぶ。

盗人ぬすっとだ! 頼む! 誰でもいい! 小さい子供を捕まえてくれ! 男の子だ!」

 怒号とも言える必死な叫び声が聞こえてきた通行人は、ざわつき初めて周囲を見た。

 リベットの大声が、露店街に響き渡る。

 と、同時に、賑わいを見せていた状況が一遍して、大騒ぎになっていき小さい子供を探し始めた。

 程なくして、リベットの元へ一人の男性が駆け付ける。

「店主よ。何を盗られた? どのくらいの子供だ?」

「お、王国兵様! 果実を1つ盗まれました。小さな子供です! あちらに走っていきました! どうか捕らえてください!」

「承知した。店主は直ちに駐屯地へ行き、他の兵を呼んでくれ。私は、窃盗犯を追いかける!」

「分かりました。王国兵様! どうかよろしくお願いします!」

 リベットは、急いで起き上がると走り出した。

 目指すは、露店街の四隅にある駐屯地。彼はこの露店街で、毎日欠かさず店を出している。どの道をどう辿っていけば、いち早く駐屯地まで行けるかを熟知している。彼は、人通りが少ない道に出ると、王国兵の元へ一目散に走った。

 この道を真っ直ぐ進めば駐屯地。リベットの視界に、徐々に王国兵の姿が見えてくる。ここに来るまで、何度も息を切らした。それでも走り続けて、やっとの思いでたどり着く。

「王国兵様! 果実を盗まれました! どうか捕らえてください!」

「なんと! 盗みだと! 詳しく話せ! そなたの名は!」

 王国兵のヘッジは、血相を抱えて、目の前に現れた男性が放った一言に思わず息を呑んだ。まさか国民から、盗まれた等と報告を受けるとは、思ってもみなかった。

「はい! 私は、リベットと申します! 盗人ぬすっとは、小さな男の子です! 歳は分かりませんが、背丈は私が座った時と同じぐらいでした!」

「こ、子供だと! 何と言うことだ。……リベットやら。そなたは、ここで詳しい事情を話してもらう」

「分かりました! どうか、よろしくお願いします!」

「承知した」

 ヘッジは頭を抱えた。

 盗人ぬすっと、もとい窃盗犯。最後に、彼がその言葉を聞いたのはいつ以来だろうか。犯罪はもってのほか。まして、窃盗など言語道断だ。国民は生活をするのに、賃金を得るため日の出から懸命に働いている。国民に対して、罪悪感はないのか。子供の親は、どういった教育をしているのか。

 それに、犯罪行為など我らが国王様への冒とくに他ならない。この国で、犯罪などあってはならない。例え子供とは言えど、窃盗は重罪だ。犯人は小さい子供。何処かに、隠れているかもしれない。

 ヘッジは、直ちに兵を招集させた。

「皆の者! これより、窃盗犯を捜すぞ! 草の根を分けてでも捜しだせ!」


 突如訪れたひと騒動は、今まで活気だっていた露店街の雰囲気を緊迫感が漂う。

 王国兵のザビルは、大声を出しながら小さい子供を追いかけている。彼は走ろうとするも、大勢の通行人が邪魔をして、思うように前へと進めずにいた。

 こんなんじゃ、とてもじゃないが犯人を捕まえるどころか、逃げられてしまう。犯人は、今どの辺りを走っているかは分からない。それに、盗まれたのは果実が1つ。もし、犯人が私から逃げ切って、果実を食べてしまえば証拠がなくなってしまう。そうなってしまえば、いくら問い詰めても誤魔化されたらお終いた。

 だけど、国民が協力をしてくれている。

 彼らは、ザビルが声を上げれば道を開けて、走りやすいようにしてくれる。

 彼らも、窃盗犯を捕まえるために協力をしてくれて、大声で叫びながら小さい子供を探してくれている。

 国王様に仕える王国兵として、何としてでも犯人を捕らえる。あの店主は、この道を示していた。断言は出来ない。が、おそらく犯人が走っていったであろう道。であれば、前にいる国民へ聞けば目撃者がいるはず、と考えながらザビルは追いかけている。

「すまぬ。急ぎ教えてくれ。走っていく、小さな子供を見なかったか?」

「は、はい! 見ました! 私の横を通り過ぎるのを」

「どのくらいの背丈か!」

「えっと、私のお腹ぐらいの背だったと思います」

「そのまま立っていてくれ。失礼する」

 ザビルはしゃがみ込むと、犯人と思われる小さな子供の背丈を測る。彼の背丈で例えるなら、丁度足の付け根ぐらいの高さだと言うことが分かった。

「協力に感謝する。それらしき子供を見かけたら、すぐに駐屯地へ赴き、報告せよ!」

「は、はい! 王国兵様!」

「前にいる者! 道を開けてくれ!」

 

 けれど、時は残酷。

 王国兵が血眼になって捜しても、国民に協力してもらいなが追いかけても、彼らはサースに追いつくことが出来ずにいた。

 時は無情。だって今の彼は、群衆の声が届かない露店街をさっそうと走っているのだから。サースは、至るところで密集している狭い道を全力で走っているのにも関わらず、小さな身体を利用して、空間を見つけては間隙を縫うように駆け抜けていく。

 走り去っていく小さい子供を見ていた通行人は、特に何も思わずに、ただ子供が遊びで走っているんだな、ぐらいにしか見ていなかった。

 だけど、通行人は大声が徐々に後ろの方から聞こえてくると、何事かと思い振り向いた。

 途端、通行人は驚く。

 あろうことか、買い物客が両端に寄っているのかと思いきや、一人の王国兵が走ってきているのだから。通行人は思う。何故、王国兵様が走っているのか。通常ではありえない。

 しかし、そんな疑問はすぐに解消された。

「道を開けてくれ! 窃盗犯がそっちへ走っていった! 捕まえろ! 小さい子供だ!」との声がハッキリと聞こえて来たからだ。

 彼らも急いで、両端に寄って道を開けた。同じように叫んだ。

 むろん、彼らの中には、先ほど走っていった小さな子供が窃盗犯に違いないと思い始める。が、彼らは小さな子供の顔を、ハッキリとは見えてない。彼らの目に映ったのは、小さい子供の後ろ姿だけだった。

 対して、群衆の声などはお構いなしにサースは走る。彼の両耳には、窃盗犯の声は聞こえてはいないだろう。走るのに精一杯だし、狭い道を全力で逃げているのだから。

 捕まりたくはない、と思ったサースが咄嗟に取った行動が功を奏したのか、幾人かの王国兵と大勢の通行人との思いとは裏腹に、彼はとうに露店街を通過して大通りまで来ていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る