第1話 〈アサギ〉

AM6:00

「もう起きてたの?」

朝日が差し込む一室。淡いピンク色のベットの上、俺は影になった横顔に話しかける。

「おはよう、モエギ。」

「おはよう、………アサギ。」

彼女の隣に腰かけ、そっと髪をとかす。

「ねぇ、私、もう子供じゃないよ。」

「いいんだ。俺が好きでやってることだから。」

少し前髪が伸びただろうか。そう思って前髪を持ち上げると、カツン、と指先が彼女の目元を隠す緑色の仮面に触れる。


この屋敷にはルールがある。


人の前で絶対に仮面を外さないこと。


自分の名を明かさないこと。


屋敷の敷地から出ないこと。


そして、


互いの種族を詮索しないこと。


これは屋敷に住んでいる者全員が守らなければならないルールだ。たとえ、家族であったとしても。

「よし、できた。それじゃあ、下に行こうか。掴まって、モエギ。」

髪を結び終えてそう言うと、細い腕が、首へと回される。静かに抱き抱えると、裾の長いワンピースから痛ましい足が覗く。


俺はある土地の領主をしていた。小さくても静かで、平和な場所。そこで、娘のモエギと、数える程のしかいない使用人と暮らしていた。王都からも離れていたからか、鬼への差別的な考えを持つ者はいなかった。当然、俺たちも鬼の排除には反対の立場を示していた。使用人の中には王都から逃れてきた親子もいたくらいに。

それが良くなかったのか。ある日突然訪ねてきた王城の使いが、俺たちの日常を奪い去って行った。

屋敷に火が放たれ、気づいた時には逃げ場など無くなっていた。死すら覚悟した俺は、偶然通りかかったテツグロという男によってモエギと共に助け出されたらしい。以来、俺たちはテツグロの屋敷で世話になっている。


あの火事で、俺は右腕を失った。今は、テツグロが作ってくれた義手がそこにはめられている。

そして、モエギは。元から脚が悪かったせいもあって、逃げるのが遅れた。いや、俺がもっと早く気づければ。モエギの肌のほとんどは人工的なものになってしまった。それを見る度に、俺はあの日のことを思い出すんだ。

「…………アサギ?」

モエギの声で、ふと現実に戻る。

「大丈夫。痛くないよ。」

俺が考えていることがわかったのか、モエギは普段よりも少し明るい声でそう言った。

「ありがとう、モエギ。」

モエギを腕に抱えて、階段を降りる。食堂に近づくにつれて、賑やかな音が聞こえてくる。

「アサギ!またモエギちゃんのこと甘やかしてるの?」

振り返ると黄色い仮面の少女が1人。

「おはよう、クチナシ。」

「クチナシちゃん、おはよう!」

そう言うと、彼女は満足そうに笑った。

「アサギ、モエギ、おはよう。さあ、早く食堂に行こう。」

そうして、クチナシは食堂へと駆けて行った。そのあとを追いかけるように俺たちも食堂に入ると、既に朝食が並び始めていた。

「あ、おはようございます、アサギさん。」

紫色の仮面をつけた少女が微笑む。

「おはよう、スミレちゃん。」

「はい。おはようございます、モエギさん。そういえば、アサギさん。テツグロおじさんがアサギさんを待っていましたよ。まだ厨房にいると思います。今日の朝食当番はテツグロおじさんなので。」

テツグロから呼び出されることは珍しいことじゃない。この屋敷で大人は俺とテツグロだけ、というのもあるが、テツグロには個人的な相談をしたのがきっかけだ。ただ、朝早くの呼び出しとなると話は違う。

「わかった。すぐに行くよ。」

それだけ言って食堂を出たあと、すぐ向かいの扉をくぐる。ちょうどその時、白い仮面の華奢な少年と鉢合わせた。

「………アサギ、起きたの?」

「ああ、おはよう、ゾウゲ。」

「…………?おはよう。」

ただの挨拶に首を傾げたゾウゲは、何を考えているのか、そのまま厨房を出ていってしまった。

「アサギ君、おはよう。遅かったな。」

厨房の中を覗けば、黒い仮面の男が俺を待っていた。

「いつも通りだよ。」

「ははっ、そうか。いつも通り、か。」

テツグロは面白そうに笑った。一体何が面白いというのだろうか。

「いや、いいんだ。気にしないでくれ。それより、体調の方はどうだ?」

「あぁ、ここに来た時よりは随分良くなったよ。」

そう言うと、テツグロは仮面の下で申し訳なさそうな顔をした。

「そうか。やはり、コハクのようにはできないものだな。薬はまだ足りているかい?」

少し考えてから答える。

「まだ大丈夫だ。俺のことより、今はコハクのことを考えてやってくれ。」

「君らしいな。わかった。さあ、朝食にしよう。冷めてしまってはもったいないからな。」


食堂に戻り、椅子に座る。暖炉から1番遠い席。それが、俺の定位置だ。空席は残り2つ。

「お、はよう!」

バタバタと足音を立てて駆け込んできたのは赤い仮面の少年。屋敷では最年少のシノノメ。

「残念だけど、間に合わなかったわね。」

「…………?」

クチナシが言うと、その視線の先でゾウゲが首を傾げる。その口に、パンくずとジャムを付けて。

「まあとにかく、全員揃ったんだ。改めて、朝食にしよう。」

テツグロの言葉で、食事が始まった。


―――――最果ての落園。

誰かがそう呼んだ。

ここでの生活は、決して幸せなものでは無い。俺たちはみな、元の居場所を奪われ、大切なものを失くしてきた。狭い屋敷で、他人との関わりを絶ち、同居人とさえも顔を合わせない。それでも、この場所は俺たちにとっては必要な場所だった。

地獄みたいな世界中で、最果ての地に佇む安寧の地。それが、最果ての落園。そしてこの場所には、8人の同胞が暮らしている。


黒い仮面―――テツグロ

屋敷の主であり、最年長。年は40歳くらいらしい。研究者であり、医学の心得もある。それ以上のことは知らない。


青い仮面―――アサギ

歳はテツグロより少し若いくらい、たぶん。もう数えるのを辞めてしまった。右手の義手にも随分慣れたとはいえ、気を使われることも少なくない。


白い仮面―――ゾウゲ

白くて長い髪に華奢な体つきは少年とは思えない。何が原因なのか、いつも半分寝ているような様子で、言動にも幼さが見え隠れする。


紫の仮面―――スミレ

緩くカーブした茶色い髪で、背は低い。趣味なのか、いつも浴衣みたいな服を着てる。丁寧な言葉遣いで、大人びて見える。


緑の仮面―――モエギ

緑色の長い髪に緑色の目。俺に全く似てないが、俺の娘だ。歩行に障害があることはみんなわかっていて、モエギは他の住人とも仲良くしている。


赤の仮面―――シノノメ

この屋敷でおそらく最年少の少年。夢遊病らしく目が覚めるといつも違う場所にいる。今日は温室で目を覚ましたらしい。


黄の仮面―――クチナシ

長い黒髪に黄色いパーカーがよく目立つ。家事全般を担当していて、屋敷ではモエギたちの姉のような存在だ。歳は、確か18歳だと言っていたはずだ。


橙の仮面―――コハク

屋敷の一番新しい住人。だが、ここにはいない。何者かの銃撃を受けて、今も眠り続けている。テツグロによると、銃弾には特殊な毒が塗られていたらしい。


いつも通りの今日が始まる。

俺はまだ気づいていなかった。

このとき既に、事件は動き出していたことに。

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