第2話

 


 


数日後藤原頼忠本人から声がかかり、晴明は藤原邸へ招き入れられることになった。

どこまでも続くかのような神殿造りの広く長い廊下を抜けると、眺めの良い中庭のある美しい別邸に通される。

「晴明殿、よくご足労頂いた。ささ、こちらへ」

頼忠は、先日の兼道の無礼を許して頂きたい。兼道は自分の相談ごとに熱心なあまりあのような横暴な態度をとったのだ、と丁寧に晴明に詫びた。

「俺はどうも義父に甘やかされてしまったらしい。世の政(まつりごと)には一向に関心が持てず、遊んでばかりな為か、人に迷惑ばかりかけている。何かしら失礼があるといけないので、晴明殿にははじめに謝っておこう。いろいろ俺の噂など聞いて不愉快に思われるやも知れぬが、この度の件引き受けて頂くからには、この頼忠、晴明殿になるべく心よく出仕してもらえるよう、全身全霊でもって気づかいするつもりだ」

ふたりの前には食べきれない程の立派な膳が用意された。


「食事でもしながらゆるりとお話ししようと思うてな、用意させてもらった。晴明殿は、何が好みかな。可能な限りふるまおうぞ」

「私は、特にございませぬ」

「奥ゆかしきことを申すのは、女子(おなご)だけで良い。いや、近頃の女子ときたら奥ゆかしいどころか、一度甘えさせればすぐつけあがって困る。ああ、そういえばこの前もな・・・・・・いや、このような話しは晴明殿はお嫌いかな」

かすかにまゆをひそめた晴明に向かい、あわてて頼忠は話題をそらそうと苦心している。

「それでは、酒を少々頂けますか」

急に晴明がそう告げたので、頼忠は目を見開いて一瞬だけ驚いたような顔になる。

「晴明殿は、酒がお好きか。そうか、そうか!俺もまあ強い方だ。よし、今すぐ持ってこさせようぞ」

やがて朱塗りの盃が運ばれてきた。

「唐の国からの美味い酒ぞ。晴明殿、さ、遠慮なく。俺がついでやろう」

頼忠がなみなみと注いだその杯を、晴明は両手を添えて口元へ運ぶ。

「では遠慮なく」そう言うと、一息に喉へ流し込んだ。

再び頼忠の目が驚いていたが、すぐに腹をかかえて笑い出す。

「見事な飲みっぷりだのう!兼道に脅かされた後ひとり身でここまで連れてこられて、内心怯えておるかと心配しておったが。晴明殿はなかなか肝のすわった、頼もしいお方じゃ。

しかも、よくよく眺めればなかなかの男前ではないか。回りの者にそう言われはせぬか?」

「頼忠様、私はそのような話しをする為ここまで来たのではありませぬ。この度の件、そろそろお話しして下さりませぬか」

だらしなく足をくずした頼忠の前で、晴明は身なりを崩すことなく尋ねた。


頼忠が話すには、2年前から枕もとに立つ刹姫の様子が、どうも最近変わってきているという。

以前は通っていた頃の面影があり、その為か恨み言を言われてもそれほど恐くは感じなかった。

しかし。最近になって刹姫の形相が、どうも別の恐ろしい顔に見えてきているという。

「それはいささか、まずいことになってきましたね」

「何が、どうまずいのだ」

「刹姫が以前とは別のものに変わりつつあるということです。今までは頼忠様の気の強さに勝てなかったものが何かしらの方法で、今までと違う強い瘴気を放ちはじめたのだとしたら」

「俺は、どうなるのだ」

晴明は、杯を見つめたままふと押し黙った。

「晴明殿?」

「頼忠様。再び同じ過ちを頼忠様が犯せば幾度となくこの度のようなことが起こるでしょう。これより、今後このようなこと無きよう、くれぐれも頼忠様ご自身、お気をつけ下さると前もって約束して下さいまするか」

「うむ。俺もこのような失態ばかりではさすがに回りの者に叱られることだし、反省しておる。約束しようぞ。」

晴明は俯いたまま、つぶやくように言った。

「刹姫様を来なくする方法はあります。ただし、かなり危険を伴うものであるということを、前もって覚えておいて下さりませ。」

そして晴明は打ち明けた。

「3日間の間、屋敷内のどこかお部屋を借りて全ての扉を封じます。中には頼忠様と私が入り、4日目の朝まで絶対に扉を開けてはなりませぬ。もしもこれを破れば、頼忠様をお守りすることはかなり難しくなるでしょう。それ以外に方法はございませぬ。頼忠様、耐えられますか」

頼忠は、力強くうなづいた。

「晴明殿の言う通りにしよう」

「では明後日に再びこちらへ参ります。それまでお休みなされませ。では」

晴明はほとんど食事に手をつけることなく、早々に屋敷を後にした。


 


ちょうど晴明が屋敷を空けていた頃。妻の梨花は、同じ屋敷内を徘徊していた蘆屋道満に声をかけていた。

「道満殿。先日の件で、もう少しご相談したいことがございまする。よろしいですかな」

先日、晴明がやはり不在の際、梨花に声をかけられてある相談ごとを持ちかけられていた道満だったのだ。

その相談とは―。

「梨花殿。あれからそちの考えはやはり変わらないのですかな」

「もう心を決めてございまする。」

梨花は奥の座敷の戸を閉ざすと、道満と向き合った。

「子供等への関心もあるように思えませぬし、このままではふたりの息子の将来にも陰りが差してしまうだけ。それに何より、晴明には私に対する気持ちが希薄であるように思えてなりませぬ。よそに女子でもあるのでしょう。私も、もはや晴明に対して何の希望など抱いておらんのです。」

「ほう。しかし晴明殿にもし、女子がおらなんだらいかが致す。考え直すおつもりは?」

「・・・・・・見た者がいるのです。」

梨花は切り札を出すかのように打ち明ける。

「・・・・・・ほう。して、それは誰であるのかな?」

道満は、じっと梨花の目を見つめた。


「摂津の国の吉房という、法師でござりまする。私は実は大人になるまで長いこと摂津にて奉公をしていたのですが、この吉房とは幼き頃より顔見知りでございました。3年ほど前から所用にて都に出向いていることを知り、里帰りの際に実家にて母ともてなし、いろいろ思い出話しなど致しましたところ、夜半に晴明がとある屋敷へ頻繁に出入りしているのを幾度も見たと」

「それは、どちらのお屋敷かお聞きされたか」

「はい。・・・・・・しかし、道満殿にはさすがに言えませぬ。私、もう口惜しゅうてなりませぬゆえ、その相手の名など、今すぐにでも忘れたいくらいでございますので」

梨花は一気にそこまで話すと、大きなため息をついた。

「女子に生まれるとは、ほんに悲しきことでございまするなあ。どこまでも弱い立場であるがゆえ、殿方に振り回されてばかり。」

道満は苦笑する。

「梨花殿よりももっと、悩めるか弱き女子(おなご)はたくさんおりますよ。いや、殿方の中にも、いるかなあ?」

「道満殿、ご冗談はよして下され。」

梨花はむくれて言った。


「事情はよく分り申した。道満、この度の件お引き受けしたく思う。」

梨花は、道満の返事を聞いて思わず微笑んだ。

「それは真か、道満殿?」

「この道満、嘘は言わぬ。」

「では、先日お話し致した通り、近いうちに晴明を・・・・・・。」

「ああ。」

道満は腕を組んで梨花の目から視線をそらさずに言う。

「晴明殿の、お命を頂戴しようぞ。」


梨花は嬉々として道満の言葉に耳を傾けている。

「だが、単に打つといっても、今回ばかりは難しい。梨花殿にはそれなりの報酬も用意して頂きたい。

何しろわしよりも術力では勝っているのだからな、あれは。したがって直にやりあうのでなく、策略にはめることにしよう。」

「その策略とは、いかがなるものですかな」

「梨花殿は、晴明殿から陰陽道秘伝の奥義書―金烏玉兎集―を預かって、どこかにしまい込んでいるとな。あの書物は、本来唐の国にて相伝した者でないと、手にすることは出来ん。

それをわしはぜひとも手にいれたい。

わしがもし、金烏玉兎集の中にある秘伝を習得したと言うたら、晴明はきっと否定するであろう。

そこで賭けにでる。むろん、命をかけるのだ。

わしが書の内容をすらすらと言えたならば、こちらの勝ちということになって、晴明の命は・・・・・・それまでだ」

奥座敷の向こうで、梨花の笑い声がかすかに響いた。

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