第3話 突撃隣の晩御飯

「え、えっと、お邪魔します?」

「はははっ、なんで疑問形なんだよ。どうぞどうぞ、なんもないとこですけど」


 扉をくぐり、彼がそう言って手を差し出した先には、まるで宮殿のような――


 ――廃墟があった。


 きっと元は大層立派な建物だったことが伺える。だが今や見る影もないボロボロの建造物。所々に装飾が施されてはいるが、その全ては色あせ、朽ちていた。

 

 元は煌びやかな門だったのだろう、今では朽ち果て見るも無残な状態になったアーチをくぐり、コンマはルミナを案内する。

 通された先には確かに何もなかった。

 いや、何もないといえば語弊になるかもしれない。

 そこには棚のようなものがひとつ、そして竈だろうか、なにかを燃やした後のある長さ2メートルほどの窪みがあった。

 それ以外には何もなかったのだ。


「ここキッチンな。殺風景だろ? 今料理作るからよ、他にも部屋だけは沢山あるからよお、あんたはあっちの部屋で待っててくれよ。ゆーてなんにもない部屋だけどな。あ、あんた名前なんつーの? せっかく久しぶりに人間に出会えたんだし、仲良くしよーぜ」

「え、ええと、私は南雲ルミナと言います。あの、あなたはなんなんですか……」


 あっちで待っててくれと言われても何処のことを指しているのか分からない、いや、それよりもこの鬼の仮面の男は一体なんなのか。とりあえずモンスターではないようなのだが、不安は募る。そんな彼女に男は自分の名を名乗った。


「あ~! そうだな! 初めて会った相手には名乗らないとな! ごめんごめん、あんまりにも久しぶりに人間に会ったもんだからそういった常識を忘れてたわ。んっとな、俺の名前は~…… あ~、あれ? 俺なんて名前だったっけ……」


 予想外の言葉にどう対応していいか分からないルミナ。まさか知りもしない相手の名前を聞かれるとは思っていなかった。

 愛想笑いをすることしかできないルミナを見て、なにか察したのか男は口を開いた。


「へへ、ごめんな、マジで久しぶりに人としゃべったからさ、てかずっとひとりだと自分の名前も忘れるってあるあるじゃね? ね~」

「え、あ、ああ、そ、そうなんですかね……」


 その後訪れる長い沈黙。男はどうやら本当に自分の名前をど忘れしていたらしい。う~ん、う~ん、と呻き声をあげながら必死に思案に耽っている様子だ。

だが数十秒経った頃、男はあっ! っと突然声を上げ手を叩いた。


「思い出した! そうだ! コンマ! 竜宮コンマだ! 俺の名前はコンマだったわ! ということでよろしくな。ルミナさん!」

「コンマ……さん、ですか……よ、よろしくお願いします……」


 この非現実な空間でさえ『は?』と思うような珍妙な名前を聞かされて、こういう時どんな顔をしたらいいか分からないの状態に陥ったルミナは、当たり障りのない返答をする他なかった。



    ◇



 料理ができるまでちょっと待っててと言われ、別の部屋に通されたルミナは、先程よりもほんの少し落ち着きを取り戻していた。

 コンマと名乗った鬼の仮面の男が『こっちだ』というと、先程までは何もなかった壁に扉が出現していた。

 案内されたその部屋も、先程の部屋と同じく極限まで物がない。

 テーブルなのかよく分からない板状のなにかが無造作に地面に置かれただけの空間。それ以外にはなにもなかった。

 呆然としていたルミナに隣の部屋から声が聞こえた。


「おーい、ルミナさ~ん、刺身か焼きどっちがいい~?」


 ルミナの思考は停止する。

 この男は何を言っているの?

 刺身? 焼き? え? もしかしてさっきのモンスターを食べるってこと?

 いやいやいや、モンスターを食べるっておかしいでしょ? そもそも今おなかすいてないし、などという言葉を口にするわけにもいかず、どうしても食えというならまあ焼きかなという直感に従うことにしたのだった。



    ◇



「いやあ! 久々に獲れたのが赤ライオンでよかったぜ~。こいつ毛皮は暖かいし、肉も食えないことはないからさ~、これで当分はひもじい思いしなくてすんだわ~」


 そう言いながら彼が持ってきた肉。

 皿もなにもない、ただ焼いただけの肉塊を彼は掌に乗せて運んできた。


「ほらっ、お待ち~! 赤ライオンの焼きだよ! 食いなよ! 冷めるとクソ固くなるからな、アチアチのうちに食いなよ。あっ、これ一応調味料な。あんまないから大事に使ってくれよな」


 そう言って彼は、彼が履いていたズボンのポケットに手を突っ込み、何かを取り出した――


 ――取り出したとは言ったがそれは瓶だとか、なにかを密閉するような容器という類のものではなかった。


 無造作に掴まれた彼の掌から、なにか白い粉上の物が板状のなにかの上に注がれる。まるで砂の山を掴み、それを別の場所に移すかのように、そこには小さな白い砂の山ができていた。


「これ塩な! ここじゃ貴重だからさ! ちょっとずつ使ってくれよな。これマジで大盤振る舞いなんだぜ? 俺も普段はめちゃくちゃちびちび使ってんだからな~」


 何グラムあるのだろうか、いや、そもそも見知らぬ男、それも鬼の仮面を被ったどう見ても怪しい男のポケットから素手で取り出された怪しい粉。

 当然口に入れる気にはならなかったのだが……


「へへ、いいぜ、遠慮しなくても。やっぱ味がないとな、味気ないもんな。へへ、俺何言ってんだろな。なんかここ最近で一番テンション上がってるかもしんねえ」


 鬼の仮面をつけているのに、何故か彼が笑っているのが分かる。

 ああ! 口に入れたくない! でも助けてくれた人が出してくれたものだし! 食べないのは失礼にあたる! 几帳面でついつい人の顔色を伺う性格をしていたルミナは、嫌々ながらもひと口大に切られた肉にその謎の塩? をつけ口に運んだ。


「ぶっ! う、うううう……」

「どうだ? うまいか? うまいだろ? こんなん中々食べれないんだからな。あ、まだいっぱいあるからな。冷めるとクソ不味いからな。早く食えよ!」


 不味い、不味いのだ。

 本当にこれは肉なのか? どう考えても味のないゴムを噛んでいるとしか思えない。そして彼が調味料だと言った謎の粉。これも不味い。物凄く遠くのほうで塩気を感じるような気もするのだが、その前に物凄い生臭さが鼻孔を直撃する。

 なんといったらいいのだろう、そうだ、汗臭さといったらいいのだろうか。


「あの、この調味料ってなにでできてるんですか?」


 ルミナは恐る恐る聞いた。

 お願い、想像してる答えが返ってこないで! ルミナは心の中で手を組み、神に祈る。無神論者の彼女が一体どの神に祈りを捧げたのかは不明なのだが。

 だが彼から帰ってきた答えは彼女を絶望の谷へ突き落すには十分だった。


「へ? そりゃ俺の汗だよ~」


 ルミナは思わず噴き出した。

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