第6話
「晴明は、・・・・・・おぬし、晴明を斬ったのか!」
頼忠が掴みかかると、道満はその手を簡単に振りほどく。
晴明のそばへ寄り、脈を確かめて軽々と抱き上げた。
晴明の、力なく弛緩した腕から指先にかけて
血のしずくがぽたりぽたりと、とめどもなく流れ落ちている。
透き通るような青白い姿態に、赤い血の筋が幾筋も鮮やかについていた。
「すでに死んでいる、のか・・・・・・?」
真青な顔になって頼忠はつぶやいた。
「生きておるよ。」
拍子抜けしたような顔で頼忠はその場にしりもちをついて座り込んだ。
「し、しかし、このように血が多く流れておるのは・・・・・・」
「色粉に水を溶いたやつを、大げさなくらいぶちまけてみただけだ。太刀はかすめただけで、この程度の傷はすぐに直る。跡に残るほどでもない。何、真に悪い奴等を騙さないといけなかったのでな。」
道満は頼忠に晴明を預けると、迫道上人の方を向いて言った。
「憑き物落しに行った者が、まさか憑き物に憑かれて帰って来るとは思わなんだ。しかもたちの悪い・・・・・・。血を見て油断したすきに、黒い雲のごとく貼りついたものを強引に引き離したので、このように気を失ってしまった。」
「なあに、一日も立てば気がつくであろう。」
迫道上人は晴明の顔を覗き込んで言った。
「わしはどうしても金烏玉兎集を手にしたかったのだ。」
道満は三人と向き合って言った。
「ちょうどこやつの、妻が預かっていたでの。いつしか手にしようと狙っておった。だが、その妻のやつがあまりにも腹黒い奴でのう。晴明を打てば金烏玉兎集を差し出すと言うが、どうにも気にくわん。
それにだ。・・・・・・こやつ自身が、そのような女子(おなご)に振り回されておる。先日も、一条戻り橋のたもとでずいぶんと長い間思い悩んでほうけておった。身投げでもするのかと思ったわ。わしはのう、晴明には術くらべでこそ、負けてしもうたが、・・・・・・自分よりも強きはずの者が、このような気の迷いだけであっさりと死を選ぶのだけはどうにも解せん。」
「道満殿の言う通りじゃ。晴明にはよく言い含めておこう。」
迫道上人は、目を閉じて思案しつつもうなづいている。
「道満殿。その金烏玉兎集はわしがかつて、唐にて晴明に渡したものじゃが・・・・・そちは、晴明にとっては命の救い人となったわけじゃ。弟子を救って頂いた礼に、特別にそちに差しあげるとしよう。晴明にはわしがまた機会をつくり口伝するでな。安心して受け取るが良い。」
道満はうなづいて、頼忠と保憲へ目を向けると言った。
「都では、いろいろと噂が立つと生きずらい。この度の件も、晴明にとっては悩みの種となろう。事実を内密に処理する為に、わしが妻を騙して誘い晴明殺しを企てたことにせよ。
そして唐より訪れた迫道上人が、晴明を泰山府君の神にお頼みして、生き返らせた。蘇った晴明は二人を打ち取った。とな」
道満は腕を回して大きく伸びをした。
「つくづく、この都というところは窮屈でわしにはあわん。これでしばらく、都を離れられるわい。」
「目が覚めましたか。」
うっすらとまぶたを上げた晴明を見下ろして、賀茂保憲は笑みを浮かべて優しく話しかけた。
あれから一夜立ち、翌日の夕暮れ。前日起こった出来事がまるで夢のように感じられる程、屋敷の中は綺麗に片付けられている。
「保憲様・・・・・・。何故、ここに・・・・・・?」
ぼんやりとして晴明は問うた。
「晴明殿。お身体のほうは、大丈夫ですかな。」
傍らで頼忠が心配そうな顔をしている。
「頼忠様・・・・・・。お逃げくだされと言うたのに・・・・・・。」
「あのままで晴明殿をほったらかしにできるはずないであろう。何、全ては済んだこと。もう大丈夫だから安心されよ」
屋敷内を見回すと、晴明は身体を起こす。
とたんに腹部にきりきりとした傷みが走った。
「もう少しそのままでいた方が良い。なんといっても、ぬしは自ら望んでわしに切られたのだからな。」
ふすまを開けて蘆屋道満が入ってくる。そして。
「迫道上人・・・・・・。どうして、あなたが」
「晴明、おぬしに言いたいことがあったから、はるばるやってきたのよ。」
白い髭をなでながら、迫道上人は腰をおろした。
「つくづくおぬしも、修練が足らんのう。これだけの人に心配させてどうするのだ。皆、おぬしの為に力を尽くしてくれここに集まってくれたのだ。感謝せよ。」
迫道上人は、保憲を見て言う。
「保憲殿から聞いたのだが、晴明、おぬしはたったひとりでこの世を生きているのでない。必ず、誰かと関わりあいつつ生をまっとうしているのだ。例え孤独だと思うても、気づかぬ所でつねに誰かの世話になっているものだ。このことを、ゆめゆめ忘れるでない。」
「はい。」
「それから、道満殿はおぬしの為に多大なる尽力を尽くして下された。おぬしの為に悪人を断ち切り、しかもその穢れを自ら引き受けて下さるとな。このような善人を、おぬしは決して忘れてはならぬ。」
「はい・・・・・・。」
「それはいささか誉めすぎではないのか?わしは都からしばし離れる理由が欲しいだけよ。」
道満は苦笑している。
「そして頼忠殿は、おぬしが未熟であるがゆえ、命の危機にさらされた。そのほうの実力では、はじめからこの仕事は受ける資格など無かったのかも知れぬな。今後この度のような依頼があった時には、保憲殿など回りの者によく相談せねばならんぞ。」
「はい。重ね重ね、申しわけありませぬ・・・・・・。」
「俺が内密に済ませたいばかりに、他言せぬよう無理を言ったのだ。晴明殿には罪はない。」
頼忠は肩を落している晴明を庇うように言った。
迫道上人は、それをさえぎるかのごとく切り出す。
「晴明。そちは、先ほど道満殿が言ったとおり、自ら望んで切られただろう。そのような馬鹿なまねを何故したのだ?」
晴明は昨晩のことを思い出す。やがて両手で顔を覆うと細い指先の間から涙がこぼれ落ちた。
「申しわけありませぬ・・・・・・。私は、もう何もかも、どうにでもなれと思ってしまったのです。
妻が裏切りの計画を企てていることは、卜占(ぼくせん)にて気づいておりました。
しかし、私は待っていたのです。
もしかしたら、妻の気が変わるかもしれないと。晴れて夫婦となった頃のように、優しく愛しんでくれる妻に戻るのではないのかと・・・・・・。
打ち解けた話しのできる親しき友も持てず、親もいない私にとって、家庭とは、誰かに愛されたいという隠していた一番の望みの辿り着く最後の場所でした。
私はわずかにでもそこへ希望を残していたのです。
それが儚い夢であると気づいた時に、私は何もかもを投げ打って、この生きる上での苦痛からただ逃れたいと思いました。・・・・・・私は、おそらく父にさえ所詮は化生の者などと蔑まされても仕方のないくらいの、人として未熟な者なのかも知れませぬ・・・・・・。」
肩を震えさせて嗚咽している晴明の前で、保憲はそっと迫道上人と目を合わせる。
「これだけ反省しているのであればもう十分であろう。迫道上人、もうそれ以上晴明を追い詰められるな。」
保憲が優しく言った。道満が切り出す。
「晴明よ。ぬし自身までもが、どうも噂を信じておるようだが・・・・・・。「狐」とは、朝廷に従わない者という言い回しでもあるのだ。貴族達が身分の低い者どもを獣とか狐とか、言うていたのだな。
白狐というからにはな、たぶんぬしの母親は白拍子辺りであろうぞ。分かるか?美しき舞いを見せる者だ。自分の顔をつくづく見てみい。狐の髭など、どこにある?」
「そうか、どうりで・・・・・・晴明殿の腰の辺りを探ってみたが尻尾などないわけだ。」
頼忠が独り言のようにつぶやくと、保憲と道満が驚いたような顔で頼忠を同時に見つめた。
「頼忠殿、一体どのような技でもってこの晴明の・・・そのような所へ触れたのだ?」
「?」
「そもそも稀代にまさる陰陽師が、腕や肩など身体の外側ならともかく、狩衣(かりぎぬ)の内に至るところへ手を触れさせることなどなかなか無いことよ。」
「そもそも晴明はな、よほどのことでない限り人に気安く触れさせたりなどしない性分ぞ?この保憲、幼き頃よりつきおうているが、他の者にそのようなことをされるような隙を、晴明が見せたことなぞ一度たりとて無いわ。」
困った顔になる頼忠を、興味深そうに保憲は見やる。
「頼忠殿は、のん気そうに見えて、意外に大物かも知れぬの・・・・・・。」
「かもな。」
保憲と道満は目配せすると戸惑っている頼忠を横目に、苦笑した。
夜になった。道満、保憲、迫道上人が出払った後で、ひとり頼忠は晴明の傍らに残っている。
「晴明殿は、本当に命がけでこの俺を守ろうとしてくれたのだな。後で考えて見るとつくづくよく分かる。
改めて礼を言おうと思うてな。」
晴明は、布団の中で、半身を起こしただけの姿勢で頼忠に答えた。
「私は確かに、命と引き換えにしてもお守り致すことを約束いたしました。単にその約束を守ろうとしただけのこと。お礼など言われる程のことなど・・・・・少しもできておりませぬ。一時期は危機にさらしてしまいましたゆえ。」
「あれは俺がいけなかったのではないか。晴明殿が気にすることでない。」
頼忠は優しく否定する。
「俺は晴明殿に、教えられたような気がしておるのだ。約束事とは、決していいかげんにしてはならぬものだとな。」
晴明は、ふと刹姫と同化したときの、流れ込んできた感情の渦を思い出す。
「頼忠様。今までの頼忠様にとって、軽い気持ちで口にされた約束事が、相手にとっても同じくらいのものであれば良かったのでしょうが、実際にはそうはいかぬことが多いものです。ましてや、弱き立場である女子(おなご)などにとっては・・・・・・。どれほど相手にとっては重き意味を含んで聞こえたことでしょう。私が、はじめこの度の依頼をためらった理由が分かりましたか?」
頼忠は、頭をかいた。
「今ごろになって、悪かったのは刹姫でなくこの俺であることに気づいたのだ。俺は恥ずかしい。自分の安否ばかりを考えて。刹姫が、生前どのように悩み苦しんで、俺を憎まずにいられない程淋しき想いを抱いていたか少しも、気づいてやれなかったのだ・・・・・・。
このようなことが今後無きよう、肝に命じて誓う。」
晴明は目を閉じて頼忠の言葉を聞いている。
刹姫は自分を同じだと言った。愛しく想う相手には裏切られるであろう、と。
それでも待つつもりか?―いつまで?
無駄だと。いつまで待っても、人はおまえの元へやっては来ぬ。決して。何故なら。
ぬしはそもそも、わらわと同じく・・・・・・異界の者ではないか・・・・・・?
幼き頃より示した力のせいで、父親にも遠ざけられ。
そのような、呪われた力を持ち人の世に生まれ出たくせに。
異界の者なら、人の世にぬくもりなど求めても所詮は交われぬ・・・・・・。
頼忠は続けて言った。
「そして晴明殿も。本当は淋しいのだと気づいてしまった。俺の命の恩人であるから責任を感じる。どうしたものだろうかな。」
はっとして晴明は目を開けた。
「頼忠様。私は、そのようなことは・・・・・・」
「ないとは言わせんぞ。あのような、泣き顔を見せたのだからな?」
頼忠はにやりと、弱みを握ったとばかりの笑顔を見せた。
思い返すと、とたんに恥ずかしくなったのか晴明はいつになく顔を赤らめる。
「先ほどのことは・・・・・・忘れてもらいたく、思いまする。」
「忘れられるものか。何しろ俺は、晴明殿の弱みを握ってしまったのだからな?」
「・・・頼忠様は、私の弱みなど握ってどうなさるおつもりなのです。」
強く言い切られ、返す言葉ももはや見つからず。晴明はぽつりと悲しげにつぶやく。
「さあて。どうされたいのかな、晴明殿は?顔を上げて目を合わせ、言葉にしてみよ。望みどおりにしてやろう。」
頼忠がやや強引に晴明と目を合わすと、ひたすらに耐えている晴明の瞳に涙の後が痛々しく残っている。頼忠は慈しむように微笑んだ。
「このような言葉のやり取りは本当に慣れてないと見える。これ以上晴明殿を追い詰めると、また泣かれてしまいそうだ。やれやれ、手加減しなくてはな。
晴明殿は、本当に友がおらなんだな。今つくづくそう思うた。ではこうしよう。」
頼忠は晴明の手を取ると、いたづらを仕掛ける童子のような目になった。
「俺が友としては、はじめてということになろうぞ。どうやってお付き合いさせて頂こう。何しろ晴明殿はそういった面では全くもって慣れておらぬのでな、俺は嫌われないようにして色々と教えていかないといかん。楽しみだな。」
「私はそのような友などいりませぬ。」
晴明は小さな声で否定してみる。しかし頼忠に通じるはずもなく。
「ほう、何か聞こえたか?いや、空耳か。ではよろしく、晴明・・・・・・と、そう呼んでいいか?」
頼忠は呼び捨てにすると、笑いながら強引に握手をし、座敷を出て行く。
屋敷の庭先にはすでに濃紫に彩られた桔梗が風に揺れている。
頼忠は一条戻り橋のたもとで、辺りを照らす月の光に目を細めて見上げ、しばし佇んだ。
秋風がどこからともなく吹きぬけていく。
鈴虫の鳴き声が辺りに満ちていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
終
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