陰陽師

燈台森広告舎

第1話

 


月が鬱蒼としている竹林を照らし出していた。

夜露に濡れた夏草を踏みしだいていく、その疲れたような足取りのもとで、白い狩衣の裾が濡れ夜道に光る筋がついている。

一条戻り橋のたもとまで来ると、彼はひっそりと静まりかえる橋のたもとで月を見上げた。


彼の名は、安倍晴明。京の都にて陰陽寮に属す、朝廷直属の陰陽師である。

朝廷ではつねに帝その他貴族の命に従い、必要であれば彼等の呪詛を解く。

この頃はまだ陰陽師そのものの地位も低く、彼は年若くして陰陽寮内ではその稀有な実力を認められつつあったものの、所詮は白狐の化身だの化生の者、などと言われる次第であった。

母は白狐だったという。父はそれ以外何も教えてはくれず、自分を陰陽寮へ預けた後いつしか消息を絶ってしまった。

(父は自分が邪魔者だと感じたのだ。)

幼くして鬼の姿が見えたことで賀茂忠行(かものただゆき)の弟子入りをし、実力を身につけてようやく結婚し所帯も持てた。

しかし今だ仲の良い友もひとりとして無く、そのせいか妻との折り合いもうまくいかなかった。

(今の仕事だけが自分の生活を支える全てなのだ。この自分に人が求めるものとは、きっと仕事の依頼のみなのだ。自分には頼れる者無く、親さえもいない。朝廷には、背を向けるつもりは無い。しかし・・・・・・。)


先日。晴明にとってはどうも気の進まない内容の依頼があった。

その話しを持ちかけられたのは、晴明がちょうど夕刻頃所用をすませて寮に戻る途中のことである。清涼殿の回廊の向こう側から声をかけてくる者がいた。

「これは晴明殿。ちょうど良いところで見合わせた。」

眼光鋭く、じろりと晴明を見下ろすこの漢(おとこ)は、藤原兼道である。

「兼道殿でございまするか。お久しゅうございまする。」

晴明は頭を下げた。噂によれば兼道という人物は、気性が荒く、敵にまわした者を徹底して排除するような冷酷な面があった。

「実はの、ぜひとも晴明殿にお頼みしたいことがあるのじゃ。聞けばここのところ晴明殿の良き噂ばかり。陰陽道を極めて以来、いまや陰陽師の筆頭に立ってもおかしくはない程頼もしくなられた。・・・・・・見た目は、あいかわらず脆弱じゃがの」

声を低めて話し始めると、兼道はのどを鳴らして最後に不気味な笑い声を出した。


兼道の依頼とは、親戚の藤原頼忠(よりただ)のことである。

兼道は頼忠とは交流の深い間柄であったようなので個人的な相談事などもよく受けていたようである。

この頼忠、以前までとある小路に住まう姫君に通われていたという。

一時期は兼道もあきれるほどの熱の入れようだったが、近年はすっかり他の姫に心変わりしてしまったらしい。

「ところがじゃ」兼道はふたたび声を低め、晴明にだけ聞こえるように話した。

「以前通っていたところの姫君、ちなみに名を刹(せつ)姫と言うそうだったが、この姫が頼忠の名を、呪いをこめてつぶやきながら呪詛しておったのを、見た者がいると聞いたのでな」

兼道は貴船の坊主に会って確認したのだと言った。

聞けば、その後刹姫はまもなく失意のまま自ら命を絶ったという。


「そこで晴明殿に解除(げじょ)をお頼み申したいのじゃ。むろん、身内のこと。くれぐれも内密に処して頂きたいのでそれなりの礼も致す。いかがかな。」

持ちかけておきながら断れないような威圧的な視線で、兼道は晴明を見た。

「刹姫がお亡くなりになったのはいつ頃ですか」

「実はもう二年近く前じゃ。亡くなられてからすぐ、頼忠の枕もとに立つようになって、毎晩・・・・・・」

「二年前?」晴明は思わず聞き返す。

「もう二年前になるのだ。それから毎晩、かかさず頼忠の元に来る」

「恐ろしくは思われなかったのですか。何故もっと早くに私の元へ来られなかったのです」

「何分頼忠のことじゃ。のん気な性分なのはそちも噂には聞いているであろう?

たぶん、命に関わるようなものではないと気楽に構えておったのだ。相手は怨霊でもたかだか女子(おなご)じゃろうと、はじめは笑っておった。」

この、弱き立場の者を見下すような言い回しに晴明は思わず意地悪く言い返してしまう。


「手遅れになるやもしれませぬな」

「・・・何じゃと?」

兼道は晴明のやや冷たい言い回しに、鋭敏に反応する。

「自分には、救える手立てが無いわけではないのです。ただ、時期が二年も立っていて、毎晩頼忠様の元へ来られるということは、二年の間に、確実に怨霊の霊気が強められていることになりまする。せめていま少しご相談の時期が早ければ・・・・・・。っ!」

晴明がそこまで言いかけたときに、兼道は扇の先で俯き加減の晴明の顎(あご)を、ぐいと強引に引き上げた。

間近に見る兼道の形相は、鬼も逃げ出さんばかりである。

ぎらりと視線を投げつけ、晴明の身体を拘束するように乱暴に手首を掴みあげると兼道は回廊の壁際へ晴明を押しやった。

「没落貴族の分際で、たいそうな口を持っておるのじゃな?藤原家直々の頼み、全力でもって対処するのが普通ではないか?・・・・・・晴明殿は、こんなに細い身体でこの兼道を敵に回そうと思われるのかな。この手首なんぞ、今すぐへし折ってしまえそうではないか?

頼忠は、そちのことが意外にも気に入っておる。この度の件、ぜひとも晴明殿にお任せしたいとしきりに言っておった。光栄きまわりないとは思わぬか?

・・・・・・まあ、返事は今しばらく待とう。よくよく考えるがよい。」

兼道は言いたいだけ言い尽くすと、晴明を突き放すようにし、立ち去っていく。

しびれていた手首をおさえて、晴明は夕闇の中をしばしその場に立ち尽くしていたが、狩衣の乱れを直すと再び俯いて寮まで戻っていった。


 


晴明が一条戻り橋からほど近い屋敷に戻ると、めずらしく妻の梨花が戻っていた。

しばらく里帰りしていたのだが、子供等が少し手がかからなくなってきたと見え、身の回りが片付けられている。

「お帰りなさいませ。久方ぶりでございまするな」梨花は相変わらずどこかよそよそしい口調であった。

「子供等は」「吉昌は乳母に預けております。吉平は奥で眠っておりますので、どうぞ起こさぬようお願い申し上げまする。」

梨花は、陰陽道の継承者としての子供等の養育には夢中だが、晴明と子供等が親密になるのを嫌がるようなふしがある。継承者でありながら子供の名に晴明の字をひとつもつけなかったのも梨花の指図からだ。まるで子供を奪われるとでも思っているようだった。その度に晴明は、子供等に対し無関心を装うふりをしていたが、そうすると今度は晴明に、子供等への養育に対する熱意がないなどと勝手なことを言い出すしまつであった。


「相変わらず夜ふけにお戻りになられるのですね。どこか寄られる所でも、あるのでございまするか」

どこぞの女のもとに通っているのかと、嫌疑の目を向けているのである。

「仕事の方で、こみいった話しがあり遅くなったのだ。」

「そうでございますか。して夕食はいかがいたしますか」

「後で良い。・・・・・・疲れた」

ろくに妻の顔も見ず、座敷に引きあげようとする晴明を梨花は追ってくる。

「お顔の色がすぐれませぬな。どこか具合でも悪いのでは?」

ふと晴明はどこか腑に落ちない調子で、妻の声に振り向いた。

「そなたの方こそ、何かあったのか?」

逆に問われて梨花は顔を一瞬こわばらせた。

「主人の身を心配するのが、そんなにおかしいことですか。もう二度と言いませぬぞ」

そうじゃない、と言いかけて晴明は口をつぐんだ。

梨花はぷいといってしまう。

そうじゃない。梨花の身体から、全く知らない他人の気を感じたのだ。

この時感じた晴明の予感は、後になって思いもよらぬ結末を導くこととなった。


晴明の住む屋敷は、奥行きがある広々としたつくりである。

その昔屋敷内を他人と共に住むことも決してめずらしくなく、ここでも師弟と同じ屋敷を所有している。

その師弟で、蘆屋道満(あしやどうまん)という民間に属した陰陽師がいた。

この漢、どこからともなくやって来て、突如晴明と術くらべなどということを申し入れたあげく、まんまと負けおおせた。そして弟子入りを希んでやって来たのである。年は50歳半ばくらいであろうか。

いつまでもいるとは思えず、ほとぼりがすむまで住まわせるつもりでいたのだが、意外にも年若い晴明に興味があるらしい。この夜も、ぼんやりと晴明が屋敷の廊下で庭を眺めていると話しかけてきた。


「良い月夜でございまするな。」

「道満殿。こんな夜更けに、まだ起きてられたのですか」

道満はにんまりとした笑みを浮かべ、晴明の脇にあぐらをかいて座り込んだ。

「何、そちと違うてわしは退屈だからの。内裏からお呼びがかかることも、おぬしとのあの件いらいめっきり減ってしまったわ。ぬしは仕事が増えて何よりだろうが」

この漢、一応晴明に弟子入りしているにも関わらず、どこか不遜で態度が大きい。

「都は、窮屈であろう。わしがおった播磨などは、ゆるりとしておったのでやかましいことなど言われたことがないわ」

道満はそう言って豪快に笑うと、ぶしつけと思われるほどじろじろと晴明を見る。

「ふむ。晴明殿には、今のところ女子(おなご)はおらんな?」

急に先ほどの梨花と同じ質問を投げかけられて、晴明は内心驚いた。

「道満殿」

「うむ。わしの感が外れることはまずないが、相手が晴明殿なので一応確かめておこう。

通う先などないな?そうであろう?」

「何故そのような、根も歯もない噂じみたことを聞かれるのです。まさか真にそのような噂でもあるのですか」

俯き加減に、晴明は尋ねた。烏帽子からこぼれた前髪が夜風になびいてかすかに揺れている。

透き通るような青白い姿態からは、女の匂いなどはせず、ただ風にのって庭先から咲きこぼれている女郎花(おみなえし)の香りが流れてきているだけであった。

「いや。ただ、ちと気になることがあってな。・・・・・・何しろわしも仕事がないとひまでしょうがなくてのう。

何、いないならけっこう。ひとつ謎が解けたわ」

道満は意味ありげに、にやりと笑みを浮かべている。

「今宵の月は青くて、うっすらと影ができておる。今にも雲の中に消えてしまいそうだ。まるで、おぬしのようだのう。」


 

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