帰宅後の絢は

「はあ、まだドキドキしてる」


 湯舟に浸かって両手で胸を抑える。

 唯くんのお見舞いから帰って、彼に言われた通りに手洗いうがいをしてお風呂を沸かした。

 身体を洗ってから浴槽に入って今日のことを思い返す。


 最初は唯くんが体調を崩したから、少しでも恩返しできればと思って看病するためにお見舞いにいっただけだったんだけどな。


 まさか、私の昔話をすることになるなんて思ってもなかった。

 唯くんから聞かせてって言われた時は言うかどうか迷った。

 暗い話になるし、もしかしたら辛いことから逃げ出した臆病者なんて思われるかもしれないって思ったから。

 もちろん唯くんがそんなことを思う人じゃないっていうのはわかってたけど、それでも怖かった。

 でも、ここまで私の面倒を見てくれた唯くんのことを信じて打ち明けることに決めた。

 話してる最中に当時のことがフラッシュバックしたし、なんなら涙も出そうになったけどね。

 物を隠されたりとか、暴力を振るわれたりとか露骨なものはなかったけれど、仲間外れや陰口は私の心をじわじわと苦しめて、まるでゆっくりと暗いところに沈んでいく蟻地獄に囚われているような感覚だった。

 そして追い打ちを掛けるようにバスケ部の友達もそれに加担してて、あの頃の私は本当にどん底にいたと思う。

 冷静になった今なら、大会の本命と言われて期待されていたのに、呆気なく敗退したことによる苛立ちとか悔しさとか色んな鬱憤が溜まった結果の矛先が私だったんだろう。

 負けた原因もエースの私が怪我をして大会に出られなかったことも大きいし。


「唯くんに話しただけで、こんなに冷静に振り返ることができるなんて……」


 前までなら、何が悪かったんだろう。なんで私があそこまで責められなきゃいけなかったんだろうって、負の思考の迷路を彷徨っていたんだけどなぁ。


「これも唯くんが私の話を聞いてくれて、受け止めてくれたお蔭だよね」


 いったい何度彼に救われたんだろう。

 私が辛い時には救ってくれて、憧れになってくれた。

 一人で藻掻いている時は、私の道しるべになってくれた。

 そして、私のトラウマを受け止めて、支え続けるって言ってくれた。


「ただのファンでいるつもりだったんだけどなぁ……」


 熱くなる顔にぱっしゃっと湯舟のお湯を顔にかける。

 唯くんの部屋から出てから、ずっと胸のドキドキが収まらない。


「次の朝稽古の時までに今まで通りに接せるようにならないと」


 本当はこんなことを考えてる余裕はないはずなのに。

 うん、そうだよ。

 気持ちを切り替えて、オーディションに受かって、唯くんに恩返ししないと!


「オーディションに受かったら、唯くん褒めてくれるかな……」


 あー、もう!

 どうしたって唯くんの顔が浮かんでくる!

 私、本当にどうしたらいいのさぁ!


 結局私はのぼせる寸前までお風呂で悶々としてしまい、お風呂から上がってもその熱が冷めることはなく、晩御飯も食べずにずっとベッドの上でゴロゴロと悶え続けたのだった。

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