〈アサギ〉
「モエギ、疲れたらすぐに言うんだ。無理はしなくていいからな。」
俺とモエギが選んだのは地下研究室だった。ゾウゲからテツグロは昼間地下研究室に居たんじゃないかという話を聞いた。何が置いてあるか分からないから、俺が行った方がいいという理由で来てみたが、正直誰でもよかったような気もする。
「にしても、相変わらず広いな。」
そう、実は俺が研究室に入るのは初めてでは無い。まあ、研究内容を知っているわけでは無いが。
「んー、機械の部品?みたいなのがいっぱいあるね。」
「ああ、一体何に使うのか………………。」
何とかなく部屋の中を歩いてみると思っていたよりも広い。いや、別に初めて入ったわけじゃないんだ。ただ、ここにテツグロが居ないと寂しいと感じただけだ。
相変わらず、変なものばっかりだ。特に棚の中。整理はしているだろうけど、何も知らない俺たちから見たらゴミが詰まっているようにしか見えない。
「ん?これは………………。」
目に付いたのは、金属パーツの山の隙間から見えた試験管だった。慎重にパーツを出して、試験管を取り出す。
「これ、血?」
「ああ、そうみたいだ。」
試験管は全部で6本あった。それぞれにラベルが貼ってある。
「………………っ!」
ラベルに書いてあるものを見て、俺は反射的にそれを隠した。絶対に、モエギに見せてはいけない。そんな気がした。
「どうかしたの?そんな怖い顔して。」
「大丈夫だ。なんでもない。」
そう言って、俺はわざとモエギから離れる。モエギに背を向けて、それをもう一度確認する。
――――シノノメ 56%
――――スミレ 87%
テツグロの字だった。彼は、彼の研究は、まさか。試験管は全部で6本だった。その中にはきっと、俺の名前が書かれたものもあるはずだ。書かれた数字が何を意味しているかはまだ分からない。それでも、俺たちがテツグロの研究内容を知る必要があるのは確かだ。
知らなければならない。
知ってはいけない。
もしそれを知ってしまったら、
二度とは戻れない。
それでも、お前は知りたいのか?
「………………、ねぇってば!」
「…………!」
「本当は、大丈夫じゃないんでしょ。お父さん」
モエギが心配そうに服の裾を引っ張ってそう言った。まだ頭がぼんやりしている。少しでも油断すれば、また声に意識を持っていかれる。
いつから聞こえるのかは覚えていない。誰の声かも知らない。ただ、聞き覚えのあるようなその声が俺の中にいる。
「ねぇ、聞いてる?」
「え、あぁ、悪い。」
「もう、ほら、これ見て。」
モエギの手には、ハンカチが握られていた。血がついた、白いハンカチ。
「階段で拾ったの。」
「そうか、よく見つけたなモエギ。」
頭を撫でてやると、モエギは嬉しそうに目を細める。それからすぐに頬をふくらませて、もう子供じゃないんだから、というように顔を背ける。
「…………ハンカチ、か。」
一体いつ拾ったんだ?ここに来たとき、朝と同じようにモエギを抱えて階段を降りたはずだ。いや、だからこそハンカチに気づけたと思うべきか……。
「アサギ、もう少し調べる?」
「ああ、そうだな。」
あてもなく壁にそって歩いてみる。ほとんどが棚で埋め尽くされているわけだが、たまにむき出しになった壁がある。ひとつはドアがあるところ、そしてもうひとつは、何も無い。
「不自然、か。」
壁自体に怪しいところはない。気になったのは床の方だ。さすがにクチナシも研究室には入らないのか、ホコリが溜まっている。それも、不自然な溜まり方で。
「この棚を動かした跡みたいだな。」
天井近くまである本棚に指をかけて、引っ張ってみる。
………………動かない。
自分の非力さを思い知らされる。これでもここに来てからは運動するようになった方なのだが、どうも力仕事は向いていない。
「無理、か。」
ため息がでる。仕方ない、あとで他の人を呼んでこよう。2人なら、動かせるかもしれない。
そう思いながら、少し歩いて扉の前に立つ。鍵がかかっていて開かない。それもそうだ。研究室の一番奥を簡単に見せるような研究者はいない。
すぐ横にはパスワードの入力画面がある。テツグロが作ったのだろうか。
「キーボード入力は総当りもできないだろ。」
普通なら数字だけ、アルファベットだけとかなのだろうが、目の前にある画面にはパソコンのキーボードと同じようなものが表示されている。つまり、ここのパスワードは、大文字と小文字まで指定しないといけない。
「そんなに隠したいものなのか………………?」
この屋敷に来たときは、まだテツグロしかいなかった。散らかったままの部屋も多かった。それが、少しずつ人が増えて、この奇妙な生活にどこか懐かしいものさえ感じていた。
人間とか、鬼とか、そういうのはどうでもいい。同じ言葉を話して、同じ飯を食べて、同じように寝て起きる。それだけで、十分だった。それに満足できないのは、欲深い人間だけ。
視界が歪む。壁に手をついて、なんとか姿勢を保つ。最近は、ずっとこの調子だ。周りには平気なフリをしていても、症状は悪化するばかりで。
『いいですか、アサギさん。
僕の力では完全に貴方を治すことはできないんです。一種の暗示みたいなもので、ただ貴方の中のトラウマを隠しているだけ。いつか、貴方自身がそれに向き合わないといけない日が来るんです。』
『わかってるさ。悪いな、コハク。こんなことに付き合わせて。』
『何言ってるんですか。むしろ、こんなことしかできなくて申し訳ないです。』
ああ、そういえばコハクがそんなことを言っていたような気がする。それに、もっと大切なことを。
俺は、何かを忘れている。
大切な何かを。
「なあ、モエギ。」
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないよ。」
「変なの。絶対なにか隠してる。」
もしも、俺たちが探している何かが俺たちな望まない結末だったとしたら。そのとき俺たちは、どうするべきか。
俺たちにはまだ、終わりを受け入れるだけの覚悟がないのだ。
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