第6話 ポ〇ベルが鳴らなくて

「はああ、よく寝た~」


 鬼の仮面を身に付けた男は、背伸びをしてから屈伸運動をする。これが朝起きてから彼がまず最初にするルーティーン。

 彼は常に立ったまま眠る。多分ここへ来てから直ぐに立って眠るようになった。そうせざるを得なかった。



    ◇



 彼の名前は竜宮コンマ。15歳の時この場所へ来て既に35年。

 腰の辺りまで無造作に伸び切った黒髪に、上半身は裸、ボロボロになったジーパンを履いている。ここへ来る少し前に小遣いを貯めて買ったお気に入りのヴィンテージものだったのだが、今ではもはや見る影もなかった。


 彼は元来た場所へ帰るべく幾度となくこの未知の空間を探索した。

 最初はとにかく血眼になりながら出口を探した。だが探せど探せど、どうしてもは見つからなかったのだ。もうここ数年は地上へ帰ることもほぼ諦めていた。


 獲物を狩り、食って、寝る、それだけを繰り返す単調で刺激のない毎日。いっそ自死するか、そんな考えが過ったことも当然あった。だが彼は結局そう思う度に思い留まってきた。


 その日も食料となる獲物を求め彷徨い歩いていた。彼がいるダンジョンは様々なエリアに分かれており、いつもは水の流れる鍾乳洞エリアや、木々が生い茂る密林エリア、少し離れたところにある湖エリアで狩りをしていたのだが、その日は何故か違った。


(はあ、7日と3時間18分なにも食ってねえ……このままじゃあ飢え死しちまう。戦って死ぬのはいいが、飢えて死ぬのだけは嫌だ!)


 密林エリアに向かおうとしていたコンマは、遠くの方でモンスターの遠吠えのようなものを聞いた。

 だがその咆哮が聞こえてきた先にモンスターがいたことは、今までに一度もなかったのだ。


(あれって祭壇エリアの方角だよな? あそこで獣が出たことなんて一度もないんだが。まあいいや、行ってみるか)


 そこは一面真っ白なごつごつとした壁に覆われた無機質な部屋。

 部屋と言っても見上げても何も見えない、あるのかもわからないような天井と、サッカーコートがいくつも作れそうなほどの広大なスペース。

 そしてその広大なスペースの真ん中には、地面よりも1メートルほど高くなった台のような構造物が鎮座していた。

 まるでなにかが降り立つような、はたまたなにか生贄でも捧げるかのような構造物を見て、コンマはこの空間を祭壇エリアと名付けたのだ。


 しばらく歩いていると先程聞こえた咆哮がもう一度聞こえた。

 やはり間違いない! あれは赤ライオンの声だ! そう確信したコンマは咆哮の主の元へ足を早めた。

 そして出会った目当てのモノ。だがそれ以上に彼を驚かせたのは、そのモンスターと対峙していた相手。

 それは35年ぶりに会う人間だった。コンマの胸は高鳴り、忘れかけていた願望が目を覚ます。


 ――地上へ帰れるかもしれない


 否が応でも期待に胸は膨らみ、その人物の元へ駆け寄った。

 そうして出会った35年ぶりの人間、それが南雲ルミナだったのだ。



    ◇



「そんなわけよ。ホントあんたのこと見た時の高揚感といったら! なんていったらいいんかね、もうこ~ね、とにかく凄かったわけよ」

「は、はあ、なるほど。あ、あのね、コンマさんにひとつ言わなくてはいけないことがありまして……」

「へっ? なになに? てかさんづけしなくてもいいって。呼び捨てでもいいし。あっ、もしかして地上のこととか? そりゃ35年も経ってるんだもんな~。やっぱ空飛ぶ車とかも普通になってるかんじ?」

「はい? い、いえ、そんなものはまだないんですが、あのですね、実は……」


 ――は? マジで?


 予想だにしていなかった事実を聞かされ、地面にうつ伏せ、足をバタバタさせて落胆するコンマ。

 帰れるかもしれない! そんな淡い期待は一瞬で砕け散った。

 だよな、そんな都合のいい話なんかねえよな、35年間ひとりで暮らしてきた男は立ち直りが早かった。

 コンマは気を取り直し、これからはひとりじゃないんだ、頑張って獲物を獲らないと……そんなことを考えていた。

 そんなコンマへルミナは言葉を続けた。


「えっと、コンマくん、あの、罰子ばつこって名前に心当たりありませんか?」

「へ? ばつこ? え、う、う~ん、し、し、知らないなあ。ち、地上で流行ってる食べ物の名前とか? あ、そうそう、タピオカって知ってる? ココナッツミルクに入れてさあ、俺あれ好きだったんだよね~。若い子は知らないかもだけど」

「タピオカなら何年か前に再ヒットしましたよ。タピオカミルクティがすごい流行って……じゃなくって! そうですか、罰子さんのことは本当に知らないんですね」


(な~んか隠してるような気がするなあ)


罰子の名前を出した途端、しどろもどろな返事をしたコンマを、訝しげな目で見つめるルミナ。そんなジト目に気づいたのか、コンマは慌てた素振りでいそいそとボロボロのジーパンのポケットから何かを取り出して言った。


「な、なあ! これ見ろよ! ポケベル! 文字が6文字も打てる最新式だったんだぜ! 文字だぜ!? 数字じゃなくて! もう電池が切れて動かないんだけどさあ。こいつだけポケットに入れてたんだよ! 今のポケベルって何文字打てるようになってんの?」

「は? ポ、ポケベルってなんですか? 多分今はもうないですよ。今はみんなスマホかスマートウォッチです」

「へ? す、すまほ? てか若い子はポケベル知らないんだ……そっか、そりゃそうだよな、35年経ってんだもんな、そりゃポケベルは無くなるし車は空を飛ぶわ」

「車は空を飛んでないですけどね。ってもう! 話が脱線する! いいですかコンマくん! あなたの顔についてる鬼の仮面、どうやってそうなったか覚えていますか?」


 突然立ち上がり大声を出したルミナに思わずのけぞったコンマは、ふと鬼の仮面との邂逅を思い出す。

 だが――


「おっとその前に! もう8時じゃねえか! この時間は狩りに行くことに決めてんだよ。あんたもついてくるか? なんか今日はいい獲物をとれそうな気がするぜ!」


 地面に寝転んでいたコンマは突然立ち上がりそう宣言した。

 予想外の言葉に驚きを隠せないルミナ、だがそんな彼女もお構いなしに、コンマは狩りの準備を始めた。壁に立てかけてあった細い木の棒を手に取って。


「よっしゃ! なんか今日は牛か豚がとれそうな気がする! 行くぞルミナ! あんたもここで生活してくんなら狩りを覚えないとな!」


 そう言ってコンマは走り出した。

 は、話の途中なのに……肩を落とすルミナ、だがこの訳の分からない空間でひとりきりになるのは嫌だ。彼女は必死で彼の後ろを追いかけていくのだった。

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