無言の抵抗、それは自殺未遂なのかも知れないし

自殺未遂……。 と、聞いて皆さんはいかが思われますでしょうか?

私は、数ある相談者さんに、『何度も自殺未遂した』 あるいは『何度も自殺未遂して病院に運ばれた』 という話しを聴いた事が、あります。


相談のやりとりの中で、 ある日突然音信不通になり、連絡が来た時に

『この前自殺未遂して入院した』


 という話を聴いてすごく不安になり心臓が締め付けられる思いをした事が何度もある反面、帰ってきてくださり連絡してくださった事にすごく感謝したのは忘れられません。



ネットの世界で、掲示板や日記を見ておりますと『自殺未遂は構って欲しいからやる『構ってちゃん』だ』という記事を読んだりした事があります。


 私から言わせていただけるのであるならば、これはものすごく誤解であり偏見であると言えます。


 しかも、こう言った意見を言う人達というのが同じ心の病を持つ人達や、自分も自殺未遂を何度もしている経験者だからというから驚きです。


 自分も、同じ辛さや苦しみを持っているのにどうしてそんな軽はずみな事がいえるのか? と疑問に思った事があります。


 今さらながら言わせて欲しいのですが、『そう言った軽はずみな発言でもし自殺未遂が完遂になってしまったらどうするんだ?』と声を出して問いただしたい。


仮に、アナタの身近な人や大切な人がそういった事をしても言えますか? 逆にアナタ達がそう言われたらどう思いますか?


確かに自殺未遂を繰り返す人達というのは、意図して助かるようにしていたり、無意識的に助かるように意識が働くようになっている場合もあるのですが、もし運が悪く完遂になってしまったのならば生きた気がしないではないですか?


 私が思うに、自殺未遂も自傷行為に並ぶ一つのメッセージなのではないか? と思っています。


 その証拠に、帰ってきてくださった人達の話しを聴くと、辛かったことや苦しかった事を沢山話してくださいます。  


 本当は、未遂をする前に話してもらえたらと思うのは私だけなのでしょうか?


『 無言の抵抗』や


『無言のメッセージ』 という言葉があります。


自傷行為も自殺未遂も、そして自殺もメッセージなのです。

『助けて!』


『生きたい』


『もっと生きたかった』


 自傷行為や自殺未遂を繰り返す人達も、発信しているのです。

 

ですから、お願いです。 偏った目で見るのは止めてもらえませんか?

 

当事者であり、接するものであるからわかるのです。


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