「……こ……ん、どは、ミスら……ねェ!」

 なんでも答えてもらえると思うなよ!


 俺は逃げた、全力で走り、全力で逃げた。


 俺の脱兎にドラコも呆気にとられたろう。


 やりあって叶う相手じゃあない。


 ましてやなんで斬られかけた!?


 抗議するなんて民主的解決は論外。


 ただ全力で逃げるのみだ。


「速いな」


 と、背後で生暖かい嫌な気!


 俺は前転で飛びこんだ。


 俺の頭の上を轟音が風切りした。


 背中のラフィーリアを石畳に落とせるか!


 俺は顔面から石畳に削がれる。


 くそッ、ヌルついて気持ち悪ィ。


 とにかく足を踏みだして走った。


 マリアナ姫……いる?


 鉄格子の窓が続く、人のいない港町を俺は駆け抜けた。宿に逃げこむのは失敗した。次の場所は事前に調べてある。教会だ。


「ラフィーリアさん、教会に行きます」


「リドリー! 顔がッ!」


「今はどうでもいいです。手当ては後ほど。ドラコも宗教施設でファイヤソードを振り回さない……と、思います。色々面倒でしょうが頼みます」


 ラフィーリアが聞けないことを言う。


 ラフィーリアの声は少し大きかった。


 さて、ドラコだ。


 ドラコは本気じゃないな。


 でなきゃ俺の体は両断だ。


「リドリーくん」


 心にマリアナ姫の声を聞き冷静さを保つ。


 石畳にすりおろされた傷が少しやわらぐ。


「さっきドラコが亜種と言っていた」


「あぁ、ラフィーリアさんのことでしょう。ダンピールですから。ヴァンパイアとの混血です」


「ドラコの狙いはラフィーリア?」


「いえ。なぜ亜種がいる?と不思議がっていたのは最初から知っていたわけではないからかもしれません。ラフィーリアは偶然。ドラコは他の理由で接触してきた」


「炎剣ファイヤソードに到達者ドラコ。勝ち目はない。逃げるのが最有力。なぜもどうしてもいらない。とにかく助かること!」


 と心のマリアナ姫は人差し指を立てる。


 たしかにマリアナ姫の言うとおりだな。


 問題はやりすごせるか……。


 風切り──頭上!


 俺は足で突っ張り跳ぶ。


 がむしゃら、鉄格子の窓に!


「があァッ!?」


 鉄の棒が繋がれた窓にまともに自分からぶつかり、打撃された。間抜けだ。本物の戦い方は目の前にあるのに、美しくて、強くあるのに!


 転けて自分を傷つけて。


 今は鉄格子に事故り傷。


 なさけねェ……。


 空からドラコが降った。


 月光を背景に人間とは思えない軽業で、炎剣槍のように突きだし真っ逆さまに、重力加速での突撃が石畳を衝撃してひっくり返す。


「ラフィーリア、無事か!?」


 と、俺は鼻血が固まったゼリー状の血の塊を吐き捨てながら訊く。


「大丈夫。でも、リドリーの足が!」


「折れてない。平気。それよりラフィーリア、教会まで走れるか。俺は、足をやった」


 俺は片足で立てられず尻餅をつく。


 膝からまともに壁に当たったんだ。


 足の骨が折れて飛び出していた。


「ラフィーリア。ドラコが近づいてきたら俺はもう一度、あいつに組みついて時間を稼ぐ。そしたらお前は全力で教会を目指せ」


 と俺はラフィーリアにこっそり言う。


 教会は、すでに、見える距離だった。


 ドラコは無造作に間合いを潰す。


 ワープでもしてるみてぇに!!


「おぉぉぉッ!!」


 俺がドラコの服にしがみつき叫ぶ。


「行けー!! ラフィーリア!!!」


 ラフィーリアが走る。


 小さな背中が見えた。


 ラフィーリアの石畳を打つ足音が遠のく。


「ふっ……」


 ドラコが鼻で笑った。


 不思議と不快はない。


 ドラコは炎剣を背中にしまいながら近づく。


「さあ……どうするかね」


「足止めされてくんね?」


 と、俺はお願いした。


 ドラコはラフィーリアを追う気はないようだ。


 ドラコの視線は教会にかけこむラフィーリアではない。ドラコの金色の瞳には俺が写っていた。


 勘弁してくれよ。


「ッ」


 開放骨折した足が痛む。


 あまりにも痛すぎる!!


 だが、痛みは皮の下に押しこむ。


「なぜ他人をかばう」


 と、ドラコが目線を下げる。


 下がった目線はなお、高い。


「なぜもクソもあるかよ」


 俺は脂汗が浮かび、声が震えていたとしても、気取って言う。


「男が……助けると言ったなら、裏切られようが、傷つこうが、承知のうえだろうがよ」


 その上で助ける覚悟だろ。


 俺には力がない。


 人助けは尋常じゃないことを知ってる。


 一々が命懸けだ。


 主人公やギルヴァンのメインキャラみたいな特別な強さはなんにももっちゃあいねぇ。だがそれでも……。


「平等なもんがあるだろ。誓いを守る覚悟だ」


 でなきゃ、俺みたいな弱小が歯向かうかよ。


 強者に挑戦したってなぶり殺されちまうよ。


 一山幾らの兵隊だ。


 死んでも気にされない。


 むしろ敵なら喜ばれる。


 その程度の弱小なんだ。


「立つか」


 と、ドラコは淡々と言う。


 あったりめェだろがよお。


 俺ァお前を足止めする約束なんだ。


 折れた足が伸びる。


 錆びついた歯車なみに動かなねェ。


「……契約……自分で縛るか」


「難しく言ってくれるなよ、ドラコ。俺は体も弱けりゃ、頭も……弱えんだよ」


 立った。


 ハッ!!


 やっとドラコの巨体を見下ろしたぞ。


 あァ、頭ではな、わかってんだよな。


 ドラコの大きさは見下ろせなんかしない。


 本当に、本当に、本当に、本当に強いな。


「うぎャッ!!


 ドラコにキックしようとした瞬間だ。


 ドラコの鋼鉄の拳が俺の顎を打ち抜いた。


 ドラコは手加減をしていたはずだ。


 でなきゃ多分俺は顎が千切れてた。


 俺はのけぞりながら倒れ……ない!


 俺の千切れかけみたいな足から力が抜けて膝が落ちたが、まだ倒れない。石畳に血が広がった。


「はッ!?」


 ドラコの裏拳が目の前で鼻を擦る。


 その裏拳はすでに俺の頰を打ったあとの過ぎ去る光景で、俺は頰から顔の半分がゼリーが揺れるみたいに波立たせて、横殴りに吹き飛ばされた。


 昔さ──。


 こんなことがあったんだ。


 妹がすげぇ甘えん坊になって、俺にべったりになった。冬でも夏でも、俺の背中にくっついて、顎を乗せてテレビを観たり、うとうと寝たり。


 俺ァ、そんな妹がうざかった。


 本当に……バカだよな。


 甘えられるてのはこんなに嬉しいことはないのにな……俺は、俺が甘えることばかりで、誰かが求めるときに答えてやることができなかった。


 妹は虐められていて、俺が唯一の頼りで、やすらぎだったてのに俺は振り払った。


 一生でずっと後悔し続けている。


 もっと、もっと上手くやれた筈。


 俺が弱いバカだから失った。


 仕方がないでは済まない罪。


 だから、一人で死ぬんだよ。


「……こ……ん、どは、ミスら……ねェ!」


 生きてても後遺症がキツいぞ俺。


 飛びかけた意識を捕まえた。


 気合いでどうにかなる程度だぞ。


 まだ──まだ、努力の範疇だぞ。


 もっと生きろ俺、もっと、もっと!


「驚異的だ。タフな男だ。正直、驚きだ」


「あぁ、俺が死ぬ前に教えてくれ。なんで現れたんだ“到達者”には退屈だろう」


 ラフィーリアも教会に着いただろ。


 死にたくなるほどにはつれぇんだ。


 本当にクソッタレな人生だぜ。


「──そこまでだ」

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