稽古初日終了
それから時間まで悪戦苦闘しながらみっちりと練習し、アラームが鳴る頃にはグロッキーになっている風祭さんが出来上がった。
「はぁはぁはぁ……あーキッツ……」
地面に座り込みながら、天を仰ぐ風祭さん。
それと対象的に苦笑いしながらその光景を見下ろす俺。
「お疲れ様。初日なのによく頑張りました」
「……うん、ありがとう。なんか喉とかお腹よりも背中とか腰回りが痛いし、凄く息切れする」
「正しい腹式呼吸で発声できてるって証拠だよ。あとは多分、余計な力が入ってるのもあるかも。慣れるまでは力んじゃうのも仕方ないけど、発声に慣れてきたら自然体でできるようにならなきゃね」
「あー、力んでるのは確かに……。意識しなきゃ、やらなきゃって思ったら勝手に力んじゃうんだよね。リラックスしなきゃいけないのはわかってるんだけど」
今日見てて思ったのは、この子は集中力が凄いということ。
普通なら同じ箇所を何度も何度も繰り返していると途中で意識が散漫になるけれど、この子はブレることなくずっと集中していた。
ただ、その弊害で没頭しすぎて自分の今の状態を把握できてなかったり、俯瞰した視点を持てないのかもしれないと危惧していたのだけれど、どうやらそれは杞憂だったみたいだ。
「リラックスしなきゃいけないってわかってるなら今はそれでいいよ。だからこれからは持続的にトレーニングして身体に慣れさせるようにしていかなきゃね」
「うん、一日でも早く馴染ませられるように頑張る!」
「ただ無理だけはしちゃダメだからね。やらなければならないじゃなくて、やりたい、楽しいってメンタルじゃないと、効率も悪くなるし身につけられるものも身につけられないから。それに、無理して疲労を溜めて怪我したり、やることが苦痛になってしまえば本末転倒だし」
なるほどと頷く風祭さん。
実は意外とこのメンタルを保つのは大変なんだ。
最初のうちは新鮮さや新しいことを覚える楽しさで続けられるけれど、反復して練習していくと新鮮さも楽しさも薄れていって、トレーニングが義務感に変わっていくと集中できなくなって効率が悪くなる。
習慣化できればこっちのものなんだけれど、それには長い時間が必要になるし。
まあ、そこは風祭さんの情熱を信じるしかないんだけど、俺のほうでもレッスン内容を定期的に構築し直していかないとな。
「よし、じゃああとは軽くクールダウンして、昨日俺が言った目標について話そうか」
「はーい、了解でーす先生」
風祭さんはそう返事をして立ち上がり、軽く力んで強った身体を伸ばしていく。
がっつりと身体を動かしていたわけじゃないから、本当に軽く身体を伸ばすくらいでいいだろう。
「ところでさ、白鳥くんは今日この後予定とか入ってるの?」
風祭さんは唐突にググっと身体を解しながら聞いてくる。
「今日? 今日はオフの日だけど、それがどうかした?」
学校も休みでレッスンも仕事もオフという珍しい日だ。
遊びの誘いがないってことは龍は多分ジムで筋トレしてるだろうし、優斗は一日中引き籠もってゲームしてるだろう。
今まで丸一日オフの日なんて珍しかったから全くなにも考えてなかった。
多分これから少しはそういう日も増えてくるだろうし、なんか新しい趣味でも見つけようかな。
「そうなんだ。私も今日はバイト入ってないんだよね」
「へー、いいじゃん。じゃあ友達と遊んだり、家でゆっくりできるね」
「そう、友達と遊んだりできるんだよ」
彼女はそう言いながら意味深な眼差しで俺を見てくる。
「……えっと、何が言いたいの?」
「だからさ、どこかに遊びにいかない? せっかくこれから長い付き合いになるんだしさ、親睦を深めるってことで」
「あ、そういう……」
全くそういう発想に至らなかった……。
風祭さんとは学校でも積極的に関わるつもりもなかったし、ましてや同年代の女の子と二人で遊びに行くこともなかったから。
「あ、それとも事務所的にNGだったりする? アイドルだしスクープ的な」
「んー、別にそこまで厳しくは言われたりってのはないかな。恋人ができたら事務所に報告しなきゃいけないけれど、普通の交友関係なら基本的に本人たちに任せてるみたいだし」
「一応私女子なんだけど、普通の交友関係って括りでいいの?」
「だって別にお互いに恋愛感情なんてないでしょ? 俺、仕事以外だと学校みたいな感じでいるし、全く気づかれないんだよね」
「私には気づかれたけど」
「……あれはノーカウントで。眼鏡も掛けてなかったし、もっと気をつけるし」
いきなり風に吹かれて素顔が露わになるなんてそうそうないし、あれは不運だったとしか言えない。
そりゃもっと気をつけていればバレなかったかもしれないけれど……。
これからはちゃんと風にも気をつけておこう。
「じゃあ、遊びに行くのになんの問題もないんだね!」
「いや、でも同級生に見られて変な勘違いされるかもしれないだろ」
「見られないところに行けばいいじゃん! カラオケとか昨日の喫茶店とか。それにクラスメイト以外の人なら気づかないんじゃない?」
「俺はまだしも風祭さんは結構人気あるじゃん」
「えー、そうかな? 私、友達って今のクラスにしかいないし」
俺も深く高校内でのヒエラルキーとか知名度とかは詳しくないけれど、前に佐藤が言ってたのを聞いたことがある。
風祭さんは可愛いし、人気あるみたいなことを。
当の本人にはその自覚は薄いみたいだが。
「でも流石にカラオケはねぇ。密室で女の子と数時間いるってのはハードル高い」
「白鳥くんって結構初心なんだね。なんか意外」
「いったいどんなイメージを持たれてるのか問い詰めたい……」
「人気のアイドルだし普通にモテるだろうし、そういう経験とかあってもおかしくないなーって」
「人気があってモテることは否定はしないし、裏でお誘いがあったこともあるけど全部やんわり断ってきたからね。ぶっちゃけそんな余裕なんてなかったし、そもそも興味もなかったし」
「うわぁ、なんか強者の発言だ」
「うるさいなぁ。自分がどう見られてるかってのはきちんと把握してなくちゃダメでしょ。自分の魅せ方の指針にもなるし」
この仕事をしていれば、自分の美醜やイメージなんて自然と流れ込んでくるし、どういうものを求められているかも把握しなくちゃならない。
例えば龍なら男気溢れるアクティブな兄貴分、優斗なら可愛いみんなの弟みたいな。
そして俺は爽やかな正統派。
まあ、髪を伸ばしてからは色気も出てきたみたいだけれど。
「だから風祭さんも、自分がどう見られてるのかって情報は掴んでおいたほうがいいよ。それで自意識過剰になるのはダメだけど」
「んー、わかった。じゃあそれも後で白鳥くんに聞いてみようかな」
意地悪な笑顔を俺に向ける風祭さん。
「俺に!? 普通にクラスの友達でいいでしょ!」
「だって直接友達に私って他の人からどう見られてるのーって聞くの恥ずかしいんだもん」
「そこは上手く聞けばいいじゃん!」
「じゃあその聞き方とかもあとで教えてもらおうかなー」
「うっ……」
目の前の小悪魔は水を得た魚のように生き生きと俺をからかい始めた。
さっきまでの素直で従順な姿はいったいどこへいったのやら……。
「そんなに意地悪なことを言うなら、俺はもう帰るからね」
「あ、ウソウソ! ごめんって! 調子に乗りすぎました!!」
慌てて帰ろうとする俺を引き止める彼女。
なんかからかいがいがあるなこの子……。
「それで、この後は遊びに行って貰える……のかな?」
「……わかった。じゃあまたあの喫茶店でのんびり駄弁ろうか。あそこなら多分同級生はこないだろうし、何処か行きたくなったら移動したらいいし。あと、久々の一日オフだからゆっくりしたいし」
「最後のが本音だよね!?」
「さあ、どうだろうね」
ということで、午後から風祭さんと遊ぶことが決まった。
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