第6話 砂糖と塩のぼやき

 自宅に着いてしまった。

 だが入れない。

 理由は二つ。

 ①カギを玄関に忘れたから。

 ②妻が風俗店で働いていた事実が判明したから。

 

 太宰探偵はどうしたんだ? と思う方がほとんどだろう。

 細かい事はどうでもいいだろう。緊急事態だ。語らせて欲しい。

 とにかく俺の精神は尋常じゃないくらい困惑、驚愕、葛藤の嵐なんだ。

 話を続けるぞ。

 そもそもは妻が浮気をしてるんじゃないか? と言う疑念から、探偵事務所に調査を依頼した。

 3人の子宝に恵まれたんだ。一番上の長女は2歳。次女1歳、長男0歳。

 結果はグレー。

 予想の斜めはるか上。

 風俗店に勤務していた。


 その話を妻としなければならない。

 いや、義務ではないな。今日判明した事実と言うだけだ。

 だから、今日話さなくても――いやいやいや……無理だ。この事実を自分に刻み、平静を装っていつもの生活を続けるなんて俺には出来ない。

 夫婦には隠し事があって当たり前――通説なのかも知れないが、俺は今まで妻に一切隠し事をした事がない。オープンもオープン。開けっ放し。つまり常に大開放だ。田舎の家みたいだろ? こんな冗談を言ってる場合じゃない。

 去年一戸建てを購入したばかり。

 インターホン、表札にこだわった。

 当然インターホンはモニター付。 

 幼い子供三人と妻一人が俺のいない日中も家にいるんだ。ホームセキュリティも契約している。


 普通にインターホン鳴らして、とりあえず入るか?

 駄目だ。

 今の俺はモニター越しに見ても一発で表情が固いだろう。

 最悪は「おかえりなさい。あれ? 元気ないよ? どうしたの?」なんて聞かれる可能性がある。

 「そうか? 何も問題ない。いつも通りだ」と言える自信がない。よしんばそう返したとしても、変に怪しまれる。いや、俺に黙って風俗店に勤務していたんだ。今の妻にそんな気を使う必要ないか?


 近くの公園で、頭を冷やそう。そうするしかない。

 丸裸の無為無策で敵陣へ突っ込むのは危険すぎる。

 想像してくれ。

 時は戦国時代――

 一万の織田軍に対して、たった一人お盆で股間を隠した状態で向ったらどうなると思う? 

 「……」

 こんな事を考えるなんて、俺はおかしくなった。自分自身の妄想に絶句だ。

 一万の織田軍でも、三人の織田軍でも結果は同じだろ。

 そうじゃないだろ。

 

 とりあえず公園のベンチに座った。

 心地よい風が俺を癒やしてくれている。体の表面だけをな。

 だが、心は凍てつく猛吹雪が吹き荒れている。俺はお盆のみで懸命に寒さをしのいでいる。なぜお盆にこだわるかって? そんな愚問に答える必要はない。

 

 どうする?

 その前に整理しよう。


 選択肢は三つ

 ①帰宅し妻に突きつける。

 ②帰宅し今回の件は話さない。俺の心の宝石箱の暗証番号を消し去り、永遠に閉じ込めておく。

 ③帰宅しない。


 ①だな。いや、待て。

 時と場所を選ばなくては。

 まだ幼いとは言え、まさか子供達がいる前で話す訳にはいかない。寝静まった夜中だとしても、修羅場になり子供達を起こしてしまう可能性もある。

 たまには二人で……と、うまい言い訳で子供達を一時保育に預けて……と言う事も可能だが、終わり時間が読めない。理想は俺の実家から両親を呼び寄せ、その間外出して会話をするべきだが、あいにくオヤジが重度のぎっくり腰で入院中だ。オフクロにも、付き添いがあるから無理と言われるだろう。

 

 ②か……。

 だからそれは無理だ。

 俺は嘘をつけない。

 妻は今後も週一とは言え風俗店勤務を続ける可能性がある。

 耐えられない……。

 あえて妻に敏腕弁護士が付いたとしたら――仕事は仕事。風俗店とはいえしっかりと意識を持ち仕事していたとしたら何が問題なのか? そもそも無計画に子供を作った挙げ句、専業主婦を希望したのは旦那さん、あなたじゃないですか? 年子と言うのは母体の死亡率を高めるリスクがある事はご存知ですよね? それを3年も。耐えられなかったの奥様の方では?

 なんて事をのたまわれたら、倫理的には反論出来ても、論理的に反論する事が出来ないか……いや、違う……俺達は愛を育んでいただけだ。子供はその結晶なんだ……妻が否定したら?

 論理的反論をしよう。じゃあ、逆に私が女性に奉仕する風俗店に勤務していたら妻は許せますか?

 馬鹿な事を考えてる場合じゃない。しかも、俺は支離滅裂混乱錯乱状態か? 落ち着かなければ……。

 とにかく、話をしない選択肢はどう考えてもあり得ない。却下だ。


 ③帰宅しないは論外だ。

 子供がいる。帰宅しないで満喫に宿泊も可能だが、辛すぎて漫画なんか読む気になれない。違う違う……漫画を読むか否かの問題じゃない。


 よし。少し整理出来た。

 つまり俺が選ぶ道は、とりあえず帰ると言う事。そして、タイミングを見て話をするんだ。

 

 俺は両頬をピシャと叩き、気合を入れた。


 男なら逃げるな。現実を見ろ。

 

 家までは約100メートル。

 足が重い。流れる血液でさえも重く感じる。

 俺は何度も家に向かっては公園に戻り――無意味にコンビニに入店し、見たくもないファッション雑誌をパラパラめくったりした。駄菓子を買い、行きたくもないトイレを借りたりした。要は右往左往していた。わかるだろ?

 たまにはパチンコでもやるか?

 やめよう。

 これで負けたら踏んだり蹴ったりになる。精神的ダメージと無駄金と言う物理的ダメージを自ら負う必要はない。

 無駄金……。

 俺はただ安心したかった。

 探偵に多額のお金を支払い、依頼などしたが、心のどこか――いや、ほぼ黒はないだろうとタカをくくっていた。しかし、こんな結果になろうとは無駄金と同じ事。

 通常探偵に依頼するのは、その後も見据えての事だと思う。つまり、離婚調停を有利に進める――その材料だ。

 しかし、俺の場合は違う。ずっと欲しかった物を買ったら満足感を得る事が出来る……つまり、浮気なんかしてるはずがないと言う客観的な証拠を買うつもり――ただそれだけだった。

 

 それなのに……。

 現実はあまりにも残酷じゃないか?

 

 


 


 

 


 

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