絢の過去
「うん、話すよ。そんなに面白い話じゃないけどそれでもいいなら」
そして少し表情を暗くしながら、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。
「私さ、中学の時、凄くバスケに打ち込んでたんだよね。うちの中学、部活強制のところだったから、授業でやったことのあるバスケを選んで、気が付けば楽しくて楽しくて練習ばっかりしてた」
絢さんは過去を思い出すように、少し上を見つめながら語る。
それは本当に楽しかった時の記憶のようで、静かながらも声色は明るかった。
「先輩たちとも同級生ともいい関係を築けてて、本当に楽しかったんだ。田舎だから学生数もそんなに多くなくて、みんなが友達みたいな感覚だった。学校も部活も楽しくて一生懸命頑張ってたら、いつの間にかレギュラーに選ばれてたんだ。次の年の中体連では全国大会までいってさ、本当に最高の日々だったよ。全国では残念ながら二回戦で負けちゃったけどね」
「それでも凄いな。俺、部活したことないから、本当に尊敬するよ」
「あはは、ありがと。三年になったら部長にも選ばれて、次こそは優勝しようって頑張ってたんだけど、
無意識のうちに無理しちゃってたんだろうね。三年生に進学すると同時に怪我をしちゃってさ、治療とリハビリで最後の大会出られなかったんだ」
明るく話す絢さんの声からは俺でもわかるくらいに悔しさや悲しさが滲んでいた。
もし俺が絢さんの立場なら悔やんでも悔やみきれないと思う。
話を聞いただけの俺でも悔しいんだから、当時の絢さんはどれほどの気持ちだったのか。
「応援席で見ていた大会の結果は地区予選敗退で終わった。一応私はエースだったからね。自分がこのチームを引っ張ってた自覚もあったし。だからみんなへの申し訳なさと自分への不甲斐なさでどうしようもなかったよ。それでも、その気持ちをバネにして高校でも頑張ろうって思ってたんだ」
「ならなんで……」
そう。そこが俺が気になっていたところだ。
絢さんなら怪我をして悔しい気持ちを次へと繋げる性格だと思っていた。
だからこそ、バスケを辞めて地元から飛び出してきたことに違和感を感じていたんだ。
「部活を引退してすぐくらいの時にさ、同級生の男の子から告白されたんだ。それもうちの学校で凄く人気のある男の子に。でも、私はそんな気になれなくて断ったの」
まあ、絢さんはビジュアルもとてもいいし、性格的にも人から好感を持たれる人だと思う。
だから告白されたっていうことには大して驚きもなかった。
でも、それがバスケを辞めたことにどう繋がるのか……。
「その次の日くらいからかな。私が告白されたこと、私がそれを断ったことがすぐに噂になったんだ。さっきも言った通り、生徒数もそこまで多くなくて、しかも人気のある男の子を振ったっていうスクープはあっという間に学校中に広がった。そこから楽しかったはずの学校が私にとって苦痛の場所になったの」
徐々にトーンが暗くなり、言い終わった時には絢さんの表情も声色も悲しさで満ちていた。
「私が前みたいに話しかけても無視されたり、陰口叩かれたり、仲間外れにされたりしてさ。私が振った男の子のことを好きだった子が多かったんだろうね。調子に乗ってるとか、何様のつもりとか、自分たちのことを馬鹿にしてるとか根も葉もないことをずっと言われてたよ。でも、ただの同級生に言われるだけなら私だってそこまで気にしなかった。私が一番悲しかったのは、苦楽を共にして、一生の友達だって思っていたバスケ部の子たちからも無視をされたり陰口を叩かれていたこと。それがどうしようもなく辛かった」
絢さんは言葉にはしないけれど、所謂イジメにあってたっていうことか。
胸糞悪い話だ。
「私も怪我をして大会に出られなくてメンタル弱ってたし、それに追い打ちを掛けるようにそんなことになっちゃったから、凄く落ち込んじゃって学校を休みがちになっちゃって、ずっと家に引きこもったんだ。周りは進学のために塾に通ったりしてたけど、私は一日中ベッドのなかで映像作品ばっかり観てた。現実逃避してたんだよね。辛い現実じゃなくて楽しくてワクワクする理想の世界が画面の向こうに広がってたから」
今の絢さんからは想像もできない様子だな。
一日中家に引きこもっているってのは。
映像作品にのめり込んでるっていうのは今でも同じだろうけど。
「そんな時にあのドラマが始まったんだよ。花咲く君への」
「ああ、放送はその時期だったっけ」
その時は番宣とかライブとかでてんやわんやしてたからなぁ。
あんまり記憶にないんだよな。
「そうそう。最初はさ、好きな漫画の実写ドラマってあんまりいい印象はなかったんだよね。ほら、二次元作品の実写化って結構評価がイマイチって話を聞いたことあったし、小さい頃に幼馴染と一緒に楽しんでた作品が悪く言われるのも嫌だったから」
「実写化はどうしてもなぁ」
ビジュアルでもキャラとのギャップがあるし、二次元だからこその演出もできないからチープに感じてしまうのも仕方ないとは思う。
特に原作のファンならなおさら。
「その時は見たい作品も見終わっちゃってたし、見てもいないのに悪く言うのも違うよねって思ってとりあえず見てみたの。そしたらさ、凄く面白くて、毎週の楽しみになったんだ。またコミックを引っ張り出して読みふけったし、小さい頃にワクワクドキドキしながら幼馴染とページを捲った記憶も思い出した」
俺がメイン所を務めた花咲く君へのドラマは予想以上の好評を得ることができた。
制作陣もあの作品が好きだった人たちが多く、作品への解像度も高かったし、キャストも若手だが実力のある役者が揃っていた。
そもそも少女漫画原作の学園ラブコメで奇抜な格好のキャラも特殊な演出もない作品だからこそ、二次元と実写のギャップが少なかったのも成功した要因の一つでもあると思う。
でも、直接自分が携わった作品を楽しんでくれて、心の拠り所になったって言われるのは嬉しいな。
「あのドラマのお蔭で私は立ち直ることができたの。そして、私も自分の演技で誰かの心の支えになりたいって思ったんだ!」
「なるほど。だから役者を志したんだね。凄く納得したよ」
「もちろんそれだけが理由じゃないけどね。幼馴染とごっこ遊びをして楽しかったことも思い出したし、創作の世界に私も飛び込んで入っていきたいっていう気持ちもあったし。色んな思いが一緒になって役者になりたいって思ったの」
さっきまで暗かった声色も表情も幻だったのかと思うほどに、明るく穏やかになっていた。
それだけじゃなく、役者を志した理由を語る彼女の声には強い意志も込められているようにも感じた。
「それからは親を説得するのに必死だったよ。地元でも都市部に出たら劇団とか演劇部はあったけど、私の同級生と進学先が被る可能性も高かったからなるべく避けたかったし、それならいっそのこと上京しようって思って、両親にどうしてもって頭を下げ続けたの」
まあ、嫌な思いをした地元にずっと残りたくもないだろうしな。
バスケで全国大会に出場した学校のエースなら、他校のバスケ部の人たちにも顔は知れてるだろうし、バスケ部に入らない理由を詰められる可能性だってある。
それなら遠い土地で心機一転したくなるのも頷ける。
「成績とか条件は色々出されたし、一年に一回は絶対に帰省することと、週に一回は連絡することを約束して了承を得ることはできた。まあ、私が学校で嫌な思いをしているのは知ってたから、それも後押しになったんだろうね。すっごく皮肉だけど」
「それはまあ……」
なんとも反応しづらい話だ……。
でも親御さんも凄い決断をしたな。
本心を言えば、少なくとも高校までは家にいてほしいだろうに。
「最初は都内の高校探してたけど、家賃とかの理由で断念して今の高校に決めたんだ。都内にも電車一本でいけるしさ」
「そこは俺と選んだ理由は似てるね」
「そうだね。そして担任の先生を説得して、ギリギリで進路変更して……ってもう高校三年の後半は高校生活を意識するなんて暇はなかったよ。私が上京するって噂もすぐに広まって、それでもまた根も葉もない噂が流れたりもしてたけどね」
高校三年の夏なんてもう進路も決まって、入試に向けて勉強するのが普通だけど、その時期に進路変更して担任を説得して……なんてやってると、そりゃそうだよなとしか言えない。
担任を説得するのも簡単なことじゃなかっただろうし。
「ただ、一度だけ芸能界にスカウトされて行くんだろっていう噂が流れたときはドキッとしたけどね。それと一緒に身の程知らずとか、売れるわけないのにとか、夢見てるんじゃないとかも言われてさ。その時思ったよ。芸能界なんて目指してるってバレると馬鹿にされるんだって」
「ああ、だから役者を目指していることをあんなに必死に隠してたのか」
初めてあの公園で会った時、絢さんがあそこまで取り乱していたことにも合点がいった。
俺が芸能界で生き続けてきたから、芸能界を夢見ることに対して否定的な感情もなかったけれど、その世界が遠く感じる人にとっては目指すこと自体があり得ないって思うのかもしれない。
特に地方ならば、それを目指せる下地もないだろうし。
「あの時はまだこっちに来て間もなかったし、地元でコソコソ否定的なことを言われてたトラウマも残ってたからね。今はあの時ほど必死に隠そうとは思わないけどさ」
そう言ったあと、わざわざ自分から言いはしないけどねと付け加える絢さん。
「ま、そんなところかな。私の昔話は。あんまり面白い話じゃなかったでしょ?」
「いや、ちゃんと知れてよかったよ。ありがとう、話してくれて」
俺はしっかりと絢さんの顔を見つめてお礼を言った。
言いづらい話だっただろうし、思い出したくない記憶だっただろう。
そんな話を俺を信用して話してくれたんだ。
改めて、彼女の夢を叶えられるように俺も頑張って支えていこうと決意する。
「絢さん、絶対に夢を叶えよう。俺が教えられることは全部教えるし、支え続けるから」
「う、うん。……ありがとう、唯くん」
気持ちが昂って熱く絢さんに俺の気持ちを真っ直ぐに伝えると、彼女は頬を染めながら受け止めてくれた。
その様子を見て俺も素に戻り、少しだけ照れくさくなって視線を外す。
「あ、もう雨上がってるじゃん」
雨音も雷鳴もいつの間にか聞こえなくなっていて、カーテンの隙間から夕陽が部屋に差し込んでいるのが見えた。
「本当だ。なんか思ったよりも話し込んでたんだ」
「というよりも通り雨だったんじゃないかな?」
「かもね。じゃあ、私は今度こそお暇しようかな。なんか抱えてたもの話せて私もスッキリしたし、唯くんももう休まなきゃだしね」
そうだった。俺、体調不良で今日休んでたんだった。
身体もだいぶ楽になってたし、絢さんの話を聞いていてすっかり忘れていた。
「うん、そうだね。とりあえず玄関まで見送るよ」
俺は絢さんを見送るためにベッドから降りて立ち上がり、二人で玄関へと向かう。
「絢さん、今日は本当にありがとう。本当に助かったよ」
スニーカーを履く絢さんに向かって今日の感謝の気持ちを伝える。
彼女が来てくれなかったら、一人寂しく未だにベッドで沈んでいたんだろうなと思うと、感謝の念に尽きない。
体調が悪い時に誰かがいてくれるだけでここまでメンタルが安定するなんて知らなかった。
病は気からって諺の意味を身をもって実感したな。
「いえいえ、普段からもっともっとお世話になってますんで! その欠片でも恩返しできたのならよかったかな」
「俺もなんだかんだ日常生活で世話になってるんだけどね」
今では少なくはなったけれど、それでも仕事で学校を休んだり早退しなくちゃいけないことがある。
その時絢さんにノートを見せてもらったり、クラスメイトへの対応とか色々とお世話になっているから、俺ばかりが彼女に施してるわけじゃない。
だから今日のお見舞いは借りだ。
「じゃあ唯くんまた明後日! それまでにちゃんと治すんだよ」
絢さんは玄関の扉を開けて別れを告げる。
「うん、もちろん。絢さんも帰ったらすぐに手洗いうがいするんだよ。あとできればお風呂も」
「はーい、了解でありまーす! じゃあね!」
最後にちょこんと敬礼をして、絢さんは出て行った。
玄関の鍵を閉めて寝室へと戻る。
そしてベッドへと入り、今度こそ寝ようと目を瞑ろうとしたら、スマホのバイブレーションが鳴った。
「うん? あはは、本当に気が回るなぁ」
スマホを確認すると絢さんからのメッセージが届いていた。
『明日の分までのレトルトと飲み物も買って冷蔵庫に入れておいたからね! お大事に!』
最後まで彼女の好意に甘えっぱなしだなと苦笑してしまう。
ありがとう、了解とスタンプを送って、今度こそ眠りにつくのだった。
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