「──事件の犯人なら捕まえてやる!」

「……犯人かも」


 と、ラグナの呟きは喧騒の中でも聞き逃さない。ラグナな腰の偽聖剣グランドールに気が急いでいるのか手を添えていた。


「追うな。人相は割れた。事前に──」


「──事件の犯人なら捕まえてやる!」


 と、ラグナは走りだした。


 ラグナは人垣を突き飛ばして追う。


 ラグナは場を乱して悪目立ちだ!


「すみませんね!」


 俺も、追わないわけにはいかない。


 殺人鬼ブッチャが魔人化するのは王都での悪魔召喚のイベント以後だ。大事変なのだから既に起きたイベントという可能性は低い。


 ブッチャはまだただの人間だ。


 人間ではあるが、ほぼ人外だ。


 ラグナ・ゴジソンだけじゃ荷が重い。


「待てー!」


 俺はラグナを追いかけた。


 町を駆けまわり新市街でも崩落した崩壊区画と呼ばれる場所まで立ち入る。


 崩壊区画にまともな建物は無い。


 新市街下の旧市街と混じる区画。


 瓦礫の山とそれを縫うようにアバラ屋だ。


 貧相な背格好の人間がぎらつきながら生き延びている。やばい治安の場所てわけだ。


 解体屋が四肢のある動物を包丁で叩く。


 まずいな。


 新市街なのか旧市街なのか。


 俺には全然区別がつかない。


「あれ!? あいつ、どこに行った!」


 と、ラグナはキョロキョロと見渡す。


 地図なんて存在しない迷宮な崩壊区画のどこかにブッチャは逃げこんだ。まともに追いかけて捕まえられるものではない。


 期待するほうが無茶だ。


 新市街なら、ラグナを好きに走らせる。


 だが旧市街に入ってしまったなら別だ。


 ブッチャめ、俺たちを殺させる気だな。


「ラグナ」


 と、俺はラグナの肩を引きながら言う。


「引き上げよう。旧市街だ」


「それが?」


 ラグナは旧市街がわかっていない。


 旧市街の危険性もだ。


 シティウォッチは仕事をしているのだ。


 だからこそ新市街の治安はとても良い。


 旧市街はノルダリンナではあるが、犯罪者とか役人とかいう区別のない、生死が剥きだしになっている場所だぞ。


──カタンッ。


 ど派手に旧市街を駆け抜けた。


 とっくに俺たちは知られているだろう。


 外の世界からやってきた獲物としてだ。


 旧市街外の人間は肉付きが良いもんだ。


「ラグナ。腰のグランドールを抜け」


 俺はレイピアを抜いた。


 金属リングの鞘を鋼の刀身が滑る。


 剣先が風を切りまっすぐに揃える。


 俺の背中にラグナの背中が当たる感触だ。


「後ろにも」と、鞘から剣を抜く音を聞く。


「背が小さい奴らはなんとかなる」


「みんな同じくらいだが──」


 と、ラグナが言っていたそばから大男が出てきた。3mはある巨人だが、巨人ではなく普通の人間だ。ギルヴァンは“そういう”ゲームだ。


「──いや、デカいのも来た」


 どうする?


 無法者の群れだ。


 錆びたどこぞの剣やら鉈やら。


 鎧を似ているのもいるな。


 弓矢は見える範囲に無い。


 大した装備ではないが命を奪うには充分。


 とはいえ問答無用では寂しい話しあいだ。


「不躾に縄張りを荒らしたこと深く謝罪する。ここは穏便に話しあいといきたいがどうだ、旧市街の民たち!」


 返答はあった。


 大ウケだった。


「クソの詰まったハラワタを食いてェ!」


 と、黄ばんだ歯が半分は無いような男が、唾を飛ばしながら大口で叫びつつ振りあげた。


 刃こぼれあり、折れたロングソードだ。


「リドリー、どう切り抜ける!?」


「囲まれてるな。ラグナ、グランドールで五〇人くらい薙ぎ倒す必殺技とかないのか。魔法でもいいぞ」


「偽聖剣だぞ! 魔法……魔法は一つ使える! 新しく覚えたのが一つある!」


「マジかよ」


 正直、驚きだぜ。


 ラグナの魔法は見たことがない。


 きっと凄い必殺技だぞ。


 ラグナ・バジソンの初めての魔法だ。


 ラグナなら必殺技にこだわるはずだ。


「……霊灰どもよ!」


 と、ラグナは何か投げた。


 灰色の砂らしきものが飛び散る。


 それだけだった。


「ラグナ、目眩しになってないぞ」


「魔法に失敗したんだよ馬鹿野郎!」


 悪漢どもがさらに近づいてくる。


 もう、ほとんど、水平に寝かしているレイピアの剣先から半歩も離れていない。


 俺は数に圧倒されて……踏み込めなかった。


 悪漢の壁がじわじわと近づくのを見続けた。


 その時である。


 乾いた風切り。


 悪漢はその不思議な音に気づいていないのか、レイピアの間合いの内側へと、雑に踏みこんできた。


「ごひゅッ!」


 だが男はそれ以上進めなかった。


 男の胸を槍が貫き縫いつけていた。


 槍は斜めに、上から、降っていた。


 逆算してその先を追えば、崩壊した教会。


 教会の鐘楼、落ちた鐘の隣に人影がある。


 槍は、槍ではなかった、巨大すぎり矢だ。


「こいつ……まさか巨人の矢なのか」


 俺は巨大すぎる矢に見覚えがあった。


 教会の装飾を確認する。


「ドラリル教会だ」


 崩壊区画の、旧市街の民どもは、犬のように歯を剥きだしに威嚇しながら、しかし、離れていった。彼らの姿が消えても機会をうかがっているのか、連中の息遣いがかすかに聞こえる。


「教会には、二度も助けられたな」


 ドラコのとき、そして今回の旧市街だ。


 礼を言いに行かなければ仁義が云々か。


 俺はレイピアを鞘に通した。


 俺は教会の鐘楼に手を振る。


 矢だか槍は飛んではこない。


 俺たちは敵対していないわけだ。


「ラグナ、お礼を言いにいこう!」



 ラグナはすっかりと落ちこんでいる。


 まあ、そういう日だってあるさ!!


 廃教会の瓦礫に腰をおろしての一席だ。


 ドラリル教の、廃教会の鐘楼から狙撃して助けてくれたのは武装修道女の一人だった。相変わらずぴっちりとタイトなタイツで首から下覆っていて、長方形の貫頭衣を被っていた。お馴染みのベールで顔を隠してもいる。


 ただ……。


 武装修道女だが新市街の人らと装備が違う。


 基本的には同じなのだが薄い鎧を着ていた。


 正面はより頑丈に。


 ただ重量の問題なのか背中は無防備だ。


 正面は重厚なのだが尻が丸見え同然だ。


 その……視線には困る。


「ありがとう、命の恩人だ」


 と、俺から感謝しているのだが、逆に、武装修道女から茶を貰ってしまった。風味が少し、カビの臭いのする茶だった。


 ちゃんとラグナも感謝していたぞ。


 感謝するというのは良い文化だな。


「旧市街に教会があるとは知りませんでした」


 と、俺は言いながら茶を飲み干した。


 ラグナはカビが浮いてないか確認している。


 武装修道女らは寡黙に沈黙していた。


 廃教会の石材と同じように、静かだ。


 ドラリル武装修道女はそういうものだ。


 少なくとも毒を盛られていない。


 茶を出してくれたのはもてなし。


 武装修道女側には好意的とは言わずとも、悪漢に対してのような、問答無用の略式処刑が行使されていないのだから、問題は微塵もない。


 腹から下がむずむずして落ち着かないがな。


「ん?」


 武装修道女と──目があう。


 なーんか、すごい熱っぽい。


 彼女だけでなく他の武装修道女もだ。


「地上からの恵みだね」


 と、歳を召した貫禄の声が言う。


 武装修道女の隠された顔のなかでもわかる白を蓄えた髪のお婆さんだ。


 いや!


 お婆さんなどと失敬を極めるか。


 沈黙の武装修道女が言葉をきく。


 ギルヴァンでは特別な役職だ。


 武装修道女の声を代表する者、武装修道女を体現して、武装修道女の教えの化身たらんと至ったものだけが許される口だ。


「新市街から追放されかような地に押しやられてなお、我らの聖務に報いがある。これを祝福と言わずしてなんといおうか」


「祝福だって?」


 と、ラグナは空気を読まずに訊く。


「……少しこの者と話をさせてもらおう」


 と、武装修道女の口が言う。


 いつのまにか俺の両脇には武装修道女が立っていた。俺は二人の武装修道女に軽々と持ち上げられる。


「なんのつもりだお前ら!」


 と、ラグナが叫ぶ!


「ラグナ! そこで待っててくれ。秘密の話があるらしい。ちょっと話してくるだけだ」


「……ラフィーリアと二人きりは嫌だぞ」


「ラフィーリアに優しくしてやってくれ」


 俺は武装修道女らに連れていかれる。


 巨大な石像と、破壊されつくした教会の広間だ。屋根は無く、吹き抜けだが、元からではなかったはずだ。


「ドラリル教も古くからある。旧市街が封ぜられ、新市街が覆い隠す前から存在する」


 と、武装修道女の口が言う。


 蝋燭が灯されていた。


 蝋は熱で溶かされ崩れつつある。


 武装修道女の一人が防具を脱ぐ。


 一糸纏わぬ姿は、病に犯されたように非力なほど細かった。美しくも、あまりにもはかないほど弱々しい。


「血を入れねば継ぐことはできん。お主の血を貰いうけることで感謝とせよ。頼む」


「お前らは……どうしてこんなことを?」


「旧市街に落とされてより我々の側には悪しき血しかなかった。新しい子もなくおいさらばえ滅びゆく道。決して許されぬ道ではあるが、これもノルダリンナ公からの呪いなのだ」


 どういう意味だ?


 新市街にも武装修道女はいる。


 俺たちの命を助けてくれたぞ。


「ちょっ……」


 裸の武装修道女の人差し指に口を塞がれた。


 裸の武装修道女が俺を押し倒し、蜘蛛のように四肢を伸ばしてかぶさる。


「貴公は子種を注げば良い」


「その前に! なぜ呪われ……」


 武装修道女にキスされた。


「我らの犯した大罪ゆえだ。ノルダリンナ公を裏切り、嘘を吐いた。それゆえに元凶である、悪鬼であるブッチャーなる人に劣るものを仕留めねば我らの呪いは解けん」


「口さま」


 と、武装修道女がささやくのを耳にした。


「あれは女だ。こちらしか使えん」


 と、武装修道女の口もささやくように応える。そよかぜに隠せる小さな声だ。


……ラグナ・ゴジソンか!


 女?


 そんなはずがない。


 ギルヴァンでは男だ。


 ということは、俺とラグナ以外の、他にも誰かがいるわけだ。やってることは、ちょっと人さらいみたいだな、教会の武装修道女。


「種は多く蒔けばそれだけ多く実る」

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