出逢いは突然に

「んん……んー」


 スマホのアラームが耳元で流れる。

 スクリーンに表示されている時間は午前五時。

 まだまだ重たい瞼と身体を無理やり起こしてグッと伸びをする。


「んー……ふぅ」


 身体に溜まっていた息を吐き出すと、ようやく頭がクリアになってきた。 

 そのままベッドから抜け出して、洗面所へ向かい洗顔と歯磨き、コンタクトを入れ、そしてランニングウェアへの着替えを済ませて部屋を出た。

 マンションのエントランスから出て、身体を解しながら少し歩く。

 そしてある程度身体が温まったことを確認して止まり、一度屈伸をしてから走り出した。

 まだまだ人気の少ない住宅街をそこそこのペースで走る。

 日の出が早くなったおかげでこの時間でも明るく、さらに気温も涼しくて走るのに適した時期だ。

 ちなみにこの朝のランニングは中学の頃からの欠かせない日課になっている。

 中学までは子役一本だったけれど、諸々の事情で活動の幅を広げることになってアイドルの活動し始めてから、精神的にも身体的にも負担が増えたと感じることが多くなった。

 なのでそれに負けない体力をつけるために始めたことだけれど、体力作り以外にも気分転換や頭の活性化など、日々の生活に役立っている。

 今日は学校が休みということもあり、普段より長めの距離を走ることにした。

 普段の折り返し地点を通り過ぎて少し走ると、そこそこ大きめの公園が見えてきた。


 ちょうどいいし、あそこで休憩しようかな。

 自販機も設置されてるし。


 そう考えながら公園に近づくと、どこからか声がするのに気付いた。


 ん? なんだこの声? 女の人……?


 念のために前髪を手櫛で整えてから、そっと公園の中を見た。

 そこにはジャージ姿で本を持ちながら、一人で身振り手振りをしながら何かを喋っている女の子の姿が。

 何を言っているのかと声に耳を澄ますと、それは俺も知っている作品のセリフだった。

 じっと彼女の芝居を観察する。

 一生懸命で、しかしまだまだ拙い芝居。

 普通なら、ああ、頑張ってるなーとこの場を離れるような状況なのだけれど、朝日に照らされながら一生懸命練習してる姿に懐かしさを感じ、この場を動くことができなかった。


「ふう……あっ!」


 あれからどれくらい経ったのだろう。

 その女の子の練習が終わり、本を閉じて一息ついたと思ったらこちらを向いて驚きの声を上げ、気まずそうな表情を見せた。

 俺の視線に気づいてしまったのだろう。


 あー、やばいな……。

 変なやつにジロジロ見られてたとか思われてるんだろうか。


 めちゃくちゃ気まずくて、俺は視線を背ける。


 なんで俺はすぐに離れなかったんだ? 

 通報とか……いや、流石に大丈夫だよな?

 これで身元割れたら洒落にならないぞ。


「えっと……見てた?」


 練習をしていた亜麻色のセミロングヘアの女の子は、本を足元のリュックに仕舞っておずおずと俺の元へと歩いてきた。


 あ、この子……。


 先程は横顔しか見えてなかったけれど、真正面からきちんとその子の顔を確認すると、見覚えのある女の子だった。

 そう、この子は俺と同じクラスの子で……。


「あ、えっとごめんなさい。ほんのちょっとだけ見てました……」


 本当はがっつり見てたけど……。


「そっか……。えっと、その、君、同じクラスの白鳥唯君……だよね?」


 俺が学校で使っている白鳥という名前を口にする彼女。

 どうやら相手も俺がクラスメイトだということを知っているようだ。


 よかった、髪型学校仕様にしといて!

 あ、でも眼鏡掛けてない……。

 いや、流石にバレない……よな。


「ええっと、はい。あの、風祭さん……ですよね?」

「あー、やっぱりそうかぁ……」


 眼の前の女の子、風祭絢はガックリと肩を落とした。

 練習をしていたところを見られたのがそんなに恥ずかしかったのだろうか。

 まあ、気持ちはわからなくはないけれど。


「なんか、すみません。邪魔しちゃったみたいで」

「いや、邪魔とかじゃないんだけど……」

「そうですか。じゃあ、俺はこれで……」


 これ以上話すこともないし、この場を離れようとしたのだけれど、彼女に服の裾を掴まれてそれは叶わなかった。


「あの、まだ何か……?」


 顔を伏せながらも裾を離す気のない彼女に困惑していると、彼女がガバッと勢いよく顔を上げた。


「今日ここで見たことは誰にも言わないで!」


 顔を真っ赤にしながら俺に懇願する風祭さん。


「別に言わないっすけど……」


 まともに絡んだことのない相手だし、このことを誰かに喋るつもりは最初からなかったけれど、何故ここまで必死なんだろうか。


「本当の本当に!?」

「本当の本当に」

「言ったら絶対に許さないからね!」

「絶対に言いませんって。ていうか芝居をしたいなら、こんなことで恥ずかしがってちゃダメなんじゃないですか?」


 念押しがしつこくて少し強い口調で言ってしまった。

 言い終わってからやらかしたと思い謝ろうと風祭さんを見ると、彼女はさらに顔を赤くして涙目になってしまった。


「わかってる……。そんなことわかってるよ……」


 すぐに謝ろうと口を開こうとすると、その前に風祭さんが弱々しく言葉を発した。

 裾を掴んだ手も震えて、何かに怯えているような風祭さん。


 あー、まじでやらかした。

 少しイラついたとはいえ、もっと冷静になるべきだった。


「すみません、言い過ぎました。絶対に誰にも言いません。約束します。だから安心してください」


 軽く深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、ハッキリと約束の言葉を紡いだ。

 俺の気持ちが伝わったのだろうか、風祭さんは俺の裾から手を離して、顔を見上げてくる。


「……うん。お願い。あと、私こそごめんね」


 きちんと俺の目を見て、風祭さんも謝罪の言葉を告げてきた。


 とりあえず、落ち着いてくれたようだな。よかった。


 安心して俺が一息ついたと同時に、一陣の風が公園を通り抜けていった。

 公園から俺たちのいる方に向かって吹いた強い風。

 木々を揺らし、土埃を巻き上げるその風はダイレクトに俺の顔を叩いた。

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