「泡沫楼での一件の『詫び』に来た」

「おい」


 翌日──。


 宿・ユグドラの苗木で待ち伏せされた。


 昨日の男だ。


 仲間を連れていた。


 報復のお礼参りを警戒したラグナがグランドールを抜こうとしていた。ラフィーリアは冷静なまま見守る。


 俺はラフィーリアと似た考えかもだな。


 男の目は、激しく煮立っているものではなく、より穏やかであり、少なくとも、表面より下に感情を上手く折り畳んでいる。


 何にせよ男は冷静というわけだ。


 激情に任せて来たわけではない。


 だからこそ『危ない男』なんだが……。


「泡沫楼での一件の『詫び』に来た」


 と、男は静かに重く言った。


 男は胸にタバコを差している。


 お前ならわかるだろと言わんばかりだ。


 きざなワンポイントなことだ。


 と言うことはお呼ばれは俺だ。


「ラグナとラフィーリアは仕事を頼む」


「リドリー、一人でいいのか?」


 と、ラグナは顎で差した。


 男は、一人ではない。


 お仲間が五人はいる。


 ギルヴァンの主人公やボスならともかく、モブがタイマンしたら負けそうなの相手に連戦なんて無謀だ。


 ラグナかラフィーリアがいたほうがいい。


 算数だ。


 ラグナとラフィーリアが三人分の働きはするだろう。なんだかんだで強い連中だしな。


 だが俺が一人で行くしかないだろ。


 男はそれこそがお望みだろうしな。


「ラフィーリア、おとなしくててくれよ」


 と、俺がお願いすると、ラフィーリアは小さく高速で返事してきた。側で聞いていたラグナが耳に手を当てていたが聞きとれてはいない。


 ラグナはいつもの仕事に出た。


 ラフィーリアは怒った背中でズシズシと足音を立てながら、働き先である男と女の境亭への道を行く。



 準備中と札が下がる娼館に入る。


 跳ね兎の館、ね。有名な店だ。


 たしか……マルメリガンだとかのギャング集団の拠点のはずだ。ノルダリンナの町ではそれなりに名前を通しているが、ガチもんなノウス派や武装修道女みたいな集団じゃあない。


 市街戦は無しの構成員の若い犯罪組織だ。


 で、ギャングのボスが目の前にすわった。


 隻眼いかつい女頭領。


 ヒルドルメイヤーだ。


「マルメリガンの頭。ヒルドルメイヤーだ」


 ハスキーな低音の女性の声だ。


 大男のようなひげもじゃ筋骨隆々の力の筋肉こそ無いが、鉄細工のごとく編まれた筋繊維の肉体は柔らかさと鋼鉄さを両立していた。


 ミニ巨人なスカーレットほどではない。


 あの赤毛の小さな巨人は戦斧で人体を軽々と、それこそ数人は纏めて両断できり腕力があるだろう。


 だが、ヒルドルメイヤーは違う。


 針の一本で脳みそを引きずりだすような、精密機械的な恐ろしさを放っている。


 それが、微笑みながら歓迎した。


 普通に恐怖なんだが?


「ただのリドリー・バルカです。有名なヒルドルメイヤーさんに会えるとは考えていませんでした」


「私も会う気はなかった。つまりこれは予定外の出会いというわけさ、リドリー・バルカくん」


 怖いんだが?


 ヒルドルメイヤーの背後には、いかにも肉盾という護衛が二人立っているのが見える。裏にはさらにいるのだろう。


 俺は護衛の一人も相手にはできないな。


 護衛は片腕が異様な。


 片腕が長く、片腕の肉が盛っている。


 弓を扱うとか船を引いているのかも。


「長話はしない。そう緊張するな」


 と、ヒルドルメイヤーは温和な顔だ。


 油断してナメてかかると酷い目だな。


 腰のレイピアは没収されてはいない。


 そしてヒルドルメイヤーの腰にはグラディウスが帯剣されている。


 お互い腰に剣があるままだ。


「まずはうちのもんに恵みを与えた感謝だ」


 店の奥から女性があらわれる。


 女体としてふくよかで、胸も尻も大きく、肌は美しく、所作はまるで貴族のようであり、黄金色の瞳には深い知性が宿っていることは一目でわかった。彼女は肌が透けるほど薄い生地の服を纏っている。


 彼女のその手には贈り物とやらはない。


「うちで仕込んでいた高級娼婦。水揚げ前のだ。これを贈り物としてリドリー・バルカくんに贈る」


 贈り物は彼女自身か!


 最近は妙に女と縁だ。


 いらないと突っぱねることはできない。『譲ったもの』を突き返すというのは、あまりにも礼儀に欠けている。


「……」


「美しさに見惚れたか?」


 と、ヒルドルメイヤーはくすくす笑う。


「いえ、申しわけありません、まさしくその通りで、あまりにも理知的すぎて圧倒されていました。超帝国時代の作法には詳しくなくて、言葉を失うほどの美しさです」


「……では……問題ないな。テレサ」


「はい。ヒルドルメイヤーさま」


 テレサ。


 そう呼ばれた少女が、俺の背後に立つ。


 精霊のように衣服を風に揺らしながら。


 あまりに優雅で、美しく──恐怖した。


「リドリーさま?」とテレサは甘く言った。


「……今夜からでも抱きたいね」


「まあ!」と、テレサは頰を赤く染めた。


 俺はテレサの手を優しく引いてキスした。


 強くなんてできない。


 もし、少しでも乱暴にテレサを扱えば、ボルトを掛けたクロスボウの引き鉄の仕掛けを引くようなものな気がした。


 テレサの手を握ったとき、彼女の指は微かに固いのを感じた。剣の心得があるのかもだ。


 スパイを兼ねたアサシンか。


 俺はマルメリガンの注意を惹いたらしい。


 どれだ?


 ダンピールのラフィーリアか。


 武装修道女かノウス派か。


 あるいは旧市街での一件。


 ノルダリンナの町では思い当たるものが、ちょっとばかし多いじゃあないのよ。


「あぁ、それとちょっとしたお誘いだ」


 と、ヒルドルメイヤーが「ちょっと来い」と手招きする。


 俺の耳を噛みちぎるのか?


 隠してたハンマーで殴られるかも。


 俺は緊張したがヒルドルメイヤーに近づく。もっと、もっと、と、ヒルドルメイヤーは俺が一歩進むごとにさらに進ませた。


 ヒルドルメイヤーとの距離は半歩だ。


 親しい友人だってこんなに近寄らない。


「ちょいと面倒でね。殺人鬼ブッチャーは知ってるね?」と、ヒルドルメイヤーが口にした名前に俺は眉をしかめた。


「旧市街での一件は知ってる。あのクソ野郎の顔が初めて引っぺがせた。皮を変える前に仕留める慈善事業に参加しないか?」


 俺の肩に、ヒルドルメイヤーのゴツゴツとした、しかし、女の子のような柔らかな両手が載せられた。


 断れるわけないだろ。



「ギャングに教会に異端者」


 オールスターかよ。


 泡沫楼には見知った顔が並んでいた。


 ヒルドルメイヤーらのギャング集団。


 武装修道女を派遣するドラリム教会。


 ドラコとオフィーリアのノウス派だ。


 武装修道女には知らない代表がいた。顔なんてベールでわからないのだが、ぴっちり下着と呪術防護の塊である前掛けから見る体型から、会ったことのない修道女だ。


「修道女エフィーリアだ」


 と、ヒルドルメイヤーが教えてくれた。


「珍しい女が来てるじゃないか。本気だな」


 エフィーリア。


 オフィーリアだラフィーリアだ、ややこしい名前ばっかりだな流行りなのか。ギルヴァンではそんなにいなかったぞ。


 うちにいるのがラフィーリア。


 ノウス派が最強オフィーリア。


 武装修道女のがエフィーリア。


 頭がパンクしそうだな。


 雰囲気そっくりだしな。


 ノルダリンナの血族か?


「さて、ブッチャーを誘いだす手筈が揃った」


 と、ヒルドルメイヤーが言う。


 ラフィーリアの親戚みたいな美少女らや、おまけにドラコまでが俺を見て、うなずいた。


 なんでだ?

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