第4話 穴に落ちて……

「ぐえ~! キラキラキラキラ!!」

「おいおい、あんた失礼なヤツだな~」


 調味料の正体を聞いて思わずキラキラを嘔吐してしまったルミナ。命の恩人から頂いた料理、絶対に吐くわけにはいかない、心に決めていたのに、そんなことはお構いなしにルミナの体はそれを拒絶した。


「ご、ご、ごべんなざいぃ、汗と聞いて思わずぅぅ……」

「へへっ、まあいいや。確かに女の子に俺の汗なんて食わすなんてちょっと失礼だったかもしんないしな。う~ん、あとはこの魚醤かなあ。これつけて食うか?」


 そう言って出された皮の袋。その袋には所々毛のようなものがついていた。


 ルミナは物凄く嫌な予感がした。


 なんだろう、絶対にあれはダメなやつだ。でもあの袋の正体は気になる。聞きたくない、けど聞きたい。ルミナは意を決してその正体について聞いてみた。


「あの、その袋って、なにで、できてるのかな~?」

「あ? ああ、赤ライオンの金玉袋だよ。これ液体保存すんのに便利なんだよ~。てかさ、赤ライオンってさっきのヤツな。あれ捨てるとこないからさ~。本当は牛か豚が捕まえられたらよかったんだけどな~。まあこんなご時世だからアレでもないよりましだからな~」


 後半の言葉は全く頭に入ってこなかった。

 やっぱり予想通りだった。そもそもそんなことを予想していた自分も大概だな、そんなことを考えながら彼が差し出してきた魚醤は遠慮することに決めた。



    ◇



 ルミナは鬼の仮面の男と最初に出会った時、彼が話していたことを思い出していた。


 ――35年ぶりの人間


 コンマと名乗ったこの男性、その精悍な体つきはどう見ても10代から20代といったところか。50歳の肉体には到底見えない。それに声も若者のそれだ。

 だとすれば彼の言葉には違う意味があるのではないだろうか、ルミナはそう推測した。


「あの、コンマさん、最初に会った時35年ぶりの人間とか言ってましたよね? あれってどういう意味なんですか?」

「あ? そのまんまの意味だけど。35年ぶりに人間に会ったからさあ。テンションあがっちゃってさあ!」


 やっぱり意味が分からない。そんなわけないでしょ!? とツッコミを入れたいところだったが、彼が人物像が全く掴めない。とりあえず今彼を刺激するのはよそうと決めた。

 しばらくの沈黙が続き、先に口を開いたのはコンマだった。


「あっ! そうそう! あんた地上から来たんだろ? じゃあさ、帰り方も分かんだろ? 俺さあ、ここから出られなくなっちゃってずっと困ってたんだよ! もうここに来て35年も経ってるから、もしかしたら親父とおふくろは死んじまってるかもしんねえけどさ、もしそうでもやっぱ墓参りくらいはしときたいじゃん? それにさ、俺妹がいるんだよね。妹にはどうしてももう一度会いたいんだよ。だからさあ、俺も連れてってくんない?」

「え? あなた本当にここで35年も暮らしてたの? 嘘じゃなかったの?」

「な~んでそんな嘘つかないといけないんだよ~。ホントだって」


彼はその後どうしてこのような状況に陥ってしまったのかを教えてくれた。



    ◇



「うちの裏庭でさあ、色々野菜作ってたんだよ。結構庭広くてさあ。そん時は確かそら豆とかグリーンピースとか、あとナスもあったな。あっ! パセリとかもあったわ。あ! あんたパセリの天ぷら食ったことある? あれ塩で食うとめっちゃうまいんだよ~!」

「あ、あの~、話がよく見えてこないんですが……」


 話が脱線したことに気づいたコンマは、わりいわりいと言いながら言葉を続けた。


「そんでさ、その日もさ、収穫時期迎えた野菜を採りにさ、裏庭に行ったんだよ。そしたらさあ、なんか庭にでっかい穴が空いてたんだよ。なんだろうなあって覗いたらさあ、落ちちまったんだよ。そんで……こうなってたってわけ……」


 途中から説明するのが面倒くさくなったのか、明らかに適当な言動を言うコンマにルミナは呆然としてしまった。なんて適当な人なんだろう。彼女の彼に対する素直な印象だ。

 だがここで彼女の脳裏にひとつ、疑問が浮かんだ。


「えっと、コンマさんダンジョン探索者じゃないんですか?」


 ルミナの質問にきょとんとした顔をしたコンマはこう答える。


「へ? ダンジョン? なにそれ? へへっ、あんた俺が田舎もんだからって揶揄ってんだろ? なんだよダンジョンて。そんなもん現実にあるわけないだろ?」


 彼の表情は嘘を言っているようには見えない。だが彼の言っていることは要領を得ない。なにがどうなっているのか、困惑するルミナを尻目にコンマは立ち上がる。


「はあ、あと1分で19時だな。もう寝る時間だわ。今日は寝てさあ、また明日話聞かせてくれよ。あっ、そうだ、あんた俺に敬語なんて使わなくてもいいからな。さん付けとかもなんか嫌だしさあ。じゃあおやすみ!」


 辺りを見渡しても時計らしきものはなにもないのに、彼はあと1分で19時になると言った。ルミナは右手につけていたスマートウォッチに目をやると、確かに時刻はあと30秒で19時になるところだった。


「ね、ねえ、あなた時計もなにもないのに、どうして今の時刻が分かったの?」

「あ? ああ、これ俺の特技なんだよ~。体内時計っていうの? あれがさあ、めっちゃ正確なんだよね~。だから俺がこの穴に落ちてから経過した時間もきちんと覚えてるんだよ~。すごいだろ~!」


 にわかには信じられなかったが、現在時刻を言い当てたのは事実だ。ルミナは試しに彼がここに来てどれだけ経ったのかを聞いてみた。


「あ、あなたここに来てどれだけ経ったの? さっき35年とか言ってたけど」

「あ? んっとなあ、今日って2029年5月13日だろ? つーことはあ、35年と42日と6時間6分だな!」


 手を腰に当てどや顔でそう言い放つ、どう見ても年寄りには見えないその男を見てルミナは思った。

 これは夢だ。多分悪い夢。

 目が覚めたらきっとベッドの上なんだわ。

 現実逃避を始めた彼女には悪いのだが、これは夢ではない。


 現実なのだった。

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