稽古が始まる前に
「あ、そうそう。これ、もしよかったら参考に」
一頻り笑った後に俺はリュックからノートの束を取り出してテーブルの上に出す。
「うん? これ……なに?」
「芝居について俺が纏めたノート」
「えっ!?」
風祭さんはノートに恐る恐る手を伸ばして、一番上の一冊を手に取り、ノートを開いてペラペラとページを捲る。
それは子役時代から今までに掛けて、監督や他の役者さんに指摘されたことや教えられたことを纏めたノートだ。
風祭さんと公園で別れてから喫茶店で落ち合うまでの間、家に戻って自室のクローゼットから引っ張り出してきたものだ。
このノートは台本の余白にメモしていたものを清書して、迷った時や忘れた時に見返せるように作ったもので、芝居を上達させる上で結構役に立つものだと自負している。
「こんな凄いもの、本当に貰っていいの!? 色々書いてあるし、相当貴重なものなんじゃ……」
「ああ、気にしなくていいよ。そこに書いてあることはちゃんと覚えてるし、一応スキャンしてデータでも残してるから、必要になったらいつでも見れるしね」
「そ、そうなんだ……。でも、本当に凄い……」
「あ、一応ダメ出しで台本ないとわかんないやつとかも書いてあるけど、よかったらそれも余裕があるときにでも考えてみて。俺が出た作品、原作が小説や漫画も多いから原作買って読んだり、映像のほうはサブスクで配信されてるやつも多いから、それを観てどういうシーンでなんでこういうダメ出しをされたのかを自分なりに考察してみることも大事だからね。ノートの左上の余白に作品名書いてあるからさ」
「うん、一応メジャーなサブスクは実家にいたときから契約してるし観てみるよ!」
目を輝かせて宝の山を眺めるように、視線がノートのあっちこっちに動いている。
これなら使ってた台本を渡したらもっと喜ぶんだろうな。
まあ、流石にそれはできないんだけれど。
「あとは家で出来る練習方法も伝えとくけど、メモできるものとか持ってきてる?」
「あ、一応スマホのメモ帳なら」
「オッケー。とりあえず今はそれで。帰ったらそれをノートとかルーズリーフに書き写して纏めておいて。アナログだとは思うけど、そういうことも大事だから」
「うん、わかった」
風祭さんはスマホを取り出して、メモ帳アプリを起動させた。
「まずは芝居するためには身体が大事だっていうのはわかってるよね?」
「うん、一応家でも筋トレはしてるよ」
「じゃあ、その筋トレも体幹を鍛えられるやつを重点的に行うようにしよう。例えばプランクを日常的に取り入れるのは効果的だね。もちろん、負荷が掛かっている部分を意識しながらやるのが一番だけれど、それだけじゃ長続きさせるのは大変だから、映画とかアニメとか観ながら無理のない範囲でやること。あとは腹筋ね。仰向けの状態で両足をくっつけて三十度くらい足を上げた状態でキープ。最初は三十秒を五セット。慣れてきたら十秒ずつ時間を伸ばしていく。お金に余裕があったらジムでパーソナルトレーナーから指導を貰ったほうがいいと思うけれど、これは将来的にお金に余裕ができたらで」
「ふむふむ」
「ついでに言っておくけど、全身運動で水泳をするのもありだね。肺活量もつくし、バランスよく全身を鍛えられるし、カロリー消費も凄いからスタイル維持にも役立つ」
「あ、それは聞いたことある。でもちゃんと泳げるようなプールって近場にあるかな? レジャー施設のプールくらいしか知らないけど」
「まあそれはプールが付いてるジムに入会するのが手っ取り早いね。残念ながらうちの学校は水泳の授業はないし。あとは市が運営している運動施設で室内プールがあったりするから、そこに通うとかかな」
「そっか。じゃあ今は運動施設のプール探して使わせてもらおうかな。時給が上がって余裕ができたらジムに入会って方向で」
「うん、それがいい」
俺は事務所の一画にジムが設置しているから、タダで使わせてもらってるし、プールも事務所と提携している施設のものを使っているから不便に思ったことはないけれど、普通なら高校生にはちょっと負担が大きいものだよな。
学割みたいなのがあればいいんだけど。
「そして忘れてはならないことがもう一つ。柔軟運動」
「ストレッチはよく家でやってるよ?」
「もちろんそれは大事なことだね。でも身体を意識しながらやったことはある?」
「意識しながら? あー、結構流してたかも」
「芝居をするためには身体がどう動いているのかをきちんと把握して、どんな時でも思い通りに動かせるようにしておかなきゃいけない。筋トレもこういう動きをしたらこういうところに力が入る、こういう物を持ったらこういうところの筋肉を使うみたいに全部意味があるんだ」
「筋トレの意味はわかったけど、柔軟運動は?」
「身体を痛めないためや怪我をしないためにってのはもちろん、身体を伸ばしている時にもきちんとした姿勢で伸ばせているかって意識するだけで身体の魅せ方を知ることができる。それに柔軟性がある身体は柔らかい芝居もできて、自然な芝居が身につけられるからね。さらには多様な芝居に適応できるようにもなるんだ。特にアクション。身体が硬い人に上段回し蹴りのアクションをやれと言われてもできないだろ? 仮にできたとしてもぎこちないものになるしさ。でも、元々柔軟性があるなら、そういうアクションもキレのある魅せ方ができるんだ」
柔軟運動は意外と軽視されがちだが、身体を動かすためには絶対に欠かせないものだと思っている。
身体を痛めることを防ぐことはもちろん、自由に思い通りの動きをするためには身体の柔軟性は必要だからだ。
あとは代謝を良くするって意味でもな。
芝居や歌、ダンスなど、身体を使って表現する仕事はそれ自体が商売道具だ。
例えばメンテナンスされてない楽器を使って演奏するプロの音楽家なんていないだろう。
それと同じだ。
さらには身体を柔らかくことで自分ができることが増えるんだ。
毎日少しの習慣でそれだけのメリットを得られるのならやらない理由はない。
「わかった。柔軟運動もきちんと意識しながらやってみる。柔軟のオススメとかはある?」
「口で説明するのは難しいな。俺はジムのトレーナーさんに教えてもらったり、整体師の先生に教えてもらったりしたけど、動画サイトで探せば口頭で説明するよりもわかりやすい動画が出てくると思うよ。とりあえず、股関節やハムストリングスや足首、あとは肩の稼働域に首……あたりかな。出来るなら全身満遍なくやるのがいいんだけれど」
「喫茶店でお手本見せてって言えないしね。じゃあ、帰ったら動画探してみる」
「うん、そうしてくれ」
最初に頼んだコーヒーをお互いに飲み干してしまったので、おかわりを注文する。
その間、風祭さんは先程俺が言ったことをスマホアプリに纏めつつ、度々質問をしてきてそれに俺が答える。
それはアイスコーヒーのおかわりが届くまで続いた。
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